風傳流史料の蒐集

風傳流史料の蒐集
『風傳流傳書五巻』筆者蔵

私が風傳流について調べようと思ったきっかけは、2015年夏のある出来事。
ある日、知人から連絡がきた。
「武道書を引き取ってもらいたい」と。

後日、喫茶店に会して話を聞いたところ、私が武道書を蒐集していると伝え聞いた知り合いに頼まれたとのこと。
そうして見せられた武道書は全部で十二巻あり、その内の数巻に風傳流の文字がある、なるほど槍術の一派かと気付く。
当時、風傳流についてはその存在を知るぐらいで、大した知識は無く、そのほかの巻物についても、知らない流派の砲術だった。

武道書を引き取るに際し、もちろん貰って帰るわけにはいかない、幾許かの謝礼金を渡し、しばらく雑談して家路につく。

帰宅して調べてみると、風傳流の傳書は、大聖寺藩の鎗術師範橋本助六が傳授したものだと判明する。
そして、傳授を承けた人物も大聖寺藩士だと。
また更に仔細に調べたところ、本来八巻揃いの傳書が、どうやら二巻欠けていることも判った。

仕方ない、一巻欠けていても構わない、さっそく翻刻に取り組み、七巻の翻刻を終え、風傳流や師範、被傳授者について調べた結果をサイトにまとめて公開した。

その翌年夏のこと、衝撃的出来事が起る。

欠けていた『風傳流外物合』の一巻が、ヤフーオークションに出品されているのを発見してしまう。
さらに、説明文には私のサイトの文章がまるまるコピーされていることに驚いた。因みに引用元の表記は無し。

どういう経緯で一巻だけ分れてしまったのか、釈然としない気持ちを抑えつゝ、落札するぞと意気込んでオークションに参加したものゝ、結果は驚きの十五万円だった。

高い、高過ぎる、その認識が誤っているのか、落札できなかったのは悔しいけれども、それほど評価されているのだから、喜ぶべきかもしれない、と思い直し涙を飲む。

 

このような事情があって、私の風傳流への関心は一層強くなり、後々まで風傳流の史料を探す原動力となった。

真夏の暑い日差しを浴びると思いだす風傳流史料蒐集の始まり。

『風傳流素人書 五巻』筆者蔵
『風傳流鑓免許次第 全』筆者蔵
『風傳流十文字之傳 上下』筆者蔵
『風傳流素鑓一切留身並突身之次第 五巻』筆者蔵
『風傳流元祖生涯之書 上中下』筆者蔵
『風傳流からし物傳 六巻』筆者蔵

その後も順調に?風傳流史料の蒐集は続いた。
時に先を越され、時に予算のために諦めるなどしつゝ。

直近、数年前に蒐集した風傳流の史料は、流祖中山吉成の高弟菅沼政辰の著書の写本群。蟲に喰われて酷い有り様。数日かけて慎重に紙と紙との癒着を剥して、殺虫処理するなど、手間がかゝった。けれども大満足。

蒐集癖の根本には、どうも狩猟本能があるらしい、と最近思い至った。

この写本群、調べてみると、どうも藤堂家の家来が風傳流の門弟で、これら写本を書き残したらしい。

藤堂家には菅沼政辰が流儀の普及に赴き努めた結果、藤堂侯の上聞に達し、下屋敷で風傳流上覧の流れとなり首尾能く勤め、のち家老藤堂仁右衛門が弟子となる約束をしたという。

そのようなわけで、藤堂家には風傳流が行われていた。

久しぶりにサイトを更新しようと思い立ったのは、以前からこの写本群の中の『風傳流元祖生涯之事』が気になっていたから。

因陽隱士
令和七年七月廿日記す