
肥前島原藩(深溝松平家)の家臣の古文書を整理していると、流派不明の伝書が出てきました

後段に出てくる年紀の通り、時代に相応しい表具です
表具の露出していたところは虫舐めのため、裏地が露わになっており、せっかくの銀彩は僅かにその痕跡を残すのみ

この奥極秘傳の巻一軸は、懇望の人が有るといえども、軽々な判断で授けてはならないと序文に語られています
残念ながら、流派の推定につながる文言は見られません


居合百首、流派を推定し得るとすれば、これらの歌を手掛かりにするほか手段は無さそうです

本来、最も有力な手掛かりとなる伝系には二人の名が列なるのみ
あるいはこの「平田弥市兵衛尉」を流祖とする一派なのかと思われます
武光権大平、「ごんたべえ」と読むのでしょうか、「権太兵衛」など別表記の線も調べましたが該当なし
花押はなぜ入れられなかったのか?
古野氏が所蔵していたことから、この伝書は伝授されたものに相違無く、考えられるとすれば他数巻の伝書と共に伝授されたから、一巻にのみ花押を入れたパターンかと考えています
そして奥書にもう一つの手がゝりが有ります
「コタマヒリヨウケン青葉キヨウロクインタイトラツメ極意なり」
この型の名に共通する流派があれば、推定できそうです
コタマ、ヒリヨウケン、青葉、キヨウロク、インタイ、トラツメの六つに分けられるでしょうか
数日前に発見して、一当て調べましたが、どうも百首から辿るほか答えを得る手段は無さそうです

因陽隠士記す
2025.9.23