所藏史料紹介:新影治源流圖法師卷

帋本墨書 17.6 x 916.0 cm 享和二壬戌三月付 筆者藏

新影治源流圖法師卷. Edo period, dated 享和 2 (1802).
Hand scroll. Ink on paper. 17.6 x 916.0 cm. Private collection.

● 成田源左衞門尉正意・・・(弘前藩八代藩主)津輕土佐守信明侯の家來.治源流師役.寳曆十三年治源流皆傳.明和九年同流師役を繼承.
因陽隱士
令和五年十一月三日編

觀賞:靜脩山人桃井直正筆自新主一二箴帖

帋本墨書 28.3 x 686.0 cm 明治十七年二月 筆者藏

Chinese poem.
By 桃井直正 (1825 – 1885). Meiji period, dated 明治 17 (1884).
Hand scroll. Ink on paper. 28.3 x 686.0 cm. Private collection.

明治十七年二月、奧野氏の爲に、前半に明の李迪の「自新箴」を、後半に宋の張南軒の「主一箴」を揮毫。桃井直正の最晚年に當り、この年十一月大阪府御用掛劍道指南方に任じられる。
因陽隱士
令和五年十月二十九日編

『齋藤彌九郞龍善書簡』を讀む

『齋藤龍善書簡:二月十一日付』筆者藏

今囘は『齋藤龍善書簡:十一月三十日付』を取り上げます。齋藤龍善、この人物は齋藤彌九郞の稱でよく知られる篤信齋の子です、恐らくご存じでしょう。神道無念流、練兵館の二代目として、彌九郞の稱を繼ぎ、 門下より數多の名士を輩出。講武所劍術師範・幕府遊擊隊肝煎役・幕府步兵指南役竝等を歷任しました。

扨て、この『齋藤龍善書簡』は、丹波龜山藩士垪和氏へ宛てたもので、當時盛んに行われていた尊攘活動のために、ともすれば脫藩し兼ねない樣子の垪和氏を案じて認められました。練兵館に尊攘派の人物が多かったことゝ無關係ではないでしょう。

爾後は久々御無音罷り過ぎ恐縮此事に存じ奉り候。先以て春暖の節御座候處、益御勇健拜賀し奉り候。
定型の挨拶です。

愈々此度源海禮次郞殿御供にて、一寸歸宅成され候に付、一寸申し上げ候。
はじめに、宛名の垪和氏や源海氏は丹波龜山藩の士です。そして、こゝの文意は宛名の垪和氏が源海禮次郞の御供で歸宅するようにも捉えられますが、垪和氏は國許の龜山に居りますから、源海氏は殿樣の御供として江戶から龜山へ歸國するという文意が正しいです。そこで、齋藤氏は言いたいことがある、と。

扨て、一別以來世變申し盡し難く候。先々御安泰、大慶此事壽ぎ奉り候。
幕末、何かと異變のある時勢ですが、兩者とも安泰、無事で何よりです、と。

彌御盛んに釼術御引き立ての段、重疊の御儀と存じ奉り候。然る處、遠境にて何事も碇と致し候事、相聞へ申さず、
先ず、宛名の垪和氏は別項「所藏史料紹介:神道無念流三卷」を相傳された神道無念流免許皆傳の人物。國許へ歸って藩士たちを敎導していました。「御盛んに釼術御引き立ての段」とは、そのことを指しています。「遠境にて」、江戶と龜山とは遠隔、確かな情報ではないと前置き。

去り乍ら、當時尊公にて何角御不都合思し召し候事共これ有り候哉にて、時々御不平の御樣子も相見へ候段、薄々承知仕り候。
「當時」とは、垪和氏が江戶の練兵館で修行中のことでしょう。齋藤氏は、垪和氏が日頃不滿を募らせている樣子を心配していました。

何等の儀に候哉、相心得ず候得共、今日世に處するものは人間而巳に相抱らず、出役變地の儀は當然にて、自然に相任せ自己の了簡相用ひず候樣仕りたく、壯年血氣は甚だ事に害これ有り、宜しからずと存じ奉り候。
「何等の儀に候哉」とはいえども、ある程度豫想はついているけれども、本人から確かなことを聞いたわけではないため、遠廻しに垪和氏の不滿を宥める論調です。後段に仔細あり。

何分此上の處、拾ヶ年今身を守り、御辛抱これ有りたく、小生儀も猶ほ愚案もこれ有り候間、追々御志も相達し申すべく、必ず不平御ならしこれ無く、默々然と御藝術御出精を祈念し奉り候。
國許の龜山に戾された垪和氏の不滿は、江戶滯在中よりも膨れ上がっていたのかもしれません。劍術の敎導にのみ力を盡して、無謀なことをしてくれるな、と。

