(c) 2014-2018 武術史料拾遺 All rights reserved.

天神流劒術の文書

天神流劒術(天心流劒術)とは、宮津藩士 中嶋重隆が少数の門人に指南した小太刀の流派です。 中嶋重隆は元高槻藩の人にて、実父よりこの流派を相傳し、宮津藩の中嶋家に養子入りして後ちは「流儀を廣め候義は仕らず、深志の輩に計りては密々に傳授仕り候」と云うように、少数の家中の士へ指南しました。
本稿に掲げる所の天神流文書は、いずれも流儀に関して藩の下問があったことを受け、中嶋重隆がはじめて不立文字の天神流を文書に起したものです。

流儀の由来 | 極意之書 | 五行之巻 | 明劒之巻 | 神文前書

掲載史料及び参考資料

掲載史料及び参考資料
『丹後宮津藩中嶋家文書』個人蔵
『流儀言上之案文』個人蔵
『天心流極意之書』個人蔵
『五行之巻』個人蔵
『明劒之巻写』個人蔵
『神文前書之事』個人蔵
『中嶋重隆明細書』個人蔵

流儀言上之案文

 厳命を恭しく承り武術の儀を表し言上候事
天神流と申し候小太刀劒術の儀、その根元を相傳仕り候趣は、元祖の先師いつ頃の人と申す儀も相知れず、幼年の頃より劒術を好み自身に事術の理を覚へ修行に精力を尽すと雖も、劒道極意の正理を悟られざるに、山上の神社に籠り立願しその儀の工夫を為して居られ候ところに、月夜に一人の老翁来りて先師に向ひ問答を為す、発言に曰く「汝、何の願い有りて此の社に来る乎」と云ふ、 先師これに答えて曰く「予は劒術を好み修練を為すこと朝暮に怠らず心力を尽すと雖も極意の正理を悟らざる故、此の社に来りて立願し工夫を為すもの也」と云う、 其の時彼の老翁教訓として曰く「汝、武術に志深きこと尤も殊勝也、然れども愚昧にして道理を知らず、夫れ天地の間の万諸天理の外なる事何ぞこれ有るべけんや、勝負の理は天命也、何ぞ夫れ我身を全ふして人を亡くさんと思ふ事天理に叶ふべけんや、則ち夫れ愚術也、又心鏡明らかならずして何ぞ向ふ者の事を見知るべけんや、我れ老躰と雖も汝が如きの愚術を以て我に向ふこと成るべからず」と云ふ、 立ち帰らんと欲す其の時、先師思ふに「是今、予が工夫を妨ぐる天魔なるべし」と、社壇を飛び下り帯劒を抜きて彼の老翁に打ってかゝれば、老翁は白き羽團扇を提て立つ、正しく討ちたりと思へば其の切先は地に落ち、老翁の羽扇は先師の面に當る、幾度打ても同じ事也、其の後老翁間を隔て立ち向ひ、持ちたる羽扇を構へて曰く「是れ月也、當[まさ]に汝が心に入るべし、我は天神也」と曰ふ、其の時先師感敬して地に伏してこれを拝謝し頭を上て見れば老翁は見へず、其の時先師又社壇に上りて神拝を為し彼の翁の辞術を考慮して一術を起し、是を天神流と名づけ其の後妙術を得たりと、 去て先師の遺書にこれ有りと申し傳へ、只今其の書もこれ無し、尤も他に傳わらざる秘術にして書巻等も御座無く候、私實父代々此の術を子孫に傳へ候儀故傳授仕り候、然れども實父申し殘し候は「此の術極意の傳を秘し、勝負の事は人躰に依て神文の上傳授仕り苦しからざる事也」と教訓仕り候故、流儀を廣め候義は仕らず、深志の輩に計りては密々に傳授仕り候、流名の儀後々神字を心字に改め、只今流名は天心流と申し候、元祖の先師より相傳仕り候観念御座候てこれを唱へ候時は横難を免[まぬが]れ亦當流の傳を疎略仕り候者は必ず其の咎御座候、實信に修行仕る輩は天神并[ならび]に武術守護神の加護御座候の由、申し傳へ候

 菅原重隆謹捧

天心流極意之書 写





  起術之巻

[中略]

