觀賞:翠樹靑木重威筆一鶚直幅

一幅 帋本墨書  × cm 江戶時代 文化十二年 筆者藏

Lesson on Calligraphy.
By 靑木重威 (1786 – 1859). Edo period, dated 文化 12 (1815).
Hand scroll. Ink on paper. × cm. Private collection.

一鶚/ 翠樹書

● 一鶚・・・『漢書・鄒陽傳』の一節.「鷙鳥累百.不如一鶚.使衡立朝.必有可觀.」.「鶚」は「大鵰」を云うと註にあり.
● 翠樹・・・靑木重威.松平定永公の臣.嘉永元年祿百石・御徒頭席.念首坐流指南役.また鎗術指南役を兼ねたと云う.文武共に秀で.兵學を平山潛に學ぶ.
因陽隱士
令和五年五月五日編

觀賞:運籌眞人平山潛筆怒鼃直幅

一幅 帋本墨書  × cm 江戶時代 筆者藏

Han Feizi ( 韓非子 ) words.
By 平山潛 (1759 – 1829). Edo period, dated 18th – 19th century.
Hanging scroll. Ink on paper. Private collection.

怒鼃.運籌眞人書.

● 鼃・・・古文においては「蛙」に同じ.『說文解字』に「虾蟇」を指すとも云う.
● 怒鼃・・・この二字は.蛙を賞した越王句踐の故事に基づくと考えられる.『韓非子:內儲說上』の一節.「鼓腹而怒之蛙.越王句踐見其氣盛而行禮.以昭禮賢下士之心.」.
因陽隱士
令和五年五月三日編
平山行藏
新篇先哲叢談卷之三

觀賞:静斎男谷信友筆垂示直幀

一幅 帋本墨書  × cm 江戶時代 萬延庚申冬日 筆者藏

Lesson on Calligraphy.
By 男谷信友 (1798 – 1864). Edo period, dated 萬延 1 (1860).
Hand scroll. Ink on paper. × cm. Private collection.

武道を學ぶものは先萬事をさしをき胴骨を剛くする修行肝要たるべし是武の地盤也/ 萬延庚申冬日應需靜齋老人

因陽隱士
令和五年五月三日編

男谷精一郞
江戶時代、天保弘化の頃、天下の劍豪として、三羽烏と稱された名劍士があつた。男谷精一郞、大石進、島田虎之助である。男谷は靜齋と號し、名は信友と言つた、父新次郞信連は幕士であつた。男谷は二十歲の時、親族の男谷彥四郞の養子となつたが、精一郞は若年より武藝を好み、劍道を岡野眞帆齋、兵法を平山子龍に學び、智謀深く、膽力豪大而かも謹嚴にして稀に見る逸材であつた。<皇國劍道史>

觀賞:本心鏡智流鎗の穗

『本心鏡智流鎗之穂:藤原國住作』筆者藏
『本心鏡智流鍵鎗拵様之巻』筆者藏
形狀

本心鏡智流の鎗の穗は、およそ蕎麥三角の形を流儀の規格とする。これは同流の傳書『本心鏡智流鍵鎗拵樣之卷』を見れば明らかなこと。
しかし、丹波篠山藩において同流の指南役を勤めた佐藤信成が著した『傳聞集』を見れば、「當流用る所、ソバ三角、或は兩シノキ」と記されており、必ずしも蕎麥三角のみを規格とした訣では無かったと知れる。(兩鎬は本心鏡智流の源、樫原系の穗にも見られる)

蕎麥三角・兩鎬というほか、形狀について、同流の穗は薄く尖るものを嫌い、一見して通り難きものを好む。
一見して通り難きものとは、丸みあるものを云う。これは、地に擦ったとて鋒を損じることなく、堅物に當って最も通りが良いという利點があるとされる。

そして長く作られた莖は、太刀打に刄が當ったとき切り難く、また鎗の釣合が良いとも『傳聞集』に記されている。

藤原國住とは?

天保十二丑年八月日に作られたこの鎗は、豫州松山臣山城守百國の末と冠する藤原國住の銘在り。
「豫州松山臣山城守百國末藤原國住七十七歲作之/天保十二丑年八月日」
奈良縣の登錄證が付いている。奈良は、嘗て本心鏡智流が盛んに行われていた地域であり、江戶時代以來そのまゝ同地に眠っていたものか。

藤原國住、『刀工槪覽』には、「豫州松山臣藤原國住、江戶住、國吉門、寬政頃」とあり。

このほか、藤原國住について探すと、明治三十五年、昭和二,三年の帝室博物館列品目錄にその名を見る。これは打根や十文字鎗の作にて、藤原國住は、刀工というより鎗工というべき人物か。

いずれにしても、藤原國住という人物の委しい履歷は分らず、その銘に據って、山城守藤原百國に師事し、豫州松山侯の扶持を受けていたと分るのみ。

令和五年四月廿五日 因陽隱士著

『本心鏡智流極意高上馬上鎗之巻』筆者藏

觀賞:袋根

『袋根塗箱』筆者藏
塗箱に書かれた歌

丈夫之弓上振起射都流矢手後將見人者語繼金

丈夫(ますらを)の弓ずえ振り起し射つる矢を、後(のち)見む人は語り繼ぐがね <笠朝臣金村鹽津山にて作れる歌>

金泥によって書かれたこの歌は、『萬葉集』に收められた一首。高田浪吉著『萬葉集鑑賞』の中で、「「語り繼ぐがね」は、語りつぐために、と譯すのであるが、「射つる矢を」は、「射つる矢そのもを」と云ふ意である。」と說かれる。

當時の塗箱は已に朽ち、收納の用を爲さず、舊所藏者はこの內形を象った新たな箱を調え袋根を收めるも、當時の塗箱朽ちて尙貴しとして、これを袋根と共に二段の桐箱に收めて珍藏した。

『袋根:平元安作』筆者藏
雜感

觸れると薄いながらも銳利であり且つ硬質、掌に載せると見た目を上廻る重量、燈りに向けてかざすと曇りがちに鈍く輝く、この感動は、精巧なる造りによるものか、その一つ一つに、妥協を許さない作者の姿勢と、長年に亙って培われた精緻な技巧とを觀る。

「平元安」は銘鑑に該當する名を見ず、ために何人か知れず。また、この袋根というものについても、『矢鏃銘鑑』に「袋根」の項こそあれども、類例を見ず。

令和五年四月廿三日 因陽隱士