今日人情天下の形勢、何方も同斷にて或は御脫藩等の御趣意等これ有り候ては、以ての外御不存意と存じ奉り候間、是よりは小生老馬□に御面じ、前段宜敷く御承知願ひ奉り候。御許容もこれ有り候はゞ、實に大慶至極存じ奉り候。吳々惡しからず承知下さるべく候。
齋藤氏は、垪和氏が尊王攘夷の思想に同調するあまり、脫藩するのではないかと危惧していました。僕の顏に免じて、是非とも思い止まってくれと懇願。

一、源海君御修行、追々御上達候處、此度御歸國は甚だ宜しからず候得共、是非に及ばず。
御供のため歸國する源海氏。滯府していれば、もっと劍術が上達していたはず。

倂し乍ら、猶又御同人・御一門樣へ御出會ひ早々出府これ有り候樣、御傳聲願ひ上げ奉候。
今度歸國する人たちに出會ったら、できればまた出府するように勸めてほしい、と。

右の段申し上げたく、誠に繁用尙々日勤同樣寸暇を得ず、亂筆を顧りみず我が赤志申し述べ候。猶ほ後便の時を期し候。恐々頓首。
齋藤氏、日勤同樣の忙しさ。取り急ぎ、垪和氏の脫藩を止めたかったのでしょう。

尙々、末乍ら御惣容樣宜しき哉、傳聲願ひ上げ奉候。猶ほ以て時下折角御厭ひ御座候樣祈念し奉り候。以上。
定型の締め。

註 太字:譯文 赤字:解說

二代目齋藤彌九郞は、初代が有名なあまり、その事績に注目する人は少ないように思います。私もそうでした。しかし、よくよく事蹟を調べてみると、勤王の志が篤く、また劍術という限られた範圍に終始することなく西洋流の調練・火器に關しても詳しく、有爲の人々と交わり父篤信齋讓りの進步的な精神を持ち、何より人材を育成することに熱意を持った人物でした。

本書簡の如く、遠隔の地にある門人の動向にも憂慮していた樣子、當時の師弟の親密な間柄を窺い知ることができます。

また、本書簡において、齋藤龍善が垪和氏の不滿を宥めることに苦心する一方で、久保無二三の如き尊攘派の志士は、頻りと京都へ出て勤王のために盡そうと呼びかけていたようです。(そのように行動を促す無二三の書簡が保存されていますが、時代の前後は未考)

令和五年十月二十五日 因陽隱士著

參考史料 『齋藤龍善書簡:二月十一日付』筆者藏

東洋齋藤龍善先生筆孫子兵勢第五帋本直幀

『東洋齋藤龍善先生筆孫子兵勢第五帋本直幀』筆者藏

夫れ兵は勢弩を彍るが如く.節機に發するが如し.紛々紜々として戰い亂るれども.亂る可からざるなり.

所藏史料紹介:圓明流三卷

圓明流目錄之卷

帋本墨書 15.6 x 117.2 cm 寳永二年乙酉四月吉日付 筆者藏

寳永二年酉四月吉日付. Edo period. dated 1705.
Hand scroll. Ink on paper. 15.6 x 117.2 cm. Private collection.

圓明流免許之卷

帋本墨書 15.6 x 157.6 cm 寳永二年乙酉四月吉日付 筆者藏

寳永二年乙酉四月吉日付. Edo period. dated 1705.
Hand scroll. Ink on paper. 15.6 x 157.6 cm. Private collection.

圓明流奧儀之卷

帋本墨書 15.6 x 238.4 cm 寳永二年乙酉四月吉日付 筆者藏

寳永二年乙酉四月吉日付. Edo period. dated 1705.
Hand scroll. Ink on paper. 15.6 x 238.4 cm. Private collection.

● 多田源左衞門尉祐久・・・脇坂伊勢守安淸公の臣.後致仕して安藝淺野家の臣となる.圓水流と稱したとも云う.
● 脇坂覺兵衞殿・・・脇坂伊勢守安淸公の臣.祿百貳拾石.
● 予祖祐甫・・・多田賴祐.圓光寺の住持.宮本武藏より圓明流の印可を承く.
因陽隱士
令和五年五月廿七日編

所藏史料紹介:一刀流兵法別傳天眞傳兵法二卷

一刀流兵法別傳天眞傳兵法眞劒拂捨刀之卷

帋本墨書 18.2 × 86.8 cm 天保八丁酉年八月十五日付 筆者藏

一刀流兵法別傳天眞傳兵法眞劒拂捨刀之卷. Edo period. dated 1837.
Hand scroll. Ink on paper. 18.2 × 86.8 cm. Private collection.

