(c) 2014-2018 武術史料拾遺 All rights reserved.

我邦 、古来武勇を尚び、弓・馬・鎗・刀の技に達する者、其人に乏しからず。然れども、各々流派を分ち、特に師事して其技を修練せし如きは、戦国の末葉已後の事に属す。徳川時代に至り、流派の数次第に多く、各師範家互に其門戸の盛大を競ひ、技術も亦た精妙を極むる有り。名人上手の輩出せしこと、前後其比を見ず。尤も、之を戦場実地の結実と云はむよりも、寧ろ偃武昌平の産物と見るべき点なきに非ざるも、武士は、元来職として武藝の嗜み無かる可からず。且つは、以て士氣を維持するに格好なれば、上下共に奨励鼓舞、各々師範家に就き、之を修練尊重せし事、當時一般の傾向なりとす。

武術史料拾遺は、現存する古文書・古記録に拠って、当時の師範家及武藝の流派を見、その実体を窺い知るために編集しております。
更新履歴  「四月近況  2018.3.14「大江先生基業碑銘」  2018.3.9「井上流の傳書」  2018.3.7「楊心流柔説」  2018.2.14「井鳥景雲書簡」  2018.1.5「天保六未歳日記」  2018.1.2「天保五午年日記」  2018.1.1「安政三年江戸日記」  ...

 諸家文書



 
軍術

奈良朝に陣法博士あり。王朝時代已に兵法を説く。我邦の軍学其淵源遠しと云ふべし。然れども、要するに孔明孫呉を祖述するに外ならず。武家時代に至っては、兵学者益々多く、諸侯の軍師として重用せらるゝもの有り。戦国時代を経て江戸時代に入るや、説く処源平以降の史乗に亘り、故実軍式漸く繁く流派従て分かれる。

一全流錬兵傳の傳書
弓術

我邦近世弓術の術を謂ふ者、大和の人日置弾正正次を以て流祖と為す。而して其伝統数派に分る。

尾州竹林派の四巻書
紀州竹林派の五巻書
日置流道雪派の伝書


馬術

本邦古来の馭馬の法、諸家其の術ありと雖、室町の末に至って各其の傳を失ひ、独り、小笠原流のみ世に存するを得たり。而して、之を傳ふる者、大坪式部大輔慶秀・八條近江守房繁の二系あるのみ。各其の姓を以て流名と為す。

大坪流馬術の傳書
炮術

南蛮流小鉄炮の伝書
井上流の傳書
嶋本流棒火矢の文書
鎗術

徳川氏の覇権を執って天下を統治するや、各種の武術盛に各藩の間に行はる。而して、鎗術を最と為す。是れ、當時の制、兵器中鎗を特に重しと為すに依るなり。

寳蔵院流の伝書
風傳流の伝書
大島流槍法實用
古流長刀の伝書
剱術

封建の制、武弁常に双刀を佩び、寸時も之を放たざるを以て、武藝中、剱術特に盛にして、其の流派も亦従って多し。

新天流の傳書
長谷川流兵法剱術の傳書
不傳流兵法の伝書
無外流の伝書
立花流の傳書
岩流の伝書
雖井蛙流平法の傳書
心形刀流の伝書
鞍馬流劒術の傳書
神道無念流の傳書
鏡新明智流の傳書
一刀流兵法別傳天眞傳兵法の傳書
万延英名録
居合

居合は平生居坐の際、不時の変に遭遇し結束して起つの遑なく、機に応じて物に合するの術なり。何ぞ必刀を抜くに限らんや。後世誤って専ら抜刀の法と為すなり。初、剱術と併せ授くるを例とす。然れども、往々両者を区別して教ふる者あり。

林崎甚助流居合の傳書
片山流居合の伝書
田宮流の伝書
柔術

柔術は、柔能く剛を制するの義にして、赤手敵に対するの術なり。然れども、応用の上、或は刀剱、或は挺棒、其の他十手・捕縄等種々の器具を要する者あり。其の術の称に至っても、亦躰術・體術・小具足・腰廻り等種々ありと雖も、概してこれを柔術の部属に加ふ。

竹内流の傳書
楊心流柔説
大江先生基業碑銘
古流楊心神道流の伝書
起倒流柔術鎧組討の傳書
諸賞流の傳書
柳生心眼流の伝書
竹内三統流の伝書
新心無手勝流居合の伝書
其外

祢津家獫飼の伝書



肥後熊本藩星野家文書

熊本藩士星野角右衛門(初代)は伯耆流居合・四天流組討・揚心流薙刀の三藝を数多の門弟に指南していたことで一家を立てます。この三藝を星野家代々が継承し指南しました。

長年に渡る三藝の指南方出精によって新知百石を下された星野龍助(二代目)、幕府時代最後の三藝師役星野如雲(三代目)、維新の変動によって急速に衰退していく武藝を再興せんと尽力した星野九門(四代目)、そして道統を継いだ星野龍太(五代目)

