武術史料拾遺餘滴:因陽隱士著錄

江戸時代の書を觀る

至德齋鍋島綱茂矦筆士嶺畫并題卷

『至德齋鍋島綱茂矦筆士嶺畫并題卷』筆者藏

今日春意に希み.長樓景光[光景]に惹かる.房[房嶺]巒[林巒]濃黛帶ひ.士嶺[富士山]雲粧淡し.牅[かきね]に映す蘭橈[舩]遠し.軒に遮る竹箔[竹簾]の傍ら.晚霞我か樂を迎へ.興を催し遊望に入る.致德齋主人自ら畫き幷に題す.

印文.水月山雲.伯固.書畫之印.

註一卷三作中の一 帋本墨書 縱二八・四 橫一三一・二 江戶時代・元禄十一年春 筆者藏/ 肥前國佐賀藩の三代目藩主鍋島綱茂矦[1652~1706]は.家臣鍋島命淸の日頃の繁務をねぎらうため.元祿十一年二月晦日.その官舍に訪れて遊んだところ.そのときの眺望に殊の外感動して.これを畫き鍋島命淸に與えた./ この士嶺畫を畫くに至る経緯は.後掲の『士嶺畫記卷』に詳しく記されている./ 鍋島命淸は.元祿十年九月二十九日.鍋島綱茂の參勤出府に御供して佐賀を發足.

至德齋鍋島綱茂矦筆士嶺畫記卷

『至德齋鍋島綱茂矦筆士嶺畫記卷』筆者藏

戊寅[元祿十一年]の春.已に脫に向ふ.而して余[鍋島綱茂侯]休暇の時を賜ること.稍邇きに在り.令夫か近侍長住正兵衞鍋嶌命淸なる者は.職に補されて後ち始て東武に從ひて.述職の行孜孜.執事すること乾乾として倦ます.故約[舊約]によつて渠[かれ]の廨舍に過る.然り而して事務繁雜.物光推遷.半春將に盡きなんとす.故に晦蓂に迎へて以て遊臨す.[鍋嶌]命淸抃躍に堪へす.新に床壁を飾り.厚く盛饌を備へ.此に於いて公勤の勞を慰め.私務の繁を忌みて.而して南面の檐外に望めは.則ち士嶽鮮明にして.而して林巒に抽んて.東隅の櫺間に見ゆ.則ち房嶺杳として蒼くして.而して海瀛に橫はる.窻下の市店の若きに至ては.尾を比し宇を連ね.貴賤絡繹し.輿馬相續く.觀を改め心を遊し以て鬱情を散す.命淸か多日の厚志.余か一時の歡娛に託すと謂つへし.之れに感して之れに喜ひ.卒に毛穎を秉りて.見る所の景を摹して.畫圖に象り.思ふ所の雅に任せて.吟筆に趣き.以て[鍋嶌]命淸に與ふ.
他日此の事を以て.學士林整宇に語れは.整宇之れを聞き之れを嘉して.且つ瑤語を以て卷端に題せらる.其の文艷麗.其の義深遠也.金聲玉振.豈に又た他に有らんや.吾聞けり.「君の臣を視るや足の如し.則ち臣の君を視るや腹心の如し.」と.誠なるかな此の言や.今整宇形聲述ふる所.影響の事.以て倂せて感すへき也.楊巨源の詩に有りて曰く.「代是文明晝.春當宴喜時.」と.包佶又た曰く.「運籌時被貴.前席禮偏深.」と.偕な是れ魚水相親しみ.風雲相會するの謂ひなるかな.今日の遊ひ.豈に樂しからすや.[鍋嶌]命淸能く忠信を主として.禮讓を守る.整宇の記す所を慮りて.余の示す所を思ひて.而して百慮千思して.聊かも忘失すへからす.故に時日を經ると雖も.汝の爲に再ひ其の言を綴りて.以て卷尾に書く.元祿十一首夏中浣.藤拾遺伯固筆を採るのみ.肥城の正齋.

印文.弌鑑開.伯固.肥前矦拾遺藤闕之印.

註一卷三作中の一 帋本墨書 縱二八・四 橫一七六・四 江戶時代・元禄十一年四月 筆者藏/ 鍋島綱茂は.『士嶺畫幷題卷』を家臣鍋島命淸に與えて後ち.林整宇[1645~1732]に事の經緯を話したところ.林整宇は思いのほか興を覺えて.この事を文にして卷端に附した.そのため鍋島綱茂も改めて事の經緯を文にして卷後に附した.これ則ち此の『士嶺畫記』である./ 孟子告齊宣王曰:「君之視臣如手足.則臣視君如腹心.君之視臣如犬馬.則臣視君如國人.君之視臣如土芥.則臣視君如寇讎.」/ 唐代楊臣源の「春日奉獻聖壽無疆詞十首」の一:「代是文明晝,春當宴喜時.壚煙添柳重,宮漏出花遲.漢典方寬律,周官正采詩.碧宵傳鳳吹,紅旭在龍旗.造化膺神契,陽和沃聖思.無因隨百獸,率舞奉丹墀.」/ 唐代包佶の「奉和柳相公中書言懷」:「運籌時所貴,前席禮偏深.羸駕歸貧宅,攲冠出禁林.鳳巢方得地,牛喘最關心.雅望期三入,東山未可尋.」

徂徠物茂卿先生筆陋室銘卷

『徂徠物茂卿先生筆陋室銘卷』筆者藏

山は高に在らす.仙有らは則ち名あり.水は深きに在らす.龍有らは則ち靈あり.斯[こゝ]は是れ陋室にして.惟[たゝ]吾か德のみ馨(かんは)し.笵痕は階を上つて綠.草色は簾に入って靑.談笑に鴻儒有り.往來に白丁無し.以て素琴を調へ.金經を閱すへし.絲竹の耳を亂す無く.案牘の形を勞する無し.南陽の諸葛か廬か.西蜀の子雲か亭か.孔子云く.「何の陋しきことか之れ有らん.」と.茂卿書く.

印文.不迷者心不朽者文.物茂卿印.甲斐國掌書記.

註一卷 帋本墨書 縱二九・一 橫四〇三・一 江戶時代・寳永頃 筆者藏/ 荻生徂徠[1666~1728].徂徠學派の祖.寬文六年二月十六日.上野國館林藩の侍醫荻生方庵の次男として生れる.柳澤吉保[1659~1714]・柳澤吉里[1687~1745]に儒臣として仕え.後ち復古の學・古文辭の學を提唱して一世を風靡し.大宰春臺・服部南郭・安藤東野・山縣周南・平野金華等.天下の俊秀がその門に集う.享保十三年一月十九日歿.享年六十三./ 此の『陋室銘卷』は.「甲斐國掌書記」の印文を手掛りにすれば.荻生徂徠が主君柳澤吉保に命じられて.甲斐國の調査に從事した寳永期以降の揮毫と察せられる./ 「陋室銘」は.唐代劉禹錫[772~842]の作.

廣澤細井知愼先生筆七律詩卷

『廣澤細井知愼先生筆七律詩卷』筆者藏

古風鄙言一章.
木老先生[木本惣五郎]七袠[七十歳]にして懸弧の辰[男子出生]を慶し奉り.伏して郢政を祈る.
扶桑数〃見る百歳の老.佗を笑ふ周家絳縣を誇る.況や復た掛冠[隠居]の隠君子なるをや.七旬にして朱顔壮年の如し.道存り東魯の三千子.名在り丹臺の第一僊.慚つ我と君と甲子を同にす.白首猶ほ未た歸田を賦さす.君に期す他日天台上.對床して同に讀まん金匱篇.
歳は丁未[享保十二年]に在り.夏六月.通家晩弟廣澤滕知愼公謹父敬て書く.

印文.千代古道.細井知愼.公菫.

