『無敵流平法心玉卷序』を讀む

『無敵流平法心玉卷:寬文十一辛亥曆九月日付』筆者藏

こゝに取り上げる傳書は、『無敵流平法心玉卷:寬文十一辛亥曆九月日付』(筆者藏)です。流名は「無敵流平法」又は「平常無敵流」と云い、この流儀の本旨・本質をそのまゝ言い顯すものです。たとえば、この流名について同書より幾つかの言を引くと、「平法は、天地神明の發動にして無敵なるもの也。空々として淸靈幽微をかんじ、明々として通ぜざると云ふ所なし。其の性を全して是の行に難無く、故に門下の弟子に是れをさづけてすくはんとほつす。」。或は「天何ぞ天、我何ぞ我、同根一體にして其性を一にす。天地無敵なる則(とき)は、我も亦た無敵、是(こゝ)を以て、我が一道を名(なづけ)て平常無敵と號す。平は平にして中也。常は庸にして中庸の理有り。亦た心を離れて身なし。身を離て心なし。亦た曰く、心の外に平法なし、平法の外に心なし、と。亦た曰く、無敵は是れ寂然不動にして靜なる時は無量無邊に通じ、動て萬事に應ぜずと云ふことなし。形に影の隨ふが如く、響の聲に應ずるが如し。是れ無敵嚴妙なり。」と、このように說かれています。然れども、流儀の本質たるこの意義を俄に理解せよというのは無茶な話しで、取り敢えず心法上の一工夫がこの流名に表れていると分れば充分かと思います。

そして、『心玉卷』の「心玉」というものは、眞妙劍を發顯するための心法とされ、同書に於いて圖を以て、「十方に書たる劍は金剛の利劍とも、亦た吹毛の劍とも云へり。此の劍は、主は玉也。則ち人々具足する者也。此の玉は三千世界を照す。故に是れを以て名て明德とも云ひ、亦た佛家には佛心とも云へり。」と說かれています。佛家に云う佛心は、佛性とも云い、世に知られる『臨濟錄』の「赤肉團上。有一無位眞人。常在汝諸人面門出入。未證據者看看。」の「一無位眞人」を髣髴とさせるものです。この方面から理解すると、心玉の意味を捉えやすいかもしれません。

偖て、『無敵流平法心玉卷』の本文は、『日本武道大系第三卷』が收錄する所の『平常無敵流平法書』と略(ほゞ)同じです。今囘は序のみを取り上げるため、本文を讀みたい方には『日本武道大系第三卷』を薦めます。但し、この『平常無敵流平法書』は、『心玉卷』と大差無い記述ながら、寫本の爲か、卷末の詩と奧書とを缺きます。これに對して、こゝに揭げる『心玉卷』は、記述はもとより本文そのものも山內蓮眞の筆であることを附言して置きます。

無敵流平法心玉卷
夫れ古來より兵法の術、世〃流布することや久し。而して之れを學ぶ道、其の術其の品數多有り。而して流枝家を分つ。大方何か敎ふと雖も、皆日〃敵を求め戰を好て勝つことを得るの行を學ぶに過ぎざるのみ。
抑〃古來より兵法の術というものが行われ、世間に流布して長い年月が經過した。兵法を學ぶ道や、その術や、その品數は多くなり、流れは分れて枝となり、それぞれの家に分れた。大方の家では、何かを敎えると言っても、皆日〃敵を求めて戰を好むような、勝つための術を身に付けることだけを目的として修行させるに過ぎなかった。

予も亦た此の道を學びて、而して今之れを考へ見るに、天地の本性を辨へず、我が邪欲の心根を專にして、心目混昧にして、物に負けざるといふことを知らず。
私もまたこのような道を學んだが、今になってこれを考えると、天地の本性を辨えず、己の邪欲の心根を專らにして、心と目とを昧(くら)まして、外物に負けないということを知らなかったのである。

人の爭戰といふ者は、私欲專にして財寳を奪へるに異ならず。譬へば、博奕を好む者は、人の財寳を望て之れを取ること、却て己が財人に之れを取らるゝことを辨へざるに似たり。勝つことを思て負ることを知らざる者は、是れ人欲甚しくして天理を忘るゝ者也。
人の爭いや戰いというものは、私欲を專らにして財寳を奪うことに外ならず。譬えば、博奕を好む者が、人の財寳を望んでこれを取ろうして、却って己の財を人に取られてしまうことを考慮しないことに似ている。勝つことばかりを思って、負けるということを思いもしない者は、人欲ばかりを逞しくして天の理を忘却している。

此の意念を以て敵と相戰ふ時は、已に思ひは十分勝つことを知る。敵も亦た之れを知て相戰ふ者有るときは、必々相討と成る。是れ勞して功無き事也。唯盲目の杖を以て戰へるに同じ。
このことを心懸けて、敵と戰う時は、已に思いは十分勝つということを知っている。しかし、敵もまたこれを知って戰う者であるときは、必ず相討ちと成る。これでは勞有って功無きことである。たとえば、盲目の者が互いに杖をもって戰うのと同じように、どちらが勝ち、どちらが負けるとも知れない。