星野如雲(三代)上京道中日記 文久三,四年
伯耆流居合の伝書
伯耆流居合の草稿
四天流組討の伝書
揚心流薙刀の草稿

星野龍太翁の三藝に関する草稿は、現存する書簡の下書によって筆跡に相違ないことを確認しました。


陸奥仙臺藩石川家文書

石川家文書は、瀧本流書法・種田流槍術・真影山流居合・渋谷流釼術・眞極流柔術の五藝を指南した仙臺藩士石川光實(石川家八代目)の傳書群によって構成されます。

真影山流居合の傳書
真影山流居合の手数書(一)
真影山流居合の手数書(二)
真影山流極意之巻
真影山流極意之巻 訳文
眞極流柔術の傳書
真極流柔術の手数書(一)
真極流柔術の手数書(二)
中臣流手裏釼の傳書


丹波綾部藩田口家文書

綾部藩の田口家は、三代にわたって一刀流をしました。この一刀流は杉浦正景以来の的伝を継承する笠間藩の杉浦家と、その分家たる平藩の杉浦家に師事したものです。 初代杉浦正景は古藤田俊定に一刀流を学び奥義を究め、独自の傳書体系を成したことから杉浦派と云い区別しております。

杉浦派一刀流概説
杉浦派一刀流の傳書
杉浦派一刀流の註釈書 文化編
杉浦派一刀流の註釈書 文政編
常陸笠間藩の一刀流師役 杉浦素水の書簡
唯心一刀流の傳書
唯心一刀流の註釈書
一刀流覚書
唯心剣法初學書
鐘巻外他通宗剣法哥仙
種田流鎗術の伝書


丹後宮津藩中嶋家文書

曾て九州の久留嶋家に仕えた中嶋重澄(初代)は、元禄十五年松平資俊公に召し抱えられ御使番となり二十人扶持を下されます。以後精勤し享保十二年には高百五十石を下され町奉行に昇進しました。 中嶋重隆(二代目)は御使者向きの職を勤める傍ら、家傳の天神流劒術を密かに指南しました。藩の下問によって作成された由緒や門弟の起請文が現存しています。 中嶋重賢(三代目)中嶋重喬(四代目)の両人に関する史料は少ない乍ら、御武具奉行・御物頭を勤めた際の記録が現存しており無事に家禄を継いだことが分っています。 幕末の当主は、諸藝を修め實相當流鑓術の世話役を勤めた中嶋重桓(五代目)と、慶應二年の長防御征伐に従軍した中嶋重晧(六代)です。

中嶋重隆(二代目)が密かに指南した 天神流劒術の文書
中嶋重桓(五代目)が世話役を勤めた 實相當流鑓術の文書
中嶋重晧(六代目) 長防御征伐従軍記録 慶應二年



播磨姫路藩三俣家文書

三俣家は関流炮術師役関軍太夫の養子であった三俣勝次(初代)に始まります。三俣勝次は、酒井忠挙公に召し抱えられ御鉄炮奉行と二十五人の鉄炮指南組の兼帯を命じられ関流を指南します。持屋敷のほかに鉄炮稽古場を与えられ、且つ神當流馬術の指南もしていたことから馬場并びに馬繋場等も与えられました。よほど練達の士であったらしく格別の待遇です。 しかし、三俣家に於ける関流の継承は途絶し、再び三俣家から炮術家が現われるのは、勝次から五代を経た三俣義陳(六代目)のときです。三俣義陳は、家中の御流義不易流炮術の十代目師役となり、家中の士はもとより殿様への指南も勤めました。現存する文書の多くはこの人物の代に作成されたものです。

不易流炮術の祖 武内頼重の足跡
不易流炮術の祖 武内頼重の書簡扣
酒井忠擧公平常の御行跡
播磨姫路藩 不易流炮術の門弟
無外流の伝書
不易流炮術師役 三俣義陳(六代目) 天保五午年日記
不易流炮術師役 三俣義陳(六代目) 天保六未歳日記
不易流炮術師役 三俣義陳(六代目) 安政三年江戸日記
加賀藩生沼家文書

加賀藩の武学校「経武舘」に出座し多宮流居合を指南した生沼曹照(八代目)生沼曹傳(九代目)、生沼曹貫(十代目)、三代にわたる史料です。

多宮流居合の傳書
加賀藩武学校 経武舘に於ける多宮流居合


上野伊勢崎藩後藤家文書

伊勢崎藩士後藤一雄は、直心影流を同藩の師役澤浦盛道に、気楽流體術を同藩の師役齋藤在寛に学び、両流共に免許皆傳を相傳されます。御一新後も武藝を棄てず、同地の縣令の許しを得て両流を指南しました。