註一卷三詩書中の一 帋本墨書 縱二八・一 橫一二四・六 江戶時代・享保十二年六月 筆者藏/ 細井廣澤[1658~1735].朱子學派・陽明學.萬治元年十月八日.遠江國掛川藩士玄佐の子として生れる.柳澤吉保[1659~1714]に儒臣として仕え.後ち致仕して.また幕府に仕え條制の編修に從事する.諸藝に通じ.殊に手蹟に通曉して世に名あり.享保二十年十二月二十三日歿.享年七十八./ 細井廣澤は.筆蹟を北島雪山に學び.趙子昂・文徵明の書法を硏窮し.平林靜齋・關鳳岡・三井龍湖・飯田百川等を門下に輩出する.書に關する著書に『紫微字樣』『篆體異同歌』『碑字考證』『撥蹬眞詮』『觀鵞百譚』『萬象千字文』等有り./ 木老先生=木本惣五郞は.會津藩士.

東涯伊藤長胤先生筆南獻象五古一篇橫幀

『東涯伊藤長胤先生筆南獻象五古一篇橫幀』筆者藏

享保戊申[十三年]廣南[かんなん]馴[じゆん]象を獻す.己酉[十四年]四月廿六日京に入る.詩以て之れを紀す.
大造群品を育む.洪纖[大小のもの]各區有り.靈椿虗傳の壽.鯤鵬談するも亦た迂なり.惟に象は獸倫を超ゆ.厥の狀最も魁梧なり.土性南荒[南方荒凉遙遠の地方]より出つ.萬里の風氣殊なり.乃ち能く爾[そ]の尾を燧し.道に休み其軀を焚く.群盲評象天篤[印度]種寔に繁し.蓄に騎ること牛驢の如し.旣に三獸の渡るに比す[三獸渡河三乘の修行に深淺があることを兎・馬・象が川を渡るさまにたとえたもの.].又衆盲摸するを說く[衆育摸象經].曩昔應永年.貢與鸚鵡俱[應永十五年南蠻來朝して黑象三頭と鸚鵡とを齎した.].紀傳實を詳らかにせす.相像して徒らに按圖す.方今丁昌運.醲化して海隅に逼る.異世絕域より來る.文錦自勾吳.又廣南界を見る.底貢遠く桴に乘る.潭數と綿豢と.象奴を羪敎す.葛蕉及ひ占稻餵飼秣芻に代ふ.控勒するに別無し.一杖を具ふ.形殳の如し.拜跪して人語を觧す.行止指呼に隨ふ.前年長崎に抵り.今夏洛都に駐る.轔囷[象鼻下垂貌]其鼻を彎けれは腫[踵]を擁し其跗を㨕ふ.沿路の人堵觀するもの街に塡ちて.人衢に溢る.異物幸ひに目擊す.宏覽すれは构を破るに足る.伊藤長胤作る.

印文.東涯.

註一幅 帋本墨書 縱二七・九 橫四二・七 江戶時代・享保十四年 鴻齋居士厪鍳倂題籤 筆者藏/ 伊藤東涯[1670~1736].堀川學派.古義堂二代目.寬文十年四月二十八日.伊藤仁齋の長男として生れる.家學を紹述し.硏究と敎授とに專念し.その傍ら著書五十餘に及び.家名を高める.元文元年七月十七日歿.享年六十七./ 南蠻の獻象は.享保十三年六月十三日.長崎に入津.享保十四年三月十三日.長崎を發足.同年四月二十六日.入京.

柳莊山縣昌貞先生筆七律詩卷

『柳莊山縣昌貞先生筆七律詩卷』筆者藏

東西に祇役[奉命任職]すること五百程.趨陪[趨承陪侍]して還って會津の城に向ふ.蹄を飜し輕く蹈む 寒雲去る.劍を帶び遙かに凌く 朔雪[北方の雪]鳴る.適意只だ應に菊徑を尋ぬへきのみ.歸心[望郷の念]豈に蓴羹[故郷の味]を思ふに在らんや.嗟[あゝ]君に邂逅す 絲竹に緣り.幾日か更に聞かん 雙鳳の聲を.右木本君兄弟の大翁より會津に歸するを送り奉る.峽中山縣昌貞.

印文.白雲深處.昌貞之印.婆娑虖術藝之場休息呼篇籍之囿.

註一卷三詩書中の一 帋本墨書 縱二八・0 橫六四・〇 江戶時代 筆者藏/ 山縣柳莊[1725~1767].享保十年.甲斐國巨摩郡篠原村に領藏の次男として生れる.大岡忠光[1709~1760]に儒臣として仕え.後ち致仕して.江戶に塾を開き國典・兵學等を敎授する.尊王斥霸の說を高唱し.且つ幕政を批判して憚らず.門弟千人に及ぶと云い.諸侯に賓師として遇される.明和四年八月十二日歿.享年四十三./ 木本君兄弟は.會津松平家の臣.當七律と與に裝瀇された他者の詩書中に木本惣五郞の名あり.

東江澤田鱗先生筆蘭亭敍卷

『東江澤田鱗先生筆蘭亭敍卷』筆者藏

永和九年.歲癸丑に在り.暮春の初め.會稽山陰の蘭亭に會す.禊事を脩むるなり.群賢畢く至り.少長咸[みな]集る.此の地.崇山・峻領・茂林・脩竹有り.又淸流・激湍有りて左右に暎帶す.引て以て流觴の曲水と爲し.其の次に列坐す.絲竹管弦の盛無しと雖も.一觴一詠.亦以て幽情を暢敍するに足る.是の日や天朗氣淸.惠風和暢す.仰ぎて宇宙の大なるを觀て.俯して品類の盛なるを察す.目を遊ばせて懷ひを騁する所以にして.以て視聽の娛しみを極むるに足る.信に樂しむべき也.夫れ人の相與に一世に俯仰するや.或は諸れを懷抱に取りて.一室の內に悟言して.或は託する所に因寄して.形骸の外に放浪す.趣舍萬殊にして.靜躁不同と雖も.其の遇ふ所を欣び.蹔く己に得るに當りて.怏然自足して.老の將に至らんとするを知らず.其の之く所旣に惓み.情事に隨ひて遷るに及びて.感慨之れに係る.向[さき]の欣ぶ所.俛仰の間.以て陳迹と爲る.猶ほ之れを以て懷ひを興さゞる能はず.況んや脩短化に隨ひて.終に盡るに期するをや.古人云く.「死生も亦大なり.」と.豈に痛ましからずや.每に昔人感を興すの由を攬[み]れば.一契を合するが若し.未だ甞て文に臨みて嗟悼せずんばあらず.之れを懷に喩ること能はず.固[まこと]に死生を一にするは虛誕爲り.彭殤を齊しくするは妄作爲るを知る.後の今を視るも.亦由[な]ほ今の昔を視るがごとし.悲しきかな.故に時人を列敍して.其の述ぶる所を錄す.世殊なり事異なると雖も.懷ひを興す所以は.其の致一也.後の攬る者も.亦將に斯の文に感ずる有らんとす.

晉書王羲之傳に云く.「逸少[王羲之の字]同志と會稽山陰の蘭亭に宴集す.自ら之れが爲序して.以て其の志を申ぶ.」穆帝の永和九年癸丑を顧みれば.今を去ること一千四百三十六年.蘭亭已むと雖も.玉石・碑版・斯文實を喪はず.不朽の盛事かな.茲歲癸丑[寛政五年]暮春の初囘.此の卷に臨[うつ]し之れに及ぶ.東江源鱗文龍幷に題す.

印文.來禽.源鱗之印.字文龍.源鱗.

