


この辺は落書きされています

あくまで現状維持を優先し、料紙と料紙の継目が外れていてもそのまゝにしています


煤孫信重、通称の多兵衛は太兵衛とも書く
陸奥仙臺伊達家の家臣
伊達綱村公のとき、元禄八年九月十八日跡式を相続した
今見られる資料で分る履歴はこれだけです
なお、煤孫氏は元を辿れば須々孫(すすまご)氏といって和賀氏の一族で、須々孫義和のとき、煤孫を名乗ったとされています
煤孫信重もこの一族の血をひくと思われます
『長谷川流居合抜剣巻』は、『無双直伝英信流居合兵法 地之巻』に採録されています
その翻刻文の中、「剣要構図」の手前に「一筆啓上~」云々と落書きされている部分もそのまゝ翻刻されているので注意してください

因陽隠士記す
2025.8.17