觀賞:鐵舟山岡高步筆直幅 註一幅 絹本墨書 縱二〇六・五 橫五九・一 明治時代・明治十六年 梅園方竹舊藏 筆者藏/ 此の書は.明治十六年の夏.全生庵の建立に際して越叟義格禅師の需めに應じて揮毫された. 淸きこと玉壺の氷の如し.癸未初夏日.越叟禪師の囑の爲に.鐵舟居士書く.印文.擔雪塡井.山岡鐵太郞印.荷華團. 因陽隱士 令和五年十一月十一日編
觀賞:泥舟高橋政晃筆排悶詩幅 註泥舟高橋政晃筆排悶詩幅 一幅 絹本墨書 縱一三九・四 橫五一・四 明治時代 筆者藏/ 高橋泥舟[1835~1903].德川家の旗本.天保六年二月十七日.德川家の旗本山岡正 業の次男として生れる.德川家定[1824~1858]・德川家茂[1846~1866]・德川慶喜[1837~1913]に仕え.講武所の鎗術指南役を 勤める.自得院流を號し.鎗術を以て世に稱される.從五位下伊勢守に敍任し,浪士取扱を兼ね.後ち德川慶喜の恭順を首唱し.その謹愼に隨って駿府に隱遁す る.明治三十六年二月十三日歿.享年六十九./ 此の排悶詩は.慶應四年十二月.高橋泥舟三十四歲の時の作.小島成齋[1797~1862]に師事して精 通した虞法を以て楷書を書く. 折葦, 影亂,斜陽の路.風潮岸を嚙む,吞み又た吐く.鏡裏流年何そ瞬息.寒雁群飛,歲將に暮れなんとす.沙塵面を撲つ,髮已に皤し.十年陸沈として意蹉跎たり. 橫ふ磨劍膏に在りて得す.言はす,淚痕日〃更に多し.食盡き力窮り猶ほ忍ふへし.兒啼き妻悲しむ,袖爭てか引かん.滿腔の苦辛も亦た安んすへし.人世限り 有るも名盡くること無し.昨日偶然故人を訪ふ.奴粱肉に飽き婢絳裙す.我か平素の活計の拙きを嘲る.今日猶ほ笵叔の貧に苦しみ.造化小兒の禍福を弄ふかこ とし.窮達に關せさるも遲速有り.歸り來る晚村何の看る所か.蕭蕭,翠罩,一叢の竹.戊辰晚冬排悶.澁谷君の矚の爲に.泥舟眞逸.印文.獺是眞.執中庵主.泥舟閑漁. 因陽隱士 令和五年十一月九日編