註一卷三作中の一 帋本墨書 縱二八・八 橫一一八・五[罫枠 縱二五・三 橫一一〇・一] 江戶時代・寛政五年三月上旬 筆者藏/ 此の蘭亭敍は.松尾澱城の爲に揮毫された三作の中の一./ 澤田東江[1732~1796]は.書を高頤齋に學ぶ.王寵・文徵明を慕うも.後ち王羲之・王獻之に傾倒して書風を確立し.世に東江流と稱される./ 「拙者は何を崇尙仕.諸生をも敎誨仕候哉と預御訊問候.拙者祖述仕候は.晉の王右軍にて御坐候.漢にの張芝.魏の鍾繇.唐にては.虞永興.褚河南.陸柬之までを用ゐ候.其仔細は.書家にて王羲之と申せば.儒家の孔子にて御坐候.佛者の釋迦にて御坐候.」<『東江先生書話附錄』橋本圭橘編錄>

春水賴惟完先生筆春江花月夜詩卷

『春水賴惟完先生筆春江花月夜詩卷』筆者藏

春江の潮水[てうすい]海[かい]に連[つらなつ]て平らかなり.海上の明月潮[うしほ]と共に生す.灔灔として波に隨ふ千萬里.何れの處か春江月明無からん.江流宛轉として芳甸[はうてん]を遶[めく]る.月花林を照らして皆霰[せん]に似たり.空裏の流霜[りうさう]飛ふことを覺へす.汀上の白沙看れとも見へす.江天一色纖塵無し.皎皎[けうゝゝ]たり空中の孤月輪[りん].江畔何ん人か初めて月を見る.江月何れの年か初めて人を照らす.人生代代窮り已むこと無し.江月年年望[のそみ]相ひ似り.知らす江月何ん人か照す.但見る長江流水を送ることを.白雲一片去て悠悠.靑楓[せいふう]浦上[ほしやう]愁へに勝へす.誰れか家そ今夜扁舟の子.何れの處か相ひ思ふ明月の樓.憐れむ可し樓上月徘徊.離人[りしん]の粧鏡臺[さうきやうたい]を照らす應し.玉戶簾中卷けとも去らす.擣衣[たうい]砧上[ちんしやう]拂へとも還た來る.此の時相ひ望めとも相ひ聞かす.願くは月華を逐ふて流れて君を照さん.鴻雁長く飛んて光り度[わた]らす.魚龍[きよりやう]潛躍[せんいやく]水文[ふん]を成す.昨夜閒潭[かんたん]落花を夢む.憐れむ可し春半家に還らさることを.江水春を流して去て盡んと欲す.江潭の落月復た西に斜めなり.斜[月][しやけつ]沉沉として海霧に藏[かく]る.碣石[けつせき]瀟湘[せうしやう]限り無き路[みち].知らす月に乘[しやう]して幾はく人か歸る.落月情を搖[うこか]して江樹に滿つ.文化元年甲子三月.春水賴惟完.

印文:春水.賴惟寬.千秋氏.

註一卷 絹本墨書 縱二六・六 橫三五七・〇 江戶時代・文化元年三月 筆者藏/ 譯文は.南郭先生辨『唐詩選國字解』に據る./ 賴春水[1746~1816].暗闇學派.延享三年六月三十日.安藝國賀茂郡竹原の賴享翁の子として生れる.混沌社に入り詩名を高め.片山北海・葛蠹菴等と交友し.また大坂に私塾を開き.尾藤二洲・古賀精里・中井竹山・西山拙齋等と交友する.後ち淺野重晟[1743~1814]に儒官として仕え.藩學を朱子學に統制する.文化十三年二月十九日歿.享年七十一.

栗山柴野邦彥先生筆觀水車詩幅

『栗山柴野邦彥先生觀水車詩幅​』筆者藏

一水輪に隨て自由を得る.缾缾傾瀉して竟に休むこと無し.花を帶て捲去す三春の浪.涵月引來す千里の流.將帥曾て供す軍裏の湯.黎民已に療ゆ早時然り.幹たり放にす必すしも人力を借らす.喔喔の聲寒し古渡の頭.水車を觀る.栗山書く.

印文.關防佚.柴邦彥.柴邦輔.

註一幅 帋本墨書 江戶時代 筆者藏/ 柴野栗山[1736~1807].朱子學派.元文元年.讚岐國三木郡牟禮村に柴野平左衞門の子として生れる.蜂須賀治昭[1758~1814]に儒官として仕え.京に住み西依成齋・赤松滄洲・皆川淇園等と交友する.後ち幕府に召し抱えられ昌平黌の儒官となり.程朱の學を奉じ.寬政異學の禁を主導する.また西の丸に侍讀となり.將軍世子に學を授ける.文化四年十二月一日歿.享年七十二.

恭齋市河三千先生筆送高閑上人序

『恭齋市河三千先生筆送高閑上人序』筆者藏

苟も以て其の巧智に寓するべくんば.機をして心に應じ氣を挫かざらしむれば.則ち神完ふして守ること固し.外物至ると雖も心に膠せず.堯.舜.禹.湯天下を治む.養叔射を治む.庖丁牛を治む.師曠音聲を治む.扁鵲病を治む.僚の丸に於ける.秋の奕に於ける.伯倫[劉伶]の酒に於ける.之れを樂しみて身を終へるを厭はず.奚ぞ外慕に暇あらんや.夫れ外慕を徙らに業とする者は.皆其の堂に造らず.其の胾を嚌まざるものなり.
往時.張旭艸書を善くす.他伎[技]を治めず.喜怒.窘窮.憂悲.愉佚.怨恨.思慕.酣醉.無聊.不平.心に動き有らば.必ず草書に於て之れを發す.物に於ては山水.崖谷.鳥獸.蟲魚.草木の花實.日月列星.風雨水火.雷霆霹靂.歌舞.戰鬪.天地事物の變を見るに.喜ぶべし愕くべし書に一寓す.故に旭[張旭]の書は變動すること猶鬼神のごとし.端倪すべからず.此を以て其の身を終へて後世に名あり.
今.閑[高閑]の草書に於て旭の心有らんや.其の心を得ずして其の跡を逐ふ.未だ其れ旭を能くするを見ざるなり.旭と爲るに道有り.利害を必ず明らかにし.錙銖も遺す無し.情中に炎へ.利と欲と進みて鬪ふ.得る有り喪ふ有り.勃然として釋せず.然る後書に一決して後旭に幾かるべきなり.
今.閑[高閑]浮屠氏[佛陀]を師とす.死生を一にし[生死を度外視する].外膠を解す.是れ其の心となり必ず泊然たれば起つ所無く.其れ世に於て必ず澹然たれば嗜む所無し.泊と淡と相遭ふや.頽墜委靡.潰敗すること收拾すべからず.則ち其れ象無きの書を得る然らんや.然るに吾浮屠人は幻を善くするの技能多しと聞く.閑[高閑]如し其の術に通ぜば.則ち吾知ること能はず.
閼逢涒灘[文政七年甲申]葭月[十一月]下浣[下旬].錄して雲華上人京へ之くを送り奉る.河三千.

印文.弎千.

註三寶密藏卷中の一 帋本墨書 縱二九・四 橫二〇・六[罫枠 縱二六・八 橫一五・三] 江戶時代・文政七年十一月下旬 筆者藏/ 市河恭齋[1796~1833]は.備中庭瀨藩士稻毛屋山の子.後ち市河米葊[1779~1858]の養子となる.小楷を能くすと傳わる./ 『三寶密藏帖』は.文政七年十一月下旬.上人の歸京に際し東都の友人・知己が一卷を製し贐とした.雲華上人遺愛の品/ 「奉送雲華上人之京」は.此の『三寶密藏帖』中の一./ 「送高閑上人序」は.唐代韓愈[768~824]が高閑上人の別離に際して作った一篇の序./ 韓愈は.反佛教家として知られており.市河恭齋が敢えて之れを引いたところに.何かしらの含みがあると察せられる.

旭莊廣瀨謙先生筆春日杯歌直幀​

『旭莊廣瀨謙先生筆春日杯歌直幀​​』筆者藏

越矦[上杉謙信公]の兵を用ふること太た神奇なり.奔電橫掣 疾風吹く.機山[武田信玄公]當時雄傑と稱せらる.猶且つ辟易として敢ては支せす.櫪馬長嘶す 妖氛黑し.鵞鴨驚起す 城外の池.敵師夜に逼て千炬走る.鳴鏑亂飛して寢帷に及ふ.將軍𠮟咤して馬を騁て出つ.勢 虓虎の群麋を驅るか如し.酣戰[激烈の戰爭]歸來して杯を把て飮す.怒鬚颯爽 錐を立つるに似たり.醉眸 酒に暎り月より明し.軍門に槊[長矛]を橫へ新詩を賦す.金谷の罰用ふる所に非す.鐡槍の號 人皆知る.劍舞終宵 將士醉ふ.其れ侑むは維れ何そ兜[かこ]む騮驪ならん.
爾來二百有餘歲.華冑聯綿 北陲を鎭む.酒杯 深く藏す寶庫の裏に.珎重 伍せす尋常の巵に.今矦[有馬賴德侯]德を好み先績を繼く.先生を禮待するに嚴師を以てす.此盃賜て君子の壽と爲す.風前花下 日追隨.先生盃を持て我に勸て飮ましむ.醉ふこと泥の如しと雖も敢ては辤せす.綠陰地に滿ち涼颸起つ.天將に晚んとして盃行遲す.盃中瀲灔 何の見る所そ.新月弓を張り雲旗を捲く.杜鵑花開 紅血を抹るかことし.想像す當年凱宴の時を.春日盃引して樺石梁先生[樺島公禮]の爲に賦す.旭莊廣瀨謙.