一刀流兵法別傳天眞傳兵法目錄明道論

帋本墨書 17.8 × 153.1 cm 天保九戊戌年三月十二日付 筆者藏

一刀流兵法別傳天眞傳兵法眞劒拂捨刀之卷. Edo period. dated 1838.
Hand scroll. Ink on paper. 17.8 × 153.1 cm. Private collection.

● 先師宗有翁・・・寺田宗有.高崎松平家の臣.
● 白井亨義謙・・・一刀流兵法別傳天眞傳兵法の祖.
● 古河熊吉殿・・・牧野節成公の臣.
因陽隱士
令和五年五月廿四日編

所藏史料紹介:新天流灌頂之卷

新天流灌頂之卷

新天流灌頂之卷 一卷 帋本墨書 15.1 × 300.0 cm 江戶時代 慶長拾七年子二月吉日付 筆者藏

新天流灌頂之卷. Edo period, dated 慶長 17 (1612).
Hand scroll. Ink on paper. 15.1 × 300.0 cm. Private collection.

● 帋七枚.失原裝.今分各帋.而收桐箱.
● 新天流・・・齋藤傳鬼の高弟增田正胤に始まるとされる.增田彌次右衞門正胤の經歷は詳らかならず.越前北ノ庄の太守松平忠直の家臣というほか判然としない.
● 益田彌次右衞門尉正次・・・前述する所の齋藤傳鬼の高弟增田正胤と同一人物歟.
● 越前少將樣・・・松平忠直公.越前の太守.結城秀康の長子.東照神君の孫.
因陽隱士
令和五年五月廿二日編

所藏史料紹介:吉岡憲法流圖法師卷

吉岡憲法流圖法師卷

帋本墨書 21.7 x 544.0 cm 寬政元年酉三月吉日付 筆者藏

吉岡憲法流圖法師卷. Edo period. dated 1789.
Hand scroll. Ink on paper. 21.7 x 544.0 cm. Private collection.

● 一乘院法印・・・聖護院門跡の家來と稱し、師は松平安藝守の家來吉岡安房と云う。別卷に系圖有り。
因陽隱士
令和五年五月廿日編

所藏史料紹介:念流正法兵法未來記卷

念流正法兵法未來記卷 一卷 帋本墨書 19.0 x 908.5 cm 江戶時代 筆者藏

念流正法兵法未來記卷. Edo period. dated, early 17th century.
Hand scroll. Ink on paper. 19.0 x 908.5 cm. Private collection.

念流正法兵法未來記入門卷
念流正法兵法未來記獅子卷
念流正法兵法未來記豹卷
念流正法兵法未來記象卷
念流正法兵法未來記龍卷
念流正法兵法未來記後序
● 帋十八枚繼.欠入門卷後帋.巻子装.失原装.寬永期の料帋歟.
● 友松兵庫頭源氏宗・・・彥根井伊家の臣.祿三百石.號僞庵.
● 脇又一郞源豐次・・・彥根井伊家の臣.脇氏の家祖は豐久と云いこの人を初代とする.天正拾年甲州沒落して以後.豐久は權現樣の上意を以て井伊直政公へ召し出され知行七百貮拾石を拜領する.以後數度の合戰を經て加增を受けること度々.元和五年知行二千石.家老役・旗奉行となる.但し肝心の豐次の名を家譜に見出せず.二代豐重の前名か或は家督以前に急逝した者かと思われる.
因陽隱士
令和五年五月十五日編

所藏史料紹介:神道無念流三卷

神道無念流目錄

帋本墨書 18.0 x 175.0 cm 江戶時代 萬延元庚申年十二月付 筆者藏 丹波龜山藩垪和家文書

神道無念流目錄. Edo period. dated 1860.
Hand scroll. Ink on paper. 18.0 x 175.0 cm. Private collection.

神道無念流順免許

帋本墨書 18.0 x 273.5 cm 江戶時代 文久元酉年十二月付 筆者藏 丹波龜山藩垪和家文書

神道無念流順免許. Edo period. dated 1861.
Hand scroll. Ink on paper. 18.0 x 273.5 cm. Private collection.

神道無念流免許

帋本墨書 18.0 x 265.0 江戶時代 文久二年十二月付 丹波龜山藩垪和家文書 筆者藏

神道無念流免許. Edo period. dated 1862.
Hand scroll. Ink on paper. 18.0 x 265.0. Private collection.

● 齋藤彌九郞龍善・・・將軍德川家茂公の臣.諸組與力格講武所奉行支配.文久三年幕府劒術敎授方. ● 塀和四郞太殿・・・名憑和.松平紀伊守信義公の臣.
因陽隱士
令和五年五月十三日編