前回の更新から一ヶ月ほどの時日が過ぎ去り、季節はすっかり冬の様相を呈してきました。
夜な夜なウォーキングをしており、季節の移ろいを如実に感じております。
本編とはまったく関係のない私事ですが、私には二つの趣味があります。
一つは武術に関する古文書、これは言うまでも無く御察しのことかと、そしてもう一つ同じくらい熱量をもって取り組んでいる趣味があり、サイトの更新が滞っているときは、大体そちらの趣味に注力しています。
さて、今回は猿木宗那翁の『小堀流踏水術游術腰水之巻』を。
書かれていることについては言及せず、小堀流踏水術と猿木宗那翁について、その概要をAIによって出力してみました。『肥後武道史』辺りを取り込めば、もっと確度の高い情報になるのかな?と思いつゝ、今回は試みに運用してみます。
小堀流踏水術
1. 創始と伝承地:熊本藩の武術としての確立
小堀流踏水(とうすい)術は、江戸時代初期に小堀長次によって創始されました、日本の伝統的な水泳術、すなわち日本泳法の一流派です。その主な伝承地は、肥後国熊本藩(現在の熊本県)であり、藩主である細川家によって保護・奨励されました。この流儀は、藩校である時習館において、武士が習得すべき武術・軍事技術として正式に採用され、単なる泳ぎではなく、武士道の精神を養う修練としても位置づけられていました。
2. 技術的特徴:実戦と水上での活動能力の重視
江戸時代の小堀流は、その技術体系において実戦性を徹底的に追求していました。最大の特徴は、水中で足を絶えず動かし、水面に身体を垂直に浮かせたまま両手を自由にする「踏水」の技術です。これにより、武士は鎧兜(甲冑)を着用したまま、あるいは武器を保持した状態で、水上で長時間活動・戦闘を行うことが可能でした。さらに、水に浮いたまま静止する「浮身」の技術や、敵船破壊や水中での組討を目的とした潜水術も重視されていました。
3. 役割と教育:武士の精神修養と鍛錬
小堀流の稽古は、単に泳ぎを覚える以上に、武士の精神修養という重要な役割を担っていました。特に、厳冬期に行われる寒中水泳(寒稽古)は、水に対する恐怖心を克服し、極限状況での耐性や胆力を鍛えるための重要な行事でした。また、藩主の御前での水練披露など、格式を重んじる場では、厳格な作法と礼法が要求され、流儀の伝統と武士の品格を維持する要素となっていました。
4. 明治期への継承:伝統の維持と近代への適応
江戸時代を通じて確立された小堀流の技術と伝統は、明治時代に入り、日本の近代化と西洋水泳の導入という大きな変化の中でも存続しました。これは、猿木宗那などの後継者が、その実用性に着目し、教育機関の体育や大日本武徳会などの武道団体を通じて、その価値を再認識・普及させた結果です。小堀流は、江戸時代の実戦的な水術としての性格を保ちつつ、近代の遊泳術教育への橋渡し役も担ったと言えます。
猿木宗那
1. 時代背景と流派の継承
猿木宗那(1849–1912)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活動した日本の水泳家(水泳師範)です。熊本藩に伝わる小堀流踏水術を、第5代師範の小堀水翁から学び、明治9年(1876年)に第6代師範を継承しました。宗那の時代は、武士の時代が終わり、西洋式の体育や水泳が導入される激動の時期であり、伝統的な水術をいかに次世代に継承するかが大きな課題となっていました。
2. 近代教育への貢献と指導法の確立
宗那の最大の功績は、伝統的な小堀流の技術を近代的な指導体系へと進化させた点にあります。彼は熊本県立中学の水泳教師を務めるなど、教育現場で指導にあたり、1901年(明治34年)には『小堀流踏水術遊泳教範』を出版しました。この教範は、従来の口伝中心の指導から脱却し、泳法を分解して段階的に教えるという、近代的な団体訓練に適した教授法を採用しており、日本の水泳指導法に大きな影響を与えました。
3. 武術的権威の確立と「浮身書」の妙技
宗那は、伝統的な水術の価値を公的に認めさせることにも成功しました。明治42年(1909年)には、当時の武術の統括団体である大日本武徳会から、最高位の称号の一つである遊泳術範士の称号を授与されました。また、彼は小堀流の精髄である浮身(水面に安定して浮く)の技術を極め、水に浮いたまま筆で文字を書く「浮身書」の妙技を披露した記録が残されています。この「浮身書」は、小堀流が単なる速泳ではなく、水上での静的安定性や操縦性を極めた武術であることを象徴しています。
4. 総括:伝統と近代の架け橋
猿木宗那は、小堀流踏水術という伝統武術を、明治期という近代化の波の中で消滅させることなく、その技術と精神を体系化し、学校教育や公的な武道団体を通じて次世代へとつなぎました。彼は、江戸時代の武術としての水術と、近代のスポーツ・体育としての水泳との架け橋となった、日本の水泳史において極めて重要な人物であると言えます。
こゝに掲載の『小堀流踏水術游術腰水之巻』は、多分に猿木宗那翁の自筆と見られます。上質にして平滑な料紙に鋭く端正な筆跡、さながら一つの作品を見るようで、とても気に入っている伝書の一つです。
画像だけ掲載しようとしたのですが、何か物足りずAIを使ってみようと思った次第です。