印文.○○東太第三家.廣瀨謙印.梅墩.

註一幅 帋本墨書 縱一三二 橫五九 江戶時代 筆者藏/ 廣瀨旭莊[1807~1863].折衷學派.文化四年五月十七日.豐後國日田郡豆田町魚町の博多屋三郞右衞門の長男として生れる.居所を定めず江戶・大坂に據って諸國を遍歷し.屢々諸侯に賓師として遇され.講說・獻策し.世に名を馳せる.また勤王の志篤く.長三洲・柴秋邨・龜谷省軒・藤井藍田・松林飯山等を門下に輩出する.文久三年八月十七日歿.享年五十七./ 廣瀨旭莊は.文政九年四月.久留島藩儒樺島石梁[1754-1828]を訪ねた.

洗心洞主人大鹽後素先生筆王餘姚七絕詩直幅

『洗心洞主人大鹽後素先生筆王餘姚七絕詩直幅』筆者藏

箇箇の人心に仲尼有り.自ら將に聞見せんとせば遮迷に苦しむ.而して今眞頭面を指し與ふるは.只是れ良知のみ更に疑ひ莫し.
魯哀公十有六年[魯の二十七代目君主哀公の即位より十六年目]夏四月十有一日[紀元前四百七十九年四月十一日]孔夫子卒す.幾千年.茲に而して夫子の得人心に在ること.萬古一の如し.人々謙讓して處かず.吁[あゝ]悲しきかな.今亦た王陽明詩の驗する所誣せず.故に文なるかな.子旃[これ]を愼[つゝ]しめよ.于時大日本文政九丙戌春正月十八日.餘姚後學大後素.

印文.致知盡矣.洗心洞主人.源後素印.

大鹽後素翁書幅の後に書す.大鹽後素翁書す所の王餘姚七絕詩一幅は.西讚[讚岐]大氣多君收藏する所のものなり.其の小引數文字[端書]は.後進を激獎するの意至れり.筆力遒健.以て自然發するの風骨秀逸.天機爛漫.展閱の間.人をして仰瞻俯談して.敬することを堪へざらしむるなり.嗟[あゝ]抑[そもゝゝ]翁の人と爲り.眞摯剛毅.夙に餘姚の學を修め.志は時幤を矯めるに在り.憂國の念.每に諸著作に發し.猶ほ未だ以て自ら足れりと爲さず.將に諸行事を徵[こ]らさんとして.遂に以て天保丁酉の變を釀成す.人或は其の自ら顧みざるの迂を笑ふか.吁[あゝ]彼の決や.尋常庸吏の企及する所に非ざる也.今此の幅を觀て感ずる所.其の當時に及び.悵然たること之に久し.明治己未夏日書す.東海道人□泰識す.

註一幅 絹本墨書 縱一四二・二 橫四四・〇 江戶時代・文政九年正月十八日 筆者藏/ 此の王餘姚七絕詩は.明代王陽明[1472~1528]の詩「詠良知四首示諸生」の中の一つ./ 「詠良知四首示諸生」は.諸生に良知を說いた詩./ 後序によれば.大鹽中齋[1793~1837]は.この詩を以て後進を激獎せんとしたとされる./ 著書に『孝経彙註』『孝経講義』『古本大学刮目』『古本大学旁注補』『儒門空虚聚語』『聖賢遺訓』『洗心洞学名学則 付答人論学書略』『洗心洞孔孟学掲示』『洗心洞箚記』あり.

山陽外史賴襄先生筆詠古十五斷句

『山陽外史賴襄先生筆詠古十五斷句』筆者藏

苟も以て其の巧智に寓するべくんば.機をして心に應じ氣を挫かざらしむれば.則ち神完ふして守ること固し.外物至ると雖も心に膠せず.堯.舜.禹.湯天下を治む.養叔射を治む.庖丁牛を治む.師曠音聲を治む.扁鵲病を治む.僚の丸に於ける.秋の奕に於ける.伯倫[劉伶]の酒に於ける.之れを樂しみて身を終へるを厭はず.奚ぞ外慕に暇あらんや.夫れ外慕を徙らに業とする者は.皆其の堂に造らず.其の胾を嚌まざるものなり.
往時.張旭艸書を善くす.他伎[技]を治めず.喜怒.窘窮.憂悲.愉佚.怨恨.思慕.酣醉.無聊.不平.心に動き有らば.必ず草書に於て之れを發す.物に於ては山水.崖谷.鳥獸.蟲魚.草木の花實.日月列星.風雨水火.雷霆霹靂.歌舞.戰鬪.天地事物の變を見るに.喜ぶべし愕くべし書に一寓す.故に旭[張旭]の書は變動すること猶鬼神のごとし.端倪すべからず.此を以て其の身を終へて後世に名あり.
今.閑[高閑]の草書に於て旭の心有らんや.其の心を得ずして其の跡を逐ふ.未だ其れ旭を能くするを見ざるなり.旭と爲るに道有り.利害を必ず明らかにし.錙銖も遺す無し.情中に炎へ.利と欲と進みて鬪ふ.得る有り喪ふ有り.勃然として釋せず.然る後書に一決して後旭に幾かるべきなり.
今.閑[高閑]浮屠氏[佛陀]を師とす.死生を一にし[生死を度外視する].外膠を解す.是れ其の心となり必ず泊然たれば起つ所無く.其れ世に於て必ず澹然たれば嗜む所無し.泊と淡と相遭ふや.頽墜委靡.潰敗すること收拾すべからず.則ち其れ象無きの書を得る然らんや.然るに吾浮屠人は幻を善くするの技能多しと聞く.閑[高閑]如し其の術に通ぜば.則ち吾知ること能はず.
閼逢涒灘[文政七年甲申]葭月[十一月]下浣[下旬].錄して雲華上人京へ之くを送り奉る.河三千.

印文.弎千.

註三寶密藏卷中の一 帋本墨書 縱一0一・九 橫二八・二 江戶時代・天保三年正月四日 筆者藏/ 市河恭齋[1796~1833]は.備中庭瀨藩士稻毛屋山の子.後ち市河米葊[1779~1858]の養子となる.小楷を能くすと傳わる./ 『三寶密藏帖』は.文政七年十一月下旬.上人の歸京に際し東都の友人・知己が一卷を製し贐とした.雲華上人遺愛の品/ 「奉送雲華上人之京」は.此の『三寶密藏帖』中の一./ 「送高閑上人序」は.唐代韓愈[768~824]が高閑上人の別離に際して作った一篇の序./ 韓愈は.反佛教家として知られており.市河恭齋が敢えて之れを引いたところに.何かしらの含みがあると察せられる.

景山德川齊昭公筆霸王樹辭幷序直幀

『景山德川齊昭筆霸王樹幷序直幀』筆者藏

霸王樹辭幷に序.春色闌[たけなは]にして百華飛ぶ.綠葉繁くして賞味乏し.唯伯王[霸王]樹の盛んなる有るのみ.華麗しく莿銳く.文武彬彬たり.黠童體を折る.折れども復た芽ぶく.狂夫根を拔く.拔けども又た活きる.或は玉盆に安んじ.或は糞壤に趍る.淸に居り汚に居る.惟だ其の適ふ所に.方と爲り圓と爲り.人の爲す所に任す.泊泊兮として其の苦辛を知らず.而して堅剛の質は.百折して磨せず.柔順の姿は.物と相和し.其の人を仁壽の域に躋[のぼ]らしむ.亦た宜しからずや.遂に係る辭を以て曰く.「西風起ち.飛華狂ふ.黃菊衰へ.白露涼し.維れ斯の樹や.鬱鬱蒼蒼たり.旣に仁にして壽なり.廼ち霸にして王なり.」と.天保八秊歲次丁酉秋七月五日.舊稾を錄す.景山.

