無雙英信流柔術『印歌之卷』を讀む

『印歌之卷:明和四丁亥歲九月十九日付』筆者藏

こゝに取り上げる傳書は、無雙英信流柔術の『印歌之卷:明和四丁亥歲九月十九日付』(筆者藏)です。この『印歌之卷』は、已に外題を失っており、その本来の題名を知らず、爲に同時に傳授された『印歌祕密切紙無雙安全之卷:明和四丁亥歲九月十九日付』に依て、仮に『印歌之卷』と呼びます。

無雙英信流の柔術や、往昔の藤原勝負の流也。
無雙英信流の柔術というものは、往昔の藤原勝負の流である。
*「藤原勝負之流」・・・小菅精哲の『心慮之卷:元祿拾六癸未歲十一月吉日付』(筆者藏)に曰く、「無雙藤原勝負直傳末派正統一流之和」と。

足下多年意を此藝に適(ゆ)き、飄然として群ならず。得る所の術も亦た密ならずと爲さゞる也。
足下は多年意(こゝろ)をこの藝に傾け、一頭地を拔く。會得した術もまた熟達していないものはない。
*「適意」・・・「適」は「歸向」、心がある方向に向うこと。
*「飄然不群」・・・杜甫の「春日憶李白」の一節、「白也詩無敵、飄然思不群。」。
*「密」・・・「稠密」。

猶ほ能く朝磨夕鍛して、卽ち旣に龍を掣すに至る。洵(まこと)に誣(あざむ)かざる也。
更に朝磨夕鍛した結果、旣に龍を掣すいう境地に至っている。これは虛言ではない。
「誣」・・・「欺瞞」、あざむく。

故に今、先師より傳ふる所の規矩を以て。盡く諸れを足下に授く。
故に今、予が先師より傳えられた規矩を盡く足下に授ける。
*「諸」・・・「之於」。
*「規矩」・・・《荀子・王霸篇》「猶ほ規矩の方圓に於けるがごときなり。」*これは同流『印歌祕密切紙無雙安全之卷』の言に籍れば「武法」。

足下も亦た他に儻(も)し悃詣の人有らば、舊に依て之れを傳へれば、自らの榮久し。
已後、足下もまた、儻(も)し他に懇望の人が有れば、舊に依てこれを傳えることで、自身の名譽を後世に傳えられるだろう。
*「悃詣」・・・「懇望」。

印歌の卷の如きは、尤も當に其の人を斟酌すべき也。
中ん就く、印歌の卷の如きは、最も授與する弟子の人格を考慮しなければならない。

爲に言ふ。必ず、己を高(たかし)として藝に傲ること無かれ。術を放(ほしい)まゝにして人を誣(あざむ)くこと無かれ。
その爲に言う。必ず己を高(たかし)として藝に傲ること無かれ、術を放(ほしい)まゝにして人を誣くこと無かれ。
*「放」・・・《操觚字訣》「自由氣まゝにすること也。放はうちやる意也。」

不者(しからず)んば、唯將に人を掣(制)さんとして、却て人に掣せらるゝの悔有り。慎まざるべからず。
そうでなければ、いざ人を掣(制)そうとして、反って人に掣される恐れが有る。愼まずにいられようか。

匄(こ)ふ、足下勉めて誨(おし)へよ、勉めて誨へよ。
足下が敎誨に努めることを願う。
*「匄」・・・「乞」。

註 太字:譯文 赤字:意譯文 *:筆者註。

傳書は、單に切紙・目錄・免許・印可などゝ言いますが、その名稱やその內容が一定していないことはご存じの通りです。今囘の『印歌之卷』は、上記のごとく指南免許として傳授されたものです。この形式は、かなり古くからある標準的なものと言えるでしょう。

この無雙英信流柔術は、何處のものか未だ調べ終えていませんが、一連の史料に據って師弟共に但馬國出石藩の士であると考えられます。

令和三年八月十一日 因陽隱士著

參考史料 『印歌之卷:明和四丁亥歲九月十九日付』筆者藏/『印歌祕密切紙無雙安全之卷:明和四丁亥歲九月十九日付』筆者藏/『心慮之卷:元祿拾六癸未歲十一月吉日付』筆者藏/『兵庫縣史史料編近世一』兵庫縣史編輯專門委員會編