  五行之術

 圓羽之釼  上中下之構
 隠月之釼  合場之術
 波釼    相打之術

  極傳 剣は日月
     術は天理

出月  入月  心月

  卯歌

天地乃間仁通宇月登日乃
照勢者人乃道廣幾也

我一人通宇月日能光遠者
奈登雲雰乃工武扁記無
明鏡仁向宇鬼神有登□□
曽乃奈須事者皆見由留也

 此の書元祖の先師遺書
 の趣也

  年號
    月日  源 和忠
        菅原重隆

五行之巻 下書




天心流劒術の事は、當流元祖の先師剣術に志深く、日夜其の道を忘ること無く、勢力を盡し修錬を爲し事術に達すと雖も、尚極則の正理を明らかに為んことを願ひて工夫爲す時に至りて忽然として一人の老翁月下に見じ、来りて問答を為し、則ち立向ひて其の場相を知らせしむるに、其の事白色の羽扇を以て白刀に合せ入り乱れ、 強戰すと雖も、其の身少しも白刀に當らず、是に於て先師敬信して剣を捨て地に伏す、其の時老翁、我は天神也と云て姿を失す、是を以て其の術理を考へ一術を起し、則ち流名を改め天神流と號す、羽扇を以て事術を諭したる故を以て圓羽の釼と名づけ、則ち上中下三段の構に之を分ち、隠[いん]月波釼の二術を合て是を五行の術と号し、則ち當流の勝身也、 元祖の先師遺書の傳に五行は五つの執行也、然れども一々に其の悳を備ふる心也と、之有らば中段は不動土悳也、上段は西半月にて金[こん]悳也、下段は圓にて水悳也、隠月は是東方の理木悳也、波劒は陽術にて火悳也、同じく亦古傳に夫れ劒は日月の如し、術は則ち天理也とこれ有る故を以て、後の先師所存有て亦流名の神字を心字に改む、 元天理を以て劒道の理を教へたる傳故に、先づ正く立向ふ一躰を大極の理に形取り、陰の構より陽の打を發すること、是則ち陰陽の両儀を生するが如きの理也、仍て是従り自ら万化の事術を生ずること一貫せり、波釼の意は夫れ波は来る水を返し打の理を以て則ち透り通るの場を知らせしむる術也、合場の離れを隠月と名づくる意は喩へば月影を闔じるが如く少しの透間これ有るときは其の影速やかに入る如くの理を以て向ふ所の透間へ入る場を知らせしむる術也、 備へ打摩落し打と云ふは當流の秘傳也、心術の事是専要の傳也、當流の心術傳授は如水心、渡龍心と云ふ傳也、其の意味は明劒の巻に之を記せり、仕相に変化掛りと云ふ事これ有り、之に應ずる術を後の先師圓羽の術を以て工夫して是を別傳と号し、門人仕相執行の為め之を傳ふ事也、尚奥儀秘傳等は是を略す

 表太刀條の事

抜打  抜楴   相打   相引
受之入 切り之楴 清眼之構

 五行の勝身

圓羽之劒  上中下三段
隠月之釼  波釼

 奥術
スイ  ジュ
出月  入月  心月

 試合別傳の術は當流
 明劒の巻に其傳詳に記之
 但別傳の術は五行の變化也又
 変化掛りに来る時可應傳也

 秘傳五行の化釼
 
上は引附 ┌
中は備  │止り持は上へ出す
下は波變 └相打を變は入月

應速先に術 組木刀を取上る時の傳
應拂掛りに術 下段の入身
應車釼拂に術 下段の打返
應真操に術 下段 右は波
         中左は羽入

 惣事術合て貮拾一本也

右此書巻は當流事術の傳也
元其教法非凡人の傳に故
修行の輩尠不可爲す疎略に
以誠心を為す執行を則は可至
得術に元祖の先師遺書の
傳にて第一天神尊天を奉り敬
信し出陳亦臨む仕相に致觀念を
可為す神拝を必免れ横難を可得
勝利を無疑若不敬の心穢
有之則は其咎謹て可き爲す
執行を者也

 秊號
  月日   菅原重隆

明劒之巻写



[前文略]

 試合修行別傳

先立向て敵を見る事目附を嫌故
一躰を心眼にて見る傳也又組木刀を
互に立寄て取る則當流圓羽の
構に取り上る也是は應る速先に心得也
敵の事上中下の構は對應也
止り待則我構上中下何れにても
心次第也敵動に随て流儀の釼
理を以應る之也但し急に上へ出す則
不應之而直に下へ入る事是傳也
五行の變術は秘中の秘也是は
雖為同門可秘也

 上段は 變引附打
 中段は 備打直
 下段は 變波劒

  組木刀取上は流儀の構にて
        右の足を引
  應拂掛 下段下入勝
  應車釼掛 下段手裏勝
  應真操 下段我右来波釼
      中左来圓羽入

右一巻は試合傳授の書也
門人之中修行之功勝者
常之事離而可應時變
事術相互可修行尚亦
臨其時口傳可有之者也

 秊號
  月日   中嶋重隆

神文前書之事

 神文前書の事

一天心流劒術御傳□[授]の儀堅
 他見他言仕間敷事
一御流儀御相傳の事術聊
 疎略に仕間敷事
一對師野心存間敷事
 右の條々於相背は蒙
 天神尊天武守護神の
 御罰者也

安永三甲午年
 正月廿一日 小谷輿一左衛門直(判・血判)

 中嶋治部右衛門殿

神文前書之事

 神文前書の事

一天心流劒術御傳授の儀堅
 他見他言仕間敷事
一御流儀御相傳の事術聊
 疎略に仕る間敷事
一對師野心存間敷事

右の條々於相背は蒙
天神尊天武守護神の
御罰者也

安永三甲午年
 正月廿一日 岡嶋代次郎
       利(判・血判)

中嶋治部右衛門殿

TOP