印文.穆如淸風.齊昭之印.子信父.

註一幅 絹本墨書 江戶時代・天保八年七月五日 筆者藏/ 景山公[1800~1860]の草篆は.明代の趙宦光[1559~1625]が創始する所の草篆に似る./ しかし.景山公が舶來した趙宦光の作品などに學んだものか.碑や法帖などに學んだ結果として趙宦光の草篆に似たものか定かでない./ 「宦光篤意歷史之學、創作草篆、盖原天璽碑而小變焉。由其人品已超、書亦不躡遺跡。」<『續書史會要』朱謀璽>/ 而して.趙宦光の草篆は.天璽碑(天發神讖碑)を淵源とすると推察されている./ 景山公の書は.若いころ宍戶の松平賴政公に就いて學び.また蓮華寺の日華上人や家中の士鵜殿淸虛が書の御相手になったと傳えられている./ 侯爵德川圀順公の所藏たる類似の『霸王樹幷序』を圖錄に見ると.これは本文同一乍ら.款識がやゝ相違して.「天保八秊歲次丁酉仲秋錄舊稾」と記される.しかし.なぜか飜刻の方には「天保八秊歲次丁酉秋七月五日」と記される.

愛日樓佐藤坦先生筆自述七律詩直幅

『愛日樓佐藤坦先生筆自述七律詩幅』筆者藏

近ころ幽棲を墨水[隅田川]の涯[きわ]に築く.豈に圖らんや今日公車に赴くを.聖明普く照らし珠礫を分ち.文武兼ね收め免罝を施す.比せず蟠桃初めて結實するに.恰も同し枯枿再び芽を生するに.老吾願は書香をして繼かしめん.一經に侍し餘一家を傳ふ.保卯孟秋.一齋主人坦.

印文.用之則行舍之則藏.佐藤坦大道自號弌齋江都人.文政四年辛巳三月朔日月五星聚室璧次曆家謂之合璧聯珠係坦於五十時事

註一幅 絹本墨書 江戶時代・天保十四年七月 筆者藏/ 佐藤一齋[1772~1859].朱子學派・陽明學.安永元年十月二十日.美濃國岩村藩家老佐藤文永の次男として生れる.文化二年.林述齋が林家を繼ぐや.同家の塾長となる.退官後の文政九年.松平乘美[1791~1845]のとき老臣に擢んでられ藩政に參與し.天保十二年.昌平黌の敎授となり.門下三千人.その敎を請う諸侯數十家と云われる.當代一流の人士がその門に入り.佐久間象山・林鶴梁・大橋訥庵・安積艮齋.山田方谷・吉村秋陽・奧宮慥齋・橫井小楠等を輩出する. 安政六年九月二十四日歿.享年八十八./ 佐藤一齋は.天保十二年.古稀を以て公務を退き.岩村侯の矢藏の所有地を借りて.靜修所という一書室を構え.東瞹樓という一樓を建てゝ隱棲する./ しかし.隱棲して間もない天保十二年十一月二十六日.幕命を以て再び昌平黌の敎授となる.このとき三つの七律を賦した. その中の一つが當七律である.

小竹散人篠崎弼先生筆北畠氏戎衣歌未定稿橫幅

『小竹散人篠崎弼先生筆北畠氏戎衣歌未定稿橫幅』筆者藏

北畠氏[北畠親房]戎衣歌.後藤碩田の爲に.
古來將相儒風を兼ぬ.千載獨身諸葛公のみ.我か北畠公王事に勞す.何そ其れ世を隔てゝ畧相同し.維昔建武中興の日.天步猶艱天下裂つ.公論正統君心を格す.半璧偏安賊未た滅ひす.延尉[楠正成]西のかたに敗れ中將[千種忠顕]北す.宛も關趙の各蹉跌するか若し.託を受け鞠躬して幼主を輔く.海陸に苦戰して播越幾し.兒子皆能く王氣に敵ふ.忠孝身を致して大節を全ふす.
碩田古を訪ひて帝幾に來る.我に當時の一戎衣を示す.珍重實に是れ公家の物.他年之れを南山の陲に得る.因て南北旣に講和するを憶ふ.公家巍然として勢の國司たり.九世運盡天正の際.嗟くへし喪兦して復た遺るもの無きを.遺物猶ほ師將士を想ふかことし.翊衞王室威儀を肅す.果して誰か爲の紅絨綠縚か.古色存す芳野の花落つ.殘花有り.君は見すや.室町將軍十三世.封狼生貙權勢を竊む.如今狗臝食餘あらす.豈に其の鬼に問んや餒へて厲[癩]を爲すかと.嗚呼.公の正氣天地に滿つ.關城の書.出師表と比すへし.平日書を讀て感憤の餘り.今戎衣に賦して更に淚を流す.小竹散人.未た稿を定めす.

註一幅 帋本墨書 縱二七・五 橫五七・九 江戶時代・天保頃 筆者藏/ 篠崎小竹[1781~1851].徂徠學派→朱子學派.加藤周貞の次男として生れ.篠崎三島の養子となり.その家塾を繼ぎ名を馳せた.嘉永四年五月八日歿.享年七十二./ 後藤碩田は.豐後の人.裕福な商家に生れ.古玩を愛すること甚しく.中ん就く南朝・豐太閤に關わる品を收集していたと傳わる.「古器物を愛し、南朝の遺物、豐太閤桃山の遺什等は、之れを購求するに千金を吝まず、貯藏する所頗る多かりき.」/ 則ち.此の「北畠氏戎衣歌」は.後藤碩田が尤も愛した南朝の遺物「北畠氏の戎衣」を文にしたもので.想像するに.後藤碩田は.奈良の地に戎衣を獲て.後ち京地の篠崎小竹にこれを見せて詩を囑したものか./ 此の「北畠氏戎衣歌」は.「未定稿」.則ち草稿にて.稿定まった後の作品は.奈良縣立圖書情報館の「北畠男爵家關聯資料」にあり.これは天保十四年とされている./ 「天步猶艱」.『白華』の一節.「英英白雲.露彼菅茅.天步艱難.之子不猶.」/ 「封狼生貙」.唐代李商隱の『韓碑』の一節.「淮西有賊五十載.封狼生貙貙生羆.」./ 「爲厲」.『戰國策:晉畢陽之孫豫讓』の一節.「豫讓又漆身爲厲」./ 「關城之書」は.常陸國關郡の關城に籠城していた北畠親房が.南朝方の有力武將結城宗廣の子である親朝に對して充てた書狀を指す.

海屋貫名苞先生筆般若心經卷

『海屋貫名苞先生筆般若心經卷』筆者藏

般若波羅蜜多心經
觀自在菩薩.行深般若波羅蜜多時.照見五蘊皆空.度一切苦厄.舍利子.色不異空.空不異色.色即是空.空即是色.受想行識亦復如是.舍利子.是諸法空相.不生不滅.不垢不淨.不增不減.是故空中無色無受想行識.無眼耳鼻舌身意.無色聲香味觸法.無眼界乃至無意識界.無無明亦無無明盡.乃至無老死亦無老死盡.無苦集滅道.無智亦無得.以無所得故.菩提薩埵.依般若波羅蜜多故.心無罣礙.無罣礙故.無有恐佈.遠離顛倒夢想.究竟涅槃.三世諸佛.依般若波羅蜜多故.得阿耨多羅三藐三菩提.故知般若波羅蜜多.是大神咒.是大明咒.是無上咒.是無等等咒.能除一切苦.真實不虛.故說般若波羅蜜多咒.即說咒曰.乙巳(弘化二年)の冬日.貫名苞右軍[王羲之]の筆意に倣ひて書く.

註一卷 帋本墨書 縱二五・一 橫二六九・九 江戶時代・弘化二年冬 筆者藏/ 箱蓋に.貫名海屋[1778~1863]自ら題字した舊蓋木を嵌め込む.