等しき事を見て、至極也と思ひ、或は所作の振り潔白成るを見て、是れ上手也と畏れ、或は大事の奧手、或は[一つの]太刀などいひて、異々(ことごと)敷く祕せる、之れを見て甚だ之れを驚き、平法の術の本意を論ぜず、是れを無上也と思へるは(おぼつ)かなき事也。
互いの技倆が等しき事を見て、至極のものだと思い、或は所作の振る廻いの鮮やかさを見て、これは上手だと畏れ、或は大事の奧の手、或は[一つの]太刀など言って、仰々しく祕めたもの、これを見て甚だ驚き、平法の術の本意を論じないで、これを無上だと思うことは誤った見識である。
*「或太刀異々敷」・・・『平常無敵流平法書』には「或一之太刀異々敷」とあり、これが正しいと考えられる。
*「」・・・この字は、『康熙字典』や『異體解讀辭典』に見當らず、『平常無敵流平法書』の「おぼつかなき」の振り假名に從いました。

徒々(つれづれ)に業を作して、戰ふことを以て勝ことを實とする者は、是れ古人の行跡を知り、其の所作を學び本意とする者也。若し知らざる者に對せば、聊か勝ることあらん歟。
一心に業を作して、戰うことを以て勝つことを實(本質)とするは、古人の行跡を知り、その所作を學び本意とするものである。若し知らない者に對すれば、聊か勝ることもあるかもしれない。

今思ふに、非を知り過を改めんと欲して師範を求む。爰に多賀泊庵聚津、留田流の祕術を以て、余に付屬す。亦た兵法と書ける文字を改めて平法と書く。他と相違する也。是れ心奧に負けざる所以(の者)有る也。
今となって思うに、非を知り過ちを改めようとして師範を求めた。そのとき、多賀泊庵聚津というものがいて、留田流の祕術を私に傳授した。また兵法と書く文字を改めて平法と書き、他とは相違していた。これは心の奧に外物に負けない理を有(も)つからである。
*「留田流」・・・『平常無敵流平法書』は「冨田流」と表記する。

其の頃石川霜臺簾勝、木下淡州大守利當、平法の奧妙を發明して、聚津に授けらると云へり。亦た是を以て、余に傳ふ。我れ年來此の劒術を工夫して、暫時止む時無し。肝膽を碎き、切磋の功を勵し、琢磨の心力を盡し、以て此の劒術の心理を開悟す。
その頃、石川霜臺簾勝・木下淡州大守利當が平法の奧妙を發明して、聚津に傳授したと云う、私はこれを傳えられたのである。私は年來この劒術を工夫して、暫時も止む時無く、肝膽を碎き、切磋の功を勵し、琢磨の心力を盡して、この劒術の心理を開悟した。
*「石川霜臺簾勝」・・・名廉勝。近江膳所藩の初代藩主石川忠總の長男。
*「木下淡州大守利當」・・・備中國足守藩の三代目藩主。

是に依て古の眞妙劍を察して、今師傳を顯す。若し愚意を慕へる盲人有れば、誘引の爲に此の一卷を綴て、留田流前六表を以て、劍術の敎として初心の入門と爲さしむ。
これに基づいて古の眞妙劍を洞察して、今ようやく師より傳えられたものを顯すことができた。もし、私の愚かな意(こゝろ)を慕う迷い人がおれば、その誘引のためにと、この一卷を綴り、留田流前六表をもって劍術の敎として初心の者が入るための門とする。
*「眞妙劍」・・・眞妙劍は、石川霜臺・木下淡州より師多賀泊庵に傳わり、これを會得した山內蓮眞は、門弟のために『心玉卷』を著した。「心玉」「同根一體」「無敵」の心の境地より「眞妙劍」は發顯するとされる。つまり、所作ではなく心によって生じる(但し、所作を疎かにするということではない)。同書に云う、「...亦た無心をも求むべからず。是れを求めざる時は、本性全く一成ることを知るべし。此のとき無敵にして眞妙劍の本體顯るべし。」と。

爲に臺に眞妙劍の有ることを知らしむるに、心玉といふ寳珠を繪(え)がき一圖と作し、心妙劍の本侍(體)を顯して、以て書の始に之れを置く。
さらに、貴下に眞妙劍というものゝ有ることを敎えるために、心玉といふ寳珠を畫き一圖と作して、心妙劍の本體を顯して、書の始めにこれを配置する。
*「心妙劍之本待」・・・正しくは「心妙劍之本體」と考えられる。『平常無敵流平法書』に「心妙劍之本體」とあり。また、本文に「眞妙劍の本體顯るべし」とあり。

次に三界一心の圖を中にす。天地と人と眞妙合性一致することを知らしむる也。所謂聖人は天地其の德を合するといふ者也。
次に、三界一心の圖を中ごろに配置する。天地と人と眞妙合性一致することを敎えるためである。これは所謂「聖人と天地と其の德を合する。」と云うものである。
*「三界一心」・・・「同根一體にして過不及なし。天地に充滿して、時として無きときなし。所として無きところなし。故に却て無に似たり。」「一心三界、三界一心、平法一心、一心平法。」
*「聖人者天地合其德者也」・・・正しくは「聖人與天地合其德」。
「故聖人與天地合其德、日月合其明、四時合其序、鬼神合其吉兇。」<太極圖說>