『不遷流規定書』を讀む

『不遷流規定書:慶應二丙寅年九月吉旦付』筆者藏

今囘は不遷流の規定書(掟書)を取り上げます。不遷流については、ご存じの通り、物外和尙を祖とする體術(柔術)の流儀にて、この規定書が記された慶應二年九月は、田邊義貞が三世として名を列ねています。

田邊義貞は備中長尾村の人、初め二世武田貞治の門に入り、十八歲のとき初傳を得、翌年江府に遊學、後ち流祖物外和尙に師事し、また諸國を遍歷し硏鑽して奧儀を極め、二十九歲のとき不遷流三世の允可を傳授されました。則ち、この規定書は允可相傳の前年に當りますが、旣に三世と認められていたようです。

流儀の規定書(掟書)そのものは、取り立てゝ奇とするに足るものではありませんが、當時の不遷流の規定がどのようなものであったかを知るという點においては好史料と言って良いでしょう。道場內に揭げたものか、實際どのように用いられたものか定かでありません。

尋常な御家流の手です。それでは讀んでみましょう。

規定
一.御公儀御法度の趣.堅く相守り申すへく候事.
一.師弟相弟の禮儀.正鋪く仕るへく.勿論酒氣之れ有る節は.稽古無用の事.
附り.遊女噺等禁言.喧𠵅口論は勿論.他流を嗙る口外決して仕る間敷き事.
至って尋常な文言につき、何か說明することも無さそうですが、敢えて取り上げるとすれば、原文「嗙」の字は、「謗」の字義の方が相應しいように思われます。

一.他流出會稽古.猥りに仕る間敷く.且又淺心の輩.他流入門勝手次第.執心に依て目錄以上の輩は.故障筋之れ有り候共.流儀替へ堅く相成らす候事.
目錄以前の者は、流替しても構わない、しかし目錄以上の相傳を承けている者は、事情があったとしても流替は許されないということです。過去に見た、いくつかの流義に同樣の規定があり、當時としては普通かもしれません。一方、事情があれば許す、といった流儀も有ったと記憶しています。

一.當流入門は.先後に抱らす.鍊磨の功に依て目錄差し出し申すへき事.
「先後」と云うのは、先輩・後輩に關わらず、「鍊磨の功に依て」、修行の成果によって、ということでしょう。

一.御流義柔術.厚く執心に付き.御指南下さるへき旨.重々有り難き仕合に存し奉り候.斯に御入門仕り御傳授に預り候者は.自今以後.御敎恩忘却仕らす.素より御前書掟の趣.堅く相守り申すへく候.自然聊にても相背くに於いては.天神・地祇の罪・冥罪を蒙るへき者也.依て證文を起す.件の如し.
前段は物外和尙が定めた掟であり、この後段は三代目が傳承者の立場から定めたものです。物外和尙存生を前提とした文言につき、恐らく翌年には改められたと思われます。

註 赤字:解說

久しぶりの更新につき、作文に梃子摺りました。取り上げた規定書は、御手本のような書體・文體にて、最低限の言い廻しさえ知っていれば讀めるため、あまり言うべきことがなく、次囘はもう少し入り組んだものを取り上げたいと思います。

時代背景に思いを馳せると、やゝ興の湧くもので、この規定書が記された當時は、四境戰爭終結間もなく、國事に奔走していた物外和尙と付き隨っていた田邊義貞と共に、やゝ一息ついたところかと想像します。この頃の田邊義貞は、靑蓮院宮に仕えていて、その庇護によって諸國を往來していました。今にこの鑑札類が傳えられていて、當時これを用いて諸國を往來していたのかと思うと、何か感じるものがあります。

なお、この規定書は、龍谷大學の文學博士田中塊堂翁の父君が揮毫したと傳えられています。

令和四年八月七日 因陽隱士著
令和五年四月廿三日 校了

參考史料 『不遷流規定書:慶應二丙寅年九月吉旦付』筆者藏/『田邊義貞先生墓碑銘』筆者藏