小竹散人篠崎弼先生筆壇浦懷古・古琵琶引詩卷

『小竹散人篠崎弼先生筆壇浦懷古・古琵琶引詩卷』筆者藏

壇浦懷古
九郞の兵を用る風雨の如し.平氏の群艦落葉舞ふ.七島八島誰か能く支へん.鏖戰覆沒す檀之浦.嘆す可し兩家私かに難を構まへ.竟に致す宋末厓山の看.波底復皇宮を見す.蕭寺蕭然古岸に俯す.嚴島神に祈つて消息無し.育王金を施して何の功德そ.高明久しく鬼神に瞰はる.夷滅自ら取る誰か救くひ得ん.萬國の守護諸源に屬す.一龕の香火至尊を記す.我來つて古を弔し水濱に問ふ.但た見る寒潮の滿ちて又乾くを.

古琵琶引.
名は朝千鳥.淡州稻田氏藏する所.先君の記有り.
朝千鳥兮夕千鳥.誰か琵琶に名けて雅音を賞す.道ふ是れ少納言淸女.雙張竝ひ貯へて玩愛深し.」傳へて平氏に至つて西海に隨ふ.煙波漂沒所在を失ふ.豈に圖らんや其の一君か家に在んとは.檀槽恙無し九百載.」又聞く御庫其の一を藏すと.彼れは夕是れは朝形相ひ匹す.應に是れ鬼神寶器を護するなるべし.明時再ひ人間に向つて出つ.」鳳頸龜腹幸に弊れす.哀音過るを感す幾く亂世.試に四絃を撫して昔時を憶ふ.事事誰か能く垂涕せさらん.」君聞かすや平氏の前藤の師長.妙音能く識る國の興亡.流離數〃罹かる家門の禍.始めは土州に竄せられ後は尾張.」又聞かすや淸盛の姪藝超絕.數曲悲壯凶門の別.靑山返し奉る親王の賜もの.白刄能く全ふす臣子の節.恨む可し中將美にして且つ雄なり.一敗懺悔源空に託す.徒らに咏す楚歌四面に起ると.見す激刎重瞳を働するを.」爾來戰跡樂府[がふ]に入る.世俗流傳蒙瞽に付す.其音噍殺聞くに堪へす.調を改ため且つ按す古樂府.」嗟す汝んち琵琶情有るか如し.舊聲猶存す淸女の淸.朝千鳥兮朝千鳥.須磨夢覺めて淡山靑し.」

余草書を學はす.十數日前此詩數行を書きて.自ら其醜を恥ちて止む.今朝雨後微涼.興來て禿筆を揮ひ續ひて書き.較[やゝ]觀る可きと爲す.然れとも亦自らを欺き.且つ人を欺くのみ.子文[山中獻]其れ余か爲めに拙を藏せ.乙巳[弘化二年]七夕前三日.小竹散人弼.

註一卷 帋本墨書 縱四六・二 橫七四四・三 江戶時代・弘化二年七月四日 山中獻舊藏 筆者藏/ 是れは篠崎小竹が山中靜逸[字子文]の需めに應じて揮毫した長篇一卷.時に弘化二年.小竹散人六十五歲.靜逸二十四歲.「余草書を學はす.」と.敢えてこの語に始まる款識より察するに.門下の山中靜逸より熱心に懇望されたものかと思われる./ 「宋末厓山」.この地に於いて.祥興二年二月.南宋は滅亡した.陸秀夫.幼帝の昺を負い同に入水.その後を追う家臣が多くいたと云う./ 「育王金を施して」.平重盛は僧妙典に黄金を授けて渡宋させ.浙江省の育王山阿育王寺に自らの冥福を祈らせた./ 「稻田氏」は.德島藩筆頭家老./ 篠崎小竹は.父篠崎三島以來の緣故に因って.稻田氏に師として遇され.その世子に學を授け.また洲本學問所に訪れ書を講じた./ 「朝千鳥」.嘗て少納言淸女は「朝千鳥」「夕千鳥」という二つの琵琶を愛藏していた.幾年月も過ぎ.その琵琶の一つは御庫に藏され.もう一つは稻田氏が藏した.この「朝千鳥」今は東京國立博物館が藏すと云う./ 「師長」.太政大臣.妙音院師長.琵琶の名手として逸話を殘す./ 「淸盛の姪」=平經正.この人も琵琶の名手として知られ.都落ちのとき覺性法親王に琵琶「靑山」を返納したという逸話がある.

六華散人澤俊卿先生筆蘭亭敍卷

『六華散人澤俊卿先生筆蘭亭敍卷』筆者藏

永和九年.歲癸丑に在り.暮春の初め.會稽山陰の蘭亭に會す.禊事を脩むるなり.群賢畢く至り.少長咸[みな]集る.此の地.崇山・峻領・茂林・脩竹有り.又淸流・激湍有りて左右に暎帶す.引て以て流觴の曲水と爲し.其の次に列坐す.絲竹管弦の盛無しと雖も.一觴一詠.亦以て幽情を暢敍するに足る.是の日や天朗氣淸.惠風和暢す.仰ぎて宇宙の大なるを觀て.俯して品類の盛なるを察す.目を遊はせて懷ひを騁する所以にして.以て視聽の娛しみを極むるに足る.信に樂しむへき也.夫れ人の相與に一世に俯仰するや.或は諸れを懷抱に取りて.一室の內に悟言して.或は託する所に因寄して.形骸の外に放浪す.趣舍萬殊にして.靜躁不同と雖も.其の遇ふ所を欣ひ.蹔く己に得るに當りて.怏然自足して.老の將に至らんとするを知らす.其の之く所旣に惓み.情事に隨ひて遷るに及ひて.感慨之れに係る.向[さき]の欣ふ所.俛仰の間.以て陳迹と爲る.猶ほ之れを以て懷ひを興さゝる能はす.況んや脩短化に隨ひて.終に盡るに期するをや.古人云く.「死生も亦大なり.」と.豈に痛ましからすや.每に昔人感を興すの由を攬[み]れは.一契を合するか若し.未だ甞て文に臨みて嗟悼せすんはあらす.之れを懷に喩ること能はす.固[まこと]に死生を一にするは虛誕爲り.彭殤を齊しくするは妄作爲るを知る.後の今を視るも.亦由[な]ほ今の昔を視るかことし.悲しきかな.故に時人を列敍して.其の述ふる所を錄す.世殊なり事異なると雖も.懷ひを興す所以は.其の致一也.後の攬る者も.亦將に斯の文に感する有らんとす.
丙午[弘化三年]孟春[正月].伊萬里客舎に於いて定武本を以て之れを臨す.雪城居士俊卿.

註三體書卷中の一 帋本墨書 縱四一・四 橫一一七・一 江戶時代・弘化三年正月 筆者藏/ 中澤雪城[1808~1866]は.卷菱湖[1777~1843]門の高足.弘化二年九月.肥前國蓮池藩の八代目藩主鍋島直與侯[1798~1864]に聘され蓮池を訪れて.鍋島直與侯に謁する./ 此の『蘭亭敍卷』は.其の滯在中.客舍に於いて揮毫された./ 『定武本』は.唐代歐陽詢[557~641]の臨書と傳わる『蘭亭敍』のこと.

米葊市河三亥先生筆杜子美古柏行卷

『米葊市河三亥先生筆杜子美古柏行卷』筆者藏

杜子美古柏行
孔明廟[在夔州]前に老栢有り.柯青銅の如く根石の如し.霜皮雨を溜む四十圍.黛色天に參す二千尺.君臣已に時の與に際會す.樹木猶ほ人に愛惜せらる.雲來て氣巫峽の長きに接し.月出て寒雪山の白きに通す.
憶ふ昨路繞る錦亭の東.先主[劉備]武侯[諸葛亮]閟宮[祠廟]を同にす.崔嵬枝幹郊原古あり.窈窕なる丹青の戶牖空し.落落として盤踞し地を得ると雖も.冥冥たる孤高烈風多し.扶持自ら是れ神明の力.正直元と造化の功に因る.
大廈傾きて如[も]し梁棟を要して.萬牛首を廻らせとも丘山重し.文章を露はさす世已に驚く.未た翦伐を辭せす誰れか能く送らん.苦心豈に免れんや螻蟻を容るを.香葉曾て經る鸞鳳の宿するを.志士幽人怨嗟する莫れ.古來材の大なるは用ゐられ難し.

