風傳流の流祖中山吉成について考える-1

『風傳流素鑓真剱』筆者蔵
はじめに

ある日、私は風傳流の史料を発掘した。発掘というのは、もちろん土中より掘り出したという意味ではない。誰にもかえりみられず忘れ去られていた史料を、知識を持つ人が発見したというほどの意味合い。これによって、史料はその真価を発揮する。但し、私の知識ではその真価の半分も引き出せるかどうか心許ない。

さて、その史料は上中下三冊を以て揃い、『風傳流元祖生涯之事』と題す。著者は、風傳流の流祖中山吉成の高弟菅沼政辰という*1。

菅沼政辰は、元服以前から中山吉成とは知己にて、十六歳で元服したとき、正式に中山吉成の門弟となって風傳流を修行した。免許されて以降は各地で門人を育て、その間中山吉成が歿する貞享元年まで師弟の交誼を絶やすことは無かった。
中山吉成歿後も風傳流の高弟として流儀の普及に努め、なお晩年に至って流祖直伝の高弟たちが世を去る中、菅沼政辰は長寿を保ち流祖直伝の鑓術を世に伝え続けた。風傳流の歴史を語る上で欠くことのできない大きな存在であったと言える。

風傳流の普及に生涯を捧げたといっても過言ではない菅沼政辰は、その最晩年に至って、流儀の教えが正しく後世に伝わらないことを危惧した。その当時、既に流祖直伝の高弟たちは泉下の客となっており、その心配も無理からぬこと。そこで菅沼政辰は自身の知る流祖中山吉成に関わる事を後世に伝えようと書物を記した。それが『風傳流元祖生涯之事』である。

『風傳流元祖生涯之事』筆者蔵

こゝに取り上げる『風傳流元祖生涯之事』は、実は初出ではない。『明石名勝古事談』という本の中、中山吉成伝記の底本として用いられている*2。但し、その典拠は明らかにされていないため、『風傳流元祖生涯之事』という書物の存在自体は世に知られていない*3。

さてさて、こゝからが本題。

『風傳流元祖生涯之事』には、断片的ながらも流祖中山吉成の一生について記されている。流祖の直弟であり印可を許された高弟でもある菅沼政辰という人物が、この書物を書いたことによって、その内容について大いに参考にすべき点があることは言うまでもないだろう。この史料を元に、現在知られる所の中山吉成という人物の説明や伝記を見直すと様々な発見がある。今回はその発見について記してみようと思う。

1・・・実名は「正辰」とも記す。

2・・・『明石名勝古事談』に記される中山吉成の伝記には、一部に錯誤が認められる。これは底本とした『風傳流元祖生涯之事』を正しく理解できていないことによる。錯誤というのは、主に中山吉成と菅沼政辰の事歴を混同している点にある。鵜呑みにすると齟齬が生じるので引用する方は注意されたし。なお、『三百藩家臣人名事典』の中山吉成の項は、『明石名勝古事談』を参考にしたものと考えられる。概ね正しいが、これも前に記した同様の錯誤が見られる。

3・・・私が所蔵する『風傳流元祖生涯之事』は、菅沼政辰の孫弟子に当る小西正郁が写したものを、更にその門弟と思しき貝増盛武が写したものである。則ち、写本の写本。

参考文献『風傳流元祖生涯之書』『松本藩士連綿』『明石名勝古事談』『三百藩家臣人名事典』『寛政重修諸家譜』
因陽隠士
令和七年七月十七日記す