直心影流の傳書
氣樂流の傳書


羽前太田家文書

村山郡後澤村の名主太田幾右衛門(幾右衛門家三代目)は、三十一歳のとき柳生心眼流兵法書を傳授されます。武術は士・卒のみに限らず百姓も執行しました。神道無念流撃剱舘の主岡田十松が同地を訪れたときは、太田氏を頼りにしていたことが現存する書簡によって確かめられます。

柳生心眼流の傳書
神道無念流撃剱舘主 岡田十松の書簡

武術史料拾遺余滴

史料を読んでいて思ったこと、書簡の翻刻、近況などを書いています。

伝書の用意(一)、姫路藩
伝書の用意(二)、尾張藩
伝書の用意(三)、宇都宮藩
伝書の用意(四)、出石藩

平田銕胤の尺牘、近頃の上木事情
鮫島白靏の尺牘、延齢松詩歌集
斎藤弥九郎の尺牘、品川沖測量及大筒鋳造
国友一貫斎の尺牘(二)、天地論
鎌田魚妙の尺牘、末の左類に 被存候

樫原改撰流の鍵鎗
大島流の袋鎗
史料輯録

史料輯録においては、歴史上著名な人物の書簡を掲げ、訳文や周辺情報を附した上で紹介しています。

(1)神道無念流斎藤篤信斎父子の武藝見分日程を取り次いだ藤田東湖の書簡。 (2)當四月は極て何方より歟兵を發候半存候、と攘夷決行が果されない切迫した情勢下に認められた武田耕雲斎の書簡。 (3)戊辰戦争から凱旋して直ぐ各方面に配慮する桂太郎の書簡。 (4)旅順要塞を攻略し英雄となった乃木希典の西南戦争時代の書簡。 (5)頼山陽歿すの報に接し、事後の処置を事細かく依頼した頼聿庵の書簡。 (6)蕉門の血脉を百世につたへ天下一人の宗匠に仕立候半、と蘆元坊達を諭した各務支考の書簡。 (7)肥後熊本藩に於ける雲弘流の祖井鳥景雲の書簡。

凡例
一、掲げている全ての史料は個人が所蔵しており、翻刻はこれら実物を確かめ行っています。
一、史料の片仮名表記を翻刻文では平仮名に改めました。読み易さを考慮してのことです。但し、一部片仮名表記の侭にしたものがあります。
一、漢字の表記は、常用(通用)漢字に拘らず、史料通りに表記することを心懸けています。PCで表記出来ない漢字は、史料の文字を其の侭画像化し表示しています。但し、史料中の漢字の書き方が、通用の漢字と僅かに異なる程度のものは、誤差に目を瞑り画像化せず活字にしています。
一、「之」「者」「江」「茂」「与」「越」、合字の「より」「こと」「とも」「して」「とき」等は平仮名に改めました。但し、「有之」「無之」「而已」「而(して・しかして)」「哉」「歟」や、漢文に於ける表記は史料のまゝです。猶、箇條書のうち平仮名に替えると体裁を崩す処は其の侭にしました。
一、闕字・平出・台頭は素より、改行など出来る限り史料の通り表記しています。但し、初期に作成されたページは違います。
一、史料に於いては文字の大小に著しく差異あるものですが、これを忠実に再現することは大変手間であるため、一部小字を使用するほかは同じ文字サイズです。猶、翻刻文の赤字は史料通りです。
一、現代に於いては通用しない表記であっても、史料の通り表記しました。例 「斗(計)」「性(姓)」「直(値)」等。このほか宛字の類いも訂正せず史料の侭です。一部、意味を解し難いところには管理人註を附しました。
一、踊り字「々」「〃」は、「々」に統一しました。濁点付の踊り字「ゞ」は史料の通りです。
一、踊り字「くの字点」漢字二字以上は「々々」、「くの字点」平仮名二字以上は「ゝゝ」で表記しました。但し、縦書のページにおいては、史料の通り「くの字点」で表記しています。
一、翻刻文の記号は、(印):印章 (判):花押 □:欠損 ■:不読 [ ]:管理人註 を表わします。[ ]:管理人註 の使用範囲は広く、欠字の補記、誤字の訂正、原文のまゝでは解し難い表現の補記、原文の人名を補った[人名]、裏に書かれたことを表わす[裏書]、附紙が貼られていることを示す[附紙]、後から書かれたことをしめす[後筆]、別人が書き込んだ[異筆]、等があります。これ以外の記号、 ・ ○ ● △ ▲ 等は史料の表記に従ったものです。
一、読めない文字の多くは、史料の文字を其の侭画像化し表示しています。但し、PCで表示できない文字も画像化しています。
一、抹消線は原文通りです。抹消を表わす 抹消して書き直された文字は、本文に適宜挿入したり、史料の通り註線を引いて本文の脇に附すなど、PCでは表記が崩れる場合があり未だ方針は定まっていません。
一、振り仮名・割書は史料の通りです。