悳山侯[毛利元蕃]は.志篤く學を好む.爲政の暇.以て臨池に日〃優游とすること數年.一去の如し.春此の卷を出し.余に行書を命す.余老懶日〃加り.荏苒として歲過る.頃梅雨にして門を出てす.偶然書かんと欲して遂に此の卷を畢る.延緩の罪.侯其れ之れを怒る時嘉永己酉[嘉永二年]竹醉前一日[五月十二日].七十一叟三亥.

印文.米葊.河姓書印.〇將庫.樂齋.河三亥孔陽父.金洞山人.

註一卷中の前篇 帋本墨書 縱四六・二 橫七四四・三 江戶時代・嘉永二年五月十二日 筆者藏/ 古柏行は.唐代杜甫[712~770]の作./ 悳山侯=毛利元蕃[1816~1884]は.周防國德山藩の九代目藩主./ 市河米葊[1779~1858]は.毛利元蕃の命に依て此の杜子美古柏行を揮毫した.

弘葊藤森大雅先生筆出師表直幀

『弘葊藤森大雅先生筆出師表直幀』筆者藏

出師表.諸葛武侯.
臣亮言す.先帝創業未た半はならすして.而して中道に崩殂す.今天下三分して益州罷弊せり.此れ誠に危急存亡の秋なり.然るに待衞の臣、內に懈らず.忠志の士身を外に亡るゝ者は.蓋し先帝の遇を追て.之れを陛下に報いんと欲すれは也.誠に宜しく聖聽を開張し.以て先帝の遺德を光し.志士の氣を恢むへし.宜しく妄に自ら菲薄し.喩を引き義を失て.以て忠諫の路を塞くへからさる也.宮中・府中俱に一體たり.藏否を陟罰して.宜しく異同すへからす.若し姦を作し科を犯し.忠善を爲すに及ふ者有れは.宜しく有司に付して.其の刑賞を論し.以て陛下平明の治を昭らかにすへし.宜しく私に偏して內外に異法せしむへからさる也.待中・待郞、郭攸之・費褘・董允等、此れ皆良實にして.志慮忠純なり.是を以て先帝簡拔し.以て陛下に遺せり.愚以爲へらく.宮中の事は.事大小と無く.悉く以て之れに咨り.然して後ち施行すれは.必す能く闕漏を婢補して.廣益する所有る也.將軍向寵.性行淑均.軍事に曉暢し.昔日に試用せらる.先帝之れを稱して能と曰ふ.是れを以て衆議寵を擧け.以て督と爲す.愚以爲へらく.營中の事.悉く以て之れに諮らは.必す能く行陣し和睦して.優劣所を得せしめん.賢臣に親しみ.小人を遠さくるは.此れ先漢の興隆せる所以也.小人に親しみ.賢士を遠さくるは.此れ後漢の傾頽せる所以也.先帝在りし時、每に臣と此の事を論して.未た嘗て桓・靈に嘆息痛恨せすんはあらさるなり.待中尙書・長史・參軍.此れ悉く貞亮死節の臣也.願くは陛下之れに親しみ.之れを信すれは.則ち漢室の隆る日を計へて待つ可き也.臣本布衣、躬ら南陽に耕す.苟くも性命を亂世に全ふして.聞達を諸侯に求めす.先帝臣が卑鄙なるを以てせす.猥りに自ら枉屈して三たひ臣を草蘆の中に顧み.臣に諮ふに當世の事を以てす.是に由て感激して.遂に先帝に許すに驅馳を以てす.後ち傾覆に値ひ.任を敗軍の際に受け.命を危難の間に奉す.爾來二十有一年.先帝臣か謹愼なるを知る.故に崩するに臨みて.臣に寄するに大事を以てせり.命を受けて以來夙夜憂歎して.託付の效あらすして.以て先帝の明を傷つけんことを恐る.故に五月濾を渡り.深く不毛に入る.今南方已に定まり.兵甲已に足る.當に三軍を帥將して.北のかた中原を定むへし.庶くは駑鈍を竭し.姦凶を攘除し.漢室を興復して.舊都に還らしむ.此れ臣の先帝に報して.而して陛下に忠なる所以の職分也.損益を斟酌し.進みて忠言を盡すに至りては.則ち攸之・褘・允の任也.願くは.陛下臣に託するに.討賊・興復の效を以てせよ.效あらすんは.則ち臣の罪を治め.以て先帝の靈に吿げよ.若し德を興すの言無くんは.則ち允等を戮し.以て其の慢を章せ.陛下も亦た宜しく自ら謀り.以て善道を諮諏して.雅言を察納し.深く先帝の遺詔を追ふへし.臣恩を受くるの感激に勝へす.今遠く離るゝに當りて.表に臨み涕泣して云ふ所を知らす.嘉永二年己酉十二月廿五日.小泉老人の囑の爲に.江戸藤森大雅書く.

印文.欣然忘食.大雅之印.淳風氏.弘葊居士.

註一幅 絹本墨書 江戶時代・嘉永二年十二月二十五日 筆者藏

東湖藤田彪先生筆弘道館記直幅

『東湖藤田彪先生筆弘道館記直幅』筆者藏

弘道とは何そ.人能く道を弘むる也.道とは何そ.天地の大經.而して生民の須臾も離るへからさるもの也.弘道の館何の爲にして設くるや.恭しく惟みれは.上古神聖極を立て統を垂れ.天地位し.萬物育す.其の六合に照臨し.宇內を統御する所以の者.未た嘗て斯の道に由らすんはあらさる也.寶祚之れを以て無窮.國體之れを以て尊嚴.蒼生之れを以て安寧.蠻夷戎狄之れを以て率服.而して聖子神孫尙ほ肯て自から足れりとせす.人に取て以て善を爲すを樂しむ.乃ち西土唐虞三代の治敎の若き.資て以て皇猷を贊す.是に於て.斯の道愈大愈明.而して復た焉れに尙ふる無し.中世以降異端邪說民を誣い世を惑はし.俗儒曲學此を舍て彼に從ひ.皇化陵夷禍亂相踵く.大道の世に明ならさるや.盖し亦た久し.我か東照宮.撥亂反正.尊王攘夷.允武允文.以て太平の基を開く.吾か祖威公實に封を東土に受く.夙に日本武尊の人と爲りを慕ひ.神道を尊とひ武備を繕す.義公繼述.嘗て感を夷齊に發し.更に儒敎を崇ふ.倫を明にし名を正し.以て國家に藩屛たり.爾來百數十秊世遺緖を承け.恩澤に沐浴し以て今日に至る.則ち苟くも臣子爲る者.豈に斯の道を推弘し.先德を發揚する所以を思はさる可けんや.此れ則ち館の設くる所以也.抑夫れ建御雷神を祀る者は何そ.其の天功を草昧に亮け威靈を茲土に留むるを以て.欲其の始に原つき其の本に報い.民をして斯の道の繇て來る所を知ら使めんと欲する也.其の孔子廟を營む者は何そや.唐虞三代の道.此に折衷す.其の德を欽し其の敎を資り.人をして斯の道の益大且明なる所以を知ら使めんと欲す.偶然ならさる也.嗚呼我か國中士民夙夜懈るに匪す斯の館に出入し.神州の道を奉し.西土の敎を資る.忠孝二無し.文武岐ならす.學問事業其の效を殊にせす.神を敬し儒を崇とひ.偏黨有る無し.衆思を集め群力を宣へ.以て國家無窮の恩に報いは.豈に徒に祖宗の志墜さるのみならす.神皇在天の靈亦た將に鑒を降さんとす.斯の館を建て以て其の治敎を統ふる者は誰れそ.權中納言從三位源某也.
右弘道館記は.我か景山源公撰する所なり.嘉永四年歲在辛亥春三月望.臣藤田彪謹みて書く.

註一幅 絹本墨書 江戶時代・嘉永四年三月十五日 筆者藏/ 藤田東湖[1806~1855].水戶學派.文化三年三月十六日.水戶藩儒藤田幽谷の次男として生れる.德川齊昭[1800~1860]の擁立し.藩政の改革に大功あり.後ち德川齊昭の譴責に伴って幽囚の身となるも.嘉永五年.再び藩政に參與し.攘夷論を鼓吹して世に知られる.安政二年十月二日歿.享年五十.

