
現在見られる流祖中山吉成の伝記について
風傳流の流祖中山吉成に関する記事は意外なほど少ない。
そこで、記述内容から引用元を遡ると、二系統に分類される。
則ち、出典不明の『日本武道大系 第七巻』を引用する記事と、『風傳流元祖生涯之書』を引用元にする記事とに分れる。
出典不明
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『日本武道大系 第七巻』
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├── 一閑斎の隠居所_風傳流鑓術
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└── 日本武道協会_風傳流槍術
『風傳流元祖生涯之書』
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└── 『明石名勝古事談』 ── 『三百藩家臣人名事典 第七巻』
正直に言うと、『日本武道大系』の記述は信用できない。その理由は、「風傳流の流祖中山吉成について考える-2」「風傳流の流祖中山吉成について考える-3」に述べた通り、第一に根拠が分らない、第二に辻褄が合わない、そして第三に高弟菅沼政辰が著した中山吉成の行跡と相違する。
なお、『増補大改訂 武芸流派大事典』の風傳流の項では、「彦根藩士、中山源兵衛吉成が祖。もと勢州長島の松平佐渡の士」とその行跡を淡泊に伝えているが、これまでに調べた結果、全て誤りと考えている。
中山吉成は、彦根藩に仕えていないし、松平佐渡守にも仕えていない。彦根に滞在して風傳流を指南していたが、仕官はしていない。そして、松平佐渡守に仕えていたのは、父の中山家吉。
中山吉成は二男だったので、「二男故に其身を心に任せ諸国へ發して一流の鑓を廣められたり」と伝えられている。

因陽隠士
令和七年七月廿日記す