江戸時代の古文書・古記録を讀む

片山流『片山久義書簡』を讀む(前)

片山流『片山久義書簡』を讀む

『片山久義書簡:安永五年九月十五日付』筆者藏

こゝに取り上げる『片山久義書簡:安永五年九月十五日付』(筆者藏)は、肥後熊本藩に於いて伯耆流居合・四天流組討・揚心流薙刀の三藝を指南した星野家文書の中の一通です。星野家文書の中において、この一通は星野氏と片山氏とが初めて接觸したときの樣子を傳える特別な意味を持つものです。三藝の師役星野家の初代星野實員は、安永五年七月十八日付の書簡を以て、片山伯耆守的傳の片山家に伯耆流居合の敎示を仰ぎ、これに對して片山久義は安永五年九月十五日付のこの書簡を以て、その懇請に應えました。それでは讀んでみましょう。

御札拜見致し候。□□□□貴意を得候處、秋冷の節、彌御安康に御勤仕成され候由、珎重に存じ奉り候。
先ず書信を受け取ったことを述べ、時候に觸れつゝ、星野角右衞門の起居の無事を述べる。

然らば其元樣御儀、其御家中に於いて片山流居合御師範を御勤め成され候に付ては、流儀筋の儀、定て御心配の御事と慮外乍ら感心仕り候。
前段に云う書信によって、星野角右衞門が細川家の家中において片山流居合の師範を勤めていることを知る。そして、同書信において、流儀に關する相談を持ち掛けられたと察せられる。
*「片山流居合御師範」・・・細川家中に於いては「伯耆流居合」の稱が用ゐられていた。そして、星野角右衞門は師役を藩より仰せ付かっており、公の職務として指南に從事していた。細川家に於いては指南役・師範役のことを師役と云った。
*「流儀筋の儀、定て御心配の御事」・・・具体的に言えば、細川家中に継承されている伯耆流の由緒が正しいものであるか否か。そして、その技法が片山流のものに比して、正しいか否かという不安心。

右に付、野僕儀、曾祖父伯耆的傳を相續の段聞し召され、及び遠境故に色々御手寄(たより)を御求め成され候處。此元町は釘屋助右衞門と申す者、其御地に賣用に罷り越し候段聞し召され、彼者義貴宅□□招き成され、御寬話申□□委敷く御訊問成され、貴□(意)傳達の義をも仰せ付けられ候由。彼者事、八月初旬歸着、御書中持參、忝く落□仕り候。
星野角右衞門は指南役の立場ではあったが、かねて流儀について心配することがあったところ、流儀の的傳を繼承する片山久義の存在を知り、なんとか接觸したいという心づもりがあった。そこに釘屋助右衞門という者が、商用のため岩國から熊本に訪れた。それを知った星野角右衞門はこの者を屋敷に招き、片山家のことを訊問して、さらに傳言と書信とを託した。託された釘屋助右衞門は依賴を果し、片山久義に書信を屆けた。
*「曾祖父伯耆」・・・流祖片山伯耆守久安。片山久義は四代目に當る。

右御執心の儀に付ては、遙々御來駕□下され度く思し召され候間、何分助右衞門迄貴答に及び候樣、御懇書の趣具に承知致し候。
この段、やゝ文脈混線するも、大意に沿えば、星野角右衞門は岩國片山家訪問を希望、使者役の釘屋助右衞門にその諾否を傳えて欲しいという。

其儀に於いて、此方何の相□(隔)候義も之れ無く候へ共、野生業前至て未熟、誠に家祖の遺跡を繼ぎ候迄の身柄に御座候へば、遠路御越し下され候段は、偏に御斷に及び度く。
それに對して、片山久義は別段問題はないが、自分の腕前は至って未熟ゆえ、そのために遠路遙々來られては申し譯ない、と岩國訪問を謝絕したいと云いつゝも、

去り乍ら、元來刀術通家の義に御座候へば、自然は近邊御通行も成され候はゞ、其節御相對して、流儀筋の義を緩々御咄し申□□承り度く御座候間、彼是左樣聞し召され置き候樣存じ奉り候。
しかし、劍客であれば廻國修行もされるであろうから、もし近くを通りかゝったら、その時は此方に立ち寄ると良い、流儀筋のことを咄しましょう、と謙遜して岩國訪問を許可する。あまり來てほしくないように見えるこの文面、實際のところ、片山久義は星野實員からの書信を受け取って直ぐに藩の指示を仰ぎ、許可を得ている。

尤も其內御傳來の御由緖は委曲仰せ聞けられ下さるべく候。如何樣古伯耆遍歷の節よりの御傳統にて御座有るべくと推察致し候へ共、何分今一應貴答、猶又御傳軸の御冩□□□差し越され下され度く存じ奉り候。
岩國訪問が實現するか否かは別として、星野角右衞門が繼承した片山流の由緖は詳しく敎えてほしい、おそらく流祖片山伯耆守が遍歷していたとき、細川家に傳わったと思われるが、傳承の軸などの冩を送ってもらわなければ、確かなことは言えないとのこと。

尤も商人躰にては、萬々一いづれぞ相滯り候樣にも之れ有り候ては、御互ひに如何の義にも御座候へば、大坂御藏屋敷よりの御傳□□は相成り申す間敷きや。左候の時は遲引仕るべき儀も之れ無きに付、自□□御遣□□□御取遣し致し候樣仕り度き心得に罷り在り候間、彼是左樣聞し召され下さるべく候。先は貴答申し上げ度く是くの如くに御座候。恐惶謹言。
書信のやりとりなどは、商人を介すると不意の出來事もあるだろうから、大坂藏屋敷から廻達させれば遲れもなく、(この間蟲損につき省略)、このように心得てもらいたいと。

猶以て、私儀、數馬實子にて、當時彼者跡を相續して、侍輩共の指南を相勤め罷り在り候故、私より貴答に及び候。
數馬とは片山家の三代目久之。自分はその跡を繼承し流儀を代表する者としてこの返答に及ぶと。この文言は、星野實員の書信の宛名が先代數馬の名であった爲。

猶又助右衞門事は、前々私方に立入の者にても御座無き處、過る頃、其御地に罷り越し候節は、段々御懇に成し下され候の由、私よりも宜しく御禮申し上げ候樣相賴み申し候。此段も貴意を得候。以上。
星野角右衞門の使者役となって片山家を訪れた釘屋助右衞門。この者は別に片山家に出入りの商人でもないと念のため前置き、熊本を訪れたときは親切に扱ってくれたことを感謝していると傳聲。

註 太字:譯文 赤字:筆者註

この書簡、實は和田哲也氏が著す所の『近世劍術における訪問修行に關する硏究―片山家文書『星野記』について―』に據れば、「片山家文書」の中の『星野記』に記錄されているようです。本書簡の缺落部になんと書かれているのか、とても氣になります。

參考史料 『片山久義書簡:九月十五日付』筆者藏/『肥後熊本藩星野家文書』筆者藏