訥庵大橋正順先生筆呻吟語直幀

『訥庵大橋正順先生筆呻吟語直幀』筆者藏

平居[平生]無事の時.丈夫をば婦人の操[元は守字に作る]を以て繩[つな]ぐべからざる也.其の難に臨み死を守るに及べば.則ち復た貞女・烈婦と節を比ぶ.人に接する處衆の際.君子未だ曾て廉隅の迹[行跡]を以て人に示さゞる也.其の道に任じ義に徒[うつ]るに及べば.則ち當に壯士・悍卒と勇を爭ふべきなり.安政乙卯麥秋.漫ろに書して岩瀨君純甫其の鄕に歸るに贈る.訥菴大橋順.

註一幅 帋本墨書 江戶時代・安政二年四月 筆者藏/ 岩瀨純甫[?~1871]は.尙庵と號する美濃大垣藩の士.佐藤一齋・大橋訥庵に師事した.その尙庵の歸鄕に際して.大橋訥庵は明代の呂坤の『呻吟語』の一節を揮毫して贈った.

伴林光平先生筆菅家遺誡二則直幀

『伴林光平先生筆菅家遺誡二則直幀』筆者藏

凡そ神國一世無窮の玄妙なる者は.敢て窺ひ知るべからず.漢土三代周孔の聖經を學ふと雖も.革命の國風.深く思慮を加ふべき也.凡國學の要とする所.論古今に涉り天人を究めんと欲すと雖も.其和魂漢才に非ざるよりは.其閫奧を闞ること能はず. 右二則は.菅家遺誡中の眼目也.安政三年菊月中旬.枚岡崇福の需に應ず.伴林光平.

註一幅 帋本墨書 江戶時代・安政三年九月中旬 筆者藏/ 「右二則は菅家遺誡中の眼目也」.この後に「既に北野社東の碑に記す.漢籍を学ぶ者は.心を用ふべきの第一也.」と續く.

百峰山人牧輗先生筆夜潮記直幅

『百峰山人牧輗先生筆夜潮記直幅』筆者藏

蕉石大夫藏する琵琶に夜潮と命名する記.吾聞く.「君子故無くして.玉身を去らす.」と.又聞く.「琴瑟御に在り.靜好ならさること莫し.」と.夫れ「物を玩へは志を喪ふ.」と曰ふと雖も.擇て之れに從へは.以て德性を養ふこと有ること是の如し.故に君子は焉を取る.況や其の能く志氣を感發する者に於てをや.
故友紀翁春琴好て平語を演す.當に一古琵琶を長州赤馬關に獲へし.靜好愛すへし.未た曾て其身を去らさる也.伊藩蕉石大夫も亦た平語を善くす.見て之れを喜ふ翁は已に亡し.太夫乃ち請ふこと之れ有て名を余に謀る.余聞く.「赤馬關は壇々浦々に瀕る.卽ち文治の間.源兵平族を殲するの處なり.海容南北.夜潮悲壯の聲は.兩軍相蹙るか如し.」と.此の琵琶は頗る之れに類す.因て名つけて曰く.「夜潮.」と.其の出つる所を誌す也.
或るひと余に謂て曰く.「大夫は一國か具瞻の歸する所なり.文を講し武を演するに當ては.多士を率るに似たり.彼の平語の若くんは.則ち曚者の業なり.大夫何そ之れを其の人に屬せさる也.」と.余曰く.「然らす.夫れ樂を之れ曚に屬するは.固より久し.而れとも聖賢も亦た往々にして之れを學ひて.之れを六藝に列す.今の謂ふ所の雅樂は.盖し隋唐の餘響なり.而して其の歌章を兦ひ.其の餘散して.俗曲を樂しみ.寓言に率て.鄙とせさるは.則ち謠なり.」と.獨り平語二百囘.紀實の史のみ.平氏一代の盛衰を具にす.而して源氏の繼興[相繼興起]なる所以の者も亦た焉に寓す.而して二家の君臣は.忠孝義勇の烈業.佞邪の辨に戾り.情形畢く露はれ.其の時に親目するか如し.況や之れを四絃に被むれは.其の緩急を節として.其の辭色を撡す.發揚綽厲.人をして勇躍興起して.嚮ふ所を知らしむ.謂ふ所の頑夫は廉.懦夫は志を立つ者在り.其の世道人心に關するや.是くの如し.則ち當今の世.君子宜しく玩ふへき所の者は.豈に復た尙ふこと有らんや.然りと雖も工其の事を善くせんと欲すれは.必す先つ其器を利とす.今や大夫は先つ其の器を利として.以て自ら德性を養ふ.誰か宜しからすと謂ふや.且つ彼の文を講し武を演する大夫の家の若くんは.常に從事する所か.之れを玩具に比すれは.是れを之れ其の類を知らすと謂ふ也.或は其の政暇.遊息の際.賓僚を風月の宴に迎へ.家庭を臣隸するに當て.主人乃ち四絃を命し.試に一曲を按す.憂然たり.鏘然たり.風浪俄に噴き澎湃して相激しきか若し.四坐聲を吞み耳を屬す.未た嘗て其の戰鬪に馳逐して奮爭するの狀を見るに如かさるにあらす.則ち飮酒の間と雖も.亦た士氣を鼓するに用ふべくして.世々傳ふ.龜正干戈の際.雄豪妄會の時.瞽師を召して.平語を演せしむ.以て娛樂を資く.大夫の家祖睡庵君[渡邊了]は.當時驍武無雙と稱せられ.其間に周旋す.豈に其の家法を受くる所有て然らんや.
歲之甲寅[嘉永七年].伊州の地大震して.城壁皆壞る.時に琶槽[琵琶]も亦た缺損を被る.士に命して修治して.厪に舊貫に復せしむ.
今茲仲春.大夫上遊して.此れを載して.以て來りて記を余に囑して曰く.「吾此の物と.皆恙無きを得る.而れとも紀翁か子を覩るに及はす.」と.豈に感して之れを筆せさること無きを得んや.遂に余或る人に答ふる語を擧て.之れを其の櫝中に書き副ふ.時に文久紀元歲辛酉重の後二日.平安客舍の鉼隱居に撰す.辱知生.美濃百峰山人牧輗.

印文.讀書擊劍.牧輗之印.戇齋.

註一幅 帋本墨書 江戶時代・文久元年 筆者藏/ 蕉石大夫は渡邊了[睡庵]の後裔にして.藤堂家の臣.所謂藤堂長兵衞家.蕉石大夫は號にて.藤堂約と云う./ 蕉石大夫は.梁川星巖の書『西歸集』や.齋藤拙堂の書『月瀨記勝』に登場する.當時琵琶の名手として知られていたものと察せられる.

海舟勝義邦先生筆五言古詩直幅

『海舟勝義邦先生筆五言古詩直幅』筆者藏

吾か性瑣屑を厭ひ.疎放陋質を愧つ.開口常に背汗.問吟して才の拙なるを省る.塵埃浮沈の際.既に上るも殘雪に默す.世事眼に潑して過り.轉瞬終別に到る.散材用に適はす.自笑亦自失.行藏大化に隨ひ.去就眞率に任す.書を繙く南窓の下.微を闡く秋毫の折.志を潛め道妙を窺へは.昔人宏達多し.今人何そ碌碌たる.寥寥指屈すへし.仰き看る萬古の天.晴暉す一輪の月.我か生をして寒慓ならしむ.請ふ殺傷を好む勿れと.上下瘦骨に到る.獨り對す大江の渚.空しく觀る乏しき津筏.明治改元晩秋.海舟勝義邦.

註一幅 帋本墨書 明治時代・明治元年 筆者藏/ 此の五言古詩.舊(も)とは高田竹山翁の父君が幕臣より讓られ愛藏していた./ 明治二十年八月.この一幅を熱心に懇望する舊知の者あって讓ったと.竹山翁の筆によって箱書きされている./ また.この箱書に云う.「海舟翁が戊辰の難局に當って慷慨の氣溢れこの篇を成したのあろう.ゆえに句々豪爽.深く悲憤を含む.」と./ この一幅は.寺山葛常翁の著書『三舟及び南洲の書』に所收.