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六代 中嶋重晧 1837− 宮津藩士

本姓菅原 通称 貞太郎/直衛 諱 重晧(シゲアキ)
父は中嶋治部右衛門重桓、母は満佐と云う。妻は四代中嶋重喬の実子にして指田家に養子入りした指田貢の娘 里与(里與)。

父が實相當流鑓術に深く関わったことから、中嶋重晧も特に上意をもって實相當流鑓術の稽古を命じられた。しかし武術ばかりを修行したのではなく、天保8年(1837)生れの彼は15歳の頃より藩兵の後備に所属し、そのかたわら諸流の稽古に出精、たびたび褒美を下された。安政6年(1859)23歳のとき家督を相続し、翌年には先備左に配属されてからは藩の役務と武術の稽古に励み年を重ねる。彼の軍務が本格化するのは文久の頃からで、文久4年(1864)2月の八幡口出兵を皮切りとして、同年12月江州表へ、元治2年(1865)再び江州へ、同年5月大坂表へ出兵し、そして慶應2年(1866)第二次長州征伐に向う。歿年未詳。
六代松平宗秀公、七代松平宗武公に仕え、都合十八年の御奉公。

中嶋重晧年譜

天保8.8.14五代中嶋重桓の長男として生れる
嘉永4.18御目見仰せ付けられ候
嘉永5.9御備立御後備へ出役仰せ付けられ候 16才
嘉永5.11.14御備立御手當金3両下し置かれ候
嘉永5.12.19御備立御取扱として米1俵下し置かれ候
嘉永6.5.14古流御代見の節、中り宜しきに付き、御褒美として金50疋下し置かれ候
嘉永6.7.4御取扱として米1俵下し置かれ候
嘉永6.8.25角前御覧の節、中り宜しきに付き、御褒美として金50疋下し置かれ候
嘉永6.12.16御取扱として米1俵下し置かれ候
嘉永7.5.22御備立出役中2人扶持下し置かれ、御廣間勤番見習同様仰せ付けられ候
嘉永7.8.24御取扱として金1両2歩下し置かれ候
嘉永7.9.15鼻紙代として1ヶ年米10俵下され候
嘉永7.9.16神文仰せ付けられ候
安政3.2.25古流御代見の節、中り宜しきに付き、御褒美として金50疋下し置かれ候
安政3.9.12御宛行六人口下し置かれ候、大小性へ召し出され候 20才
安政3.12.22直衛と改名、願いの通り仰せ付けられ候
安政4.4.11一ノ御神殿御祭禮の節、古流弓馬射手方相勤め候に付き、御酒御吸物御弁飯下し置かれ候
安政4.4.11御徳替賀正御一回の年来り候間、御酒料下され候
安政4.閏5.7當春御流御式御膳仕方滞り無く御勤め候に付き、御褒詞仰せ出だされ候
安政5.7.26當春御流御式中滞り無く相勤め候に付き、御褒詞仰せ出だされ候
安政6.5.19當春御流御式中御前仕方滞り無く相勤め候に付き、御褒詞仰せ出だされ候
安政6.9.1忌、御免
安政6.10.9家督相違無く下し置かれ、勤方是迄の通り
萬延1.3.21御先備左給(脇)人代出役仰せ付けられ候
萬延1.6.28より病引
萬延1.7.21より相勤
文久1.8.1出坂詰仰せ付けられ候
文久1.8.11當春御流御式御膳仕方滞り無く相勤め候に付き、御褒詞仰せ出だされ候
文久1.8.25出立
文久1.8.29着坂
文久1.8.30大御番所御馬廻り代仰せ出だされ候
文久2.1.11御使者方給人仰せ付けられ候、尤も御直談
文久2.1.20より病引
文久2.2.23出勤、即日御番目附仰せ付けられ候
文久2.5.15より病引
文久2.6.13出勤
文久2.6.16當分の内御取次助仰せ付けられ候
文久2.7.9御奥様十太七殿御参府御供仰せ付けられ候、御道中勤方御駕籠脇御刀番御取次御使者兼帯仰せ付けられ候
文久2.7.11御上屋敷御引拂いの節、頭代相勤め申し候
文久2.7.17~18御奥様十太七殿御発駕遊ばされ
文久2.8.8~9御障り無く御参府遊ばされ御供滞り無く相勤め申し候、勤番中御使者方相勤め申し候
文久2.8.29休息仰せられ
文久2.8.7出立
文久2.8.22滞り無く帰津仕り候
文久2.11.8御番外にて鑓術修行五十日間仰せられ候、寄合稽古世話仰せ付けられ候
文久2.12.1殿様御差し控え仰せ蒙られ候御便りに付き○、早々御番入仰せ付けられ候、尤も大鞁御門へ出番
文久3.1.18稽古世話出精いたし候に付き御酒料下し置かれ候
文久3.1.19旧冬の残り御番外にて五十日相済み候に付き再度五拾日御番外仰せ付けられ候
文久3.3.20即刻御用にて若殿様御迎えとして急出府仰せ付けられ候
文久3.3.23出立
文久3.4.10~11着府
文久3.5.13御供にて出立
文久3.5.30道中滞り無く着
文久3.11.11鎗術寒詰中、御番外仰せ付けられ候
文久4.1.18稽古世話出精に付き御酒料下し置かれ候
文久4.2.21八幡口御固にて出張仕り候 同年8月9日帰津
文久4.12.1江州表へ出張 同月11日帰津
元治2.1.11御使番仰せ付けられ候
元治2.2〜3頃江州へ出張、月日審らかならず
元治2.5大坂表へ出張 同6月頃帰津此の分審らかならず
元治2.6帰津、此の分審らかならず
慶應2藝州表へ出張 30才 長防御征伐従軍記録
慶應2.6.20河津原にて長州勢と戦争、勝利引の九ツ引御役付鉄鍔料三両下し置かれ候
慶應2.7.16藝地出立 同29日帰津
慶應3.7.11賊御僉儀の為御目付心得にて組子徒廿有余人召し連れ伊根表迄出張 同13日帰津、出張候に付き御酒料十○下し置かれ候
明治2小流格御取扱申し付けられ候
明治3.2.26准四等御廣間詰申し付けられ候
明治21?歿年未詳 51才

掲載史料及び参考資料

『丹後宮津藩中嶋家文書』個人蔵

中嶋重晧関係文書

六人扶持 鼻紙代 家督

  

尾見忠鵠(緑塢)考 華押

甲州流山鹿傳目録

實相當流鑓術目録

   

藤原重好の朱印

實相當流鑓術中極意

  

中極意は差紙に同封されていた。

日置流竹林派弓術目録

渡邊眞−中嶋貞太郎

井上外記流炮術目録

義蕃−中嶋直衛

小目録 行事代 大坪流か

 

五息

世話役 實相當流鑓術か

出藝中日記

別項に於いて翻刻、長防御征伐従軍記録

中嶋直衛指物

中嶋重晧が度々の出兵に使用したものと見られる。しかし実名は書かれておらず確かではない。

英名録

實相當流鑓術の稽古世話役を勤めていた中嶋重晧の英名録。後半が失われている。

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