

『日本武道大系』の中山吉成伝記について考える-浪人
流祖中山吉成の享年は六十四歳、その生涯の中、仕官していた年数はおそらく二十年に満たないと考えられる。そして、若年のころを除けば、長らく浪人の身分で将軍の旗本や大名の家来に風傳流を指南した。
さて、『日本武道大系』には中山吉成が三度浪人となったという記述がある。(CDは別件)
A「関宿藩主小笠原政信が寛永十七年(一六四〇)に没すると、中山父子は浪人し」<日本武道大系>
B「ここに仕えること十数年、寛文二年(一六六二)松平忠良が没するとまたまた浪人し」<日本武道大系>
C「江州彥根に行き、ここに滯留して藩士の間に槍術を弘めたが、井伊家に奉公の望みを達せず」<日本武道大系>
D「翌年江戸に下ってこの地で槍術を教えることになった。ここで四年を過ごし」
E「かくて十五年間大垣にあったが、天和元年(一六八一)十一月戸田氏信が卒すると、吉成はまたも浪人して」<日本武道大系>
ABEいずれも、仕官した際の主君の卒年=浪人という話。
しかし、致命的な記述の誤りがあり、その結果、論述に矛盾を生じてしまう。
先ず、Bの松平忠良の没年は、正しくは延宝六年(一六七八)。よって、Eのごとく戸田氏信の卒年まで十五年も大垣に仕えたとなると、彦根に行った期間や江戸に滞在した期間について説明がつかず、松平直良の卒年より前に戸田氏信に仕官していたことになる。
誤った卒年に、空白を埋めるように加算される年数、主君の卒年=浪人という安易な発想、<日本武道大系>の記述は、資料として信頼に足る情報なのか?、よく調べた方が良いかもしれない。

『日本武道大系』の中山吉成伝記について考える-修正
前記のごとく、『日本武道大系』の記述が、我々に信頼に足る情報を与えているのかというと、どうもそうではないらしいと分かったところで、『風傳流元祖生涯之事』を参照しよう。
BQ「源兵衛[中山吉成]は其後又所存有て但馬守様[松平直良]へ御暇を願上首尾能御暇被下二度浪人して又江戸へ出て鑓の弟子多く取られたり」<風傳流元祖生涯之事>
EQ「左門様[戸田氏西]御家督被成三四年段々御勝手御不如意に付、御公儀をへられて御家中の諸士大勢御勘略の御暇出さるゝ...元祖も右の内にて御暇被下、則与頭戸田権兵衛より右のことくの一札を取て浪人す」<風傳流元祖生涯之事>
BQは、越前大野藩主松平直良に暇を願って、無事浪人したときの話。年代は記されていないが、『日本武道大系』が言う松平直良の卒年ではなく、存命のときに浪人となった。
EQは、美濃大垣藩主戸田氏西に暇を出されて、不本意ながらも浪人となったときの話。「延宝の大暇」という歴史に残る大規模リストラよりほんの少し前、家督三四年とあることから、「延宝の大暇」の前波と見られる。いずれにしろ藩財政の窮乏のために暇を出されたもので、各人には何の落ち度も無いと証明書が発行された。これもまた『日本武道大系』が言う戸田氏信の卒年とは関係が無い。
『風傳流元祖生涯之事』を子細に読み込み、得られた情報を簡単にまとめると、
1.江戸 浪人 風傳流を将軍の家来や大名の家来に弘める
2.彦根藩 浪人 風傳流を弘める
3.大野藩 仕官・二百石 風傳流を弘める
4.江戸 浪人 風傳流を弘める
5.大垣藩 仕官・二百五十石 風傳流を弘める
6.垂井 浪人 諸国の門弟に風傳流を指南する
7.明石藩 仕官・勘手新田十町 風傳流を指南する
それぞれ、その藩に仕えているときも他所へ出向して風傳流を弘めることもあり、土地に縛られず流儀の普及に努めていた。
こゝで一旦『日本武道大系』の記述に遡り、Cの「井伊家に奉公の望みを達せず」というのは、どうも創作ではないかと見られる。中山吉成に「奉公の望み」が有ったのかどうか、何らかの史料に記されているのか、疑わしい。
そもそも当時の状況を見ると、
「後に彦根の御家中一圓に風傳流の鑓となりたるにも流儀の勢ひ有」<風傳流元祖生涯之事>
「十一ヶ所の鑓小屋は、源右衛門[中山吉成]直弟の内にて、免許を得たる者共面々の屋鋪の内に鑓小屋を立て、手寄々々に弟子を取事十一ヶ所也。此故に御大家也。といへ共、風傳流みち渡りて、此御家中には諸士多く鑓術を心得たる故に、掃部様御槍先強しと見へたり」<風傳流元祖生涯之事>
「彦根の御家中は一圓に風傳流を予[中山吉成]か廣めたり。又津の御家中へは風傳流渡らず。是又御先手の御家なれは風傳流になしたく、幸に某[菅沼政辰]暇の身に成たる間、津へ参る様に」<風傳流元祖生涯之事>
と記されるほど彦根家中において風傳流が盛況であり、当然流祖であり師範である中山吉成推挙の話も出たことだろう。そのような状況であるにもかゝわらず「奉公の望みを達せず」と言うのは正しいだろうか。
同様に、Dの「ここで四年を過ごし」というのも適当に年数を合わせたゞけで根拠が分らない。そして、その年数さえ没年の誤算によって破綻している。
今日はこゝまで。