今亦た師傳を踰(こへ)て、一の工夫を以て、三界一息を二圖と爲す。天地性命の本源を悟て、萬物を一にして、外物の敵ならず、負けざる事を知て、無敵の一道を與にせんと欲す。是に於いて體認せずんば、眞妙劍も亦た行へず。故に之れを書に筆して、無上無外の知覺を得て、無敵に至らしめんと欲す。
今またこゝに、師傳を踰えた一つの工夫、一息を以て三界一心を二圖に顯す。天地性命の本源を悟って、萬物を一つにして、外物の敵とならず、負けざる事を知って、無敵の一道を與(とも)にしようではないか。これを敎えられて、なお體認できなければ、眞妙劍もまた行えはしない。故に、これを書に顯して、無上無外の知覺を會得させ、無敵に至らせたいと思う。
*「今亦踰師傳而以一工夫爲三界一息於二圖」・・・この段の注目すべき點は此處にあり。眞妙劍が師傳によるものであるのに對して、この「一息」は山內蓮眞の工夫による。「三界一心」を得心するための手解きともいうべきものか、「一息」を知れば無敵の理に通じるとされ、同書に云う、「夫れ息は萬物の主也。萬法の依て出る玄元也。」と。或は云う、「人身、形を分てより、過て人と我れ境を成す。此れ人と我の境を如何と見るに、陰の氣を稟けたる者は陰を好み、陽の氣を稟ける者は陽を好む。是れ陰我陽我と成て、陰陽始て善惡と成る。是より好嫌の氣起て我病と成る。天地・陰陽・理氣・動靜・遲速・輕重・是非・始終、是れ皆一息の成す所也。」と。或は云う、「儒門には皇星帝と云ひ、主人公と云ふ。或は天地同根、萬物一體也と云り。亦た禪門には本分の田地、本來の面目などゝ云り。亦た天臺門には圓頓止覩と云り。是れ亦た眞言門には阿字、本不生と云り。亦た金胎の大日とも云り。亦た淨土門には西方阿彌陀佛、無量佛尊と云り。亦た草木國土悉皆成佛の會座と見ると云り。我是れを惟るに一息の他なし。一息を悟らずんば如何根元を知ると云ふとも寶にあらず。」と。則ち、三界一心を擴大し精確に捉え直したものとも考えられる。

然りと雖も我無學無知にして、文字を撰まず、美言を以て飾ること無く、言卑にして理猶ほ聞き難し。心に念じて言發せざること啞噫の如し。
しかし、そうではあるが、私は無學無智にして、文字を能く撰まず、美言を以って文を飾ることも無く、言(ことば)は卑しくして、理はとても聞き難い。私の心中に念は止まり、言(ことば)として發せられないことは啞噫のようである。

此の書の云ふに違はざる事を名(なづ)けて平常無敵流と號す。而して後世淸中の塵坌と成し、而して法界に擲つ。若し愚意を助る人に遇ひて、切琢して之れを玉にすること有れば、何ぞ幸ひ之れに如かんや。
この書の云うことゝよく合致する名として、平常無敵流と號す。そしてこれを後世淸中の塵坌と成して、法界に擲(なげう)つ。若し、私の愚かな意思を汲み取る人が現れ、この平常無敵流を切琢して玉にすること有れば、これほどの幸せはない。

時に寬文三曆癸卯二月中旬、鏤(ちりば)め書き畢ぬ。

註 太字:譯文 赤字:意譯文 *:筆者註 /こゝに取り上げた『無敵流平法心玉卷』の序は、訓點を具えていますが、脫落齟齬あり、且つそもそも本文が漢文法に外れること屡々あり、故に訓點を尊重しつゝも、文意に反し文意を誤ると考えられものは止むを得ず手を加えました。十分とは言い難い譯文ですが、文意を損なうものではないと思います。猶、前記の『日本武道大系第三卷』が收錄する所の『平常無敵流平法書』を見たところ、少し文字が相違していました。たとえば、「心」を「必」と書き、「古」を「右」と書き、「見」を「是」と書くなど、文意・文法に背いており、恐らく筆寫時の誤りでしょう。また、反して『平常無敵流平法書』によって『心玉卷』の脫落誤字に氣付くこともありました。たとえば、「或太刀異々敷」と書かれたものは「或一つの太刀異々敷」の「一つの」が脫落、「心妙劍之本待」と書かれたものは「心妙劍之本體」の「本體」を誤冩したと見られるものなど。

此の『無敵流平法心玉卷』は、かなりの長文につき序のみを取り上げました。諸流に比して獨特の思想を打ち出しており、本文も讀めばきっと惹かれるもの、得るものがあると思います。

令和三年九月三日 因陽隱士著

『無敵流平法心玉卷:心玉眞劍之圖』筆者藏

參考史料 『無敵流平法心玉卷:寬文十一辛亥曆九月日付』筆者藏/『日本武道大系第三卷』