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五代 中嶋重桓 −1859 宮津藩士 實相當流鑓術世話役

本姓 菅原 通称 菅之丞/直衛/治部右衛門 諱 茂廣/重桓(シゲタケ) 旧名 秋山菅之丞茂廣
実父は同家の秋山源右衛門、兄は秋山族と云い諸御者頭、高八十石。
養父は四代中嶋治部右衛門重喬、妻は満佐と云い重喬の五女。

宮津藩の神谷新兵衛に實相當流鑓術を学び印可を相傳される。そのほか甲州流山鹿傳、日置流竹林派弓術、大坪流馬術、井上外記流炮術、真如流居合などを各師役に学んだ。
文政8年礼譲館主事、文政12年實相當流世話役を命じられる。
天保のころ中嶋直衛重喬の娘満佐を娶り中嶋家を継ぎ、中嶋菅之丞重桓と改め、その後直衛と改めた。この頃の分限帳では「一、御使番 100石 中嶋直衛」と記されている。
嘉永3年小流席に進み大目付と寺社奉行を兼帯、さらに御旗本御備立御徒士頭、文武懸りを命じられる。その後一ノ御神殿御祭礼懸り、年始御式懸りを度々勤め褒美を下された。 嘉永7年大目附本席、安政3年御者頭に進む。同年息子中嶋貞太郎の縁組により直衛の称を息子に譲り自身は治部右衛門と改める。 安政4年實相當流引立世話主取、安政5年町奉行助役を命じられ公儀御役人裏手海岸湊巡察の懸り役となる。 安政6年江戸への御朱印守護を拝命。同年歿。

中嶋重桓は殊に實相當流鑓術を能くし同流の世話役を勤めた。なぜ世話役止まりで師役に就けなかったかといえば、宮津藩に於いては神谷家が重きをなしていた為である。 先師神谷羆六郎が急逝したとき、次期師役として神谷亀太郎が指名されており、その間師役不在、高弟二名を世話役として同流を運営すべき旨が藩より達せられた。 つまり実質は師役の立場と云ってよく、門人を取り立てた際の起請文・神文・入門名前・席名前等の史料が数多く現存している。實相當流鑓術概説

掲載史料及び参考資料

『丹後宮津藩中嶋家文書』私蔵文書

□…虫損  ■…不読  [ ]…管理人註

中嶋重桓年譜

嘉永3.9.11一ノ御神殿御祭礼御式懸り仰せ付けられ候
嘉永3.10.25小流席大目付寺社奉行兼帯仰せ付けられ候
嘉永3.10.29御旗本御備立御徒士頭仰せ付けられ候
嘉永3.10.30文武懸り仰せ付けられ候
嘉永3.12.1来年始御用懸り仰せ付けられ候
嘉永3.12.15御神殿御祭礼懸り仰せ付けられ候
嘉永4.11年始御用懸り滞り無く相勤め候に付き御褒詞仰せ出だされ候
嘉永6.1.3年始御式懸り滞り無く相勤め候に付き御能拝見仰せ付けられ御酒吸物小串碗者下し置かれ候
嘉永7.3.5大目附本席成し下され候
嘉永7.3.15年始御規式懸り滞り無く相勤め候に付き御褒詞仰せ出だされ候
嘉永7.4.12御席進の御礼申し上げる
嘉永7.4.23一ノ御神殿御祭礼懸り仰せ付けられ候
嘉永7.12.1来年始御式懸り仰せ付けられ候
安政2.5.11年始御式滞り無く相勤め候に付き御褒詞仰せ出だされ候
安政2.11.16寺院より撞鐘差し上げ候に付き(半鐘献上等の)、御褒美として大根御紋付萬代縮一反下し置かれ候
安政2.12.1来年始御式懸り仰せ付けられ候
安政2.12.23三ヶ年無難皆勤いたし候に付き御褒詞仰せ出だされ候
安政3.5.25年始御式滞り無く相勤め候に付き御褒詞仰せ出だされ候
安政3.8.6■道院様御十七回忌御相當に付き御回向中懸り仰せつけられ候
安政3.8.22御者頭仰せ付けられ候 實相當流御願いに付き御免成られ候
安政3.9.1轉役の御礼申し上げ候
安政3.12.22忰妻縁談願済
安政4.2.13實相當流引立世話主取仰せ付けられ候
安政4.12.25次男武■養子願済
安政5.5.25西洋流惣教導へ出役仰せ付けられ候
安政5.11.24御用人月番蔵之丞之間に於て申し渡す、當分町奉行助役仰せ付けられ候
安政5.11.25御家老御用所において舎人殿仰せ渡され、此度公儀御役人裏手海岸湊の御廻りに付き懸り役仰せ付けられ候、組子は預かり居り候て用向きこれ有り候節は月番へ申し出で候様談じこれ有り候間、月番へ申し遣わし置く
安政5.12.15助役御免
安政5.12.23六ヶ年無病皆勤いたし候に付き御褒美として御上下下し置かれ候
安政6.4.28■登御公役御通行の節出精相勤め候に付き御褒詞仰せ出だされ候、御取扱金壱両壱歩壱朱と銭壱匁五分下し置かれ候
安政6.5.10御用番關蔵之丞ゟ剪紙参り11日御本丸へ罷り出で候処、戸之間に於いて御用番森左兵衛殿仰せ渡さるを待ち座り候、關蔵之丞大目附村田宇右衛門・御目付森田重兵衛、中嶋治部右衛門・濱川猪三郎へ仰せ渡さるの趣天保度の通り 守護[御朱印守護]仰せ付けられ候名前、中嶋治部右衛門・濱川猪三郎・鈴木峯作・小山藤助・倉地愛太郎
安政6歿

中嶋重桓関係文書

萬覺帳 抜粋


 馬術之組合附
   二ノ日
     久四郎
     藤介
     直二郎
     郡治
   七ノ日
     ■■
     岩五郎
     吉之丞
     鳥■
   九ノ日
     九十九
     専弥
     多門
     大七
     蔵太

  覚
 苧五拾目
 綿五十目
 布七尺
右者何流───
 三月──
   ──
 学監


  算覚
   ニ
一 金ハ金相場ニテ割
  銀ハ反也
  銀ヲ銭ニハ銭相ヲニテ
  割銭ヲ銀ニハ反也
一 切三分ニテ
  六尺五寸ヲ
  三エ掛ケル也
一 壱ニ百五十目ナルハ
  何十何文目ヲ百五割也

   覚
一 竹刀何本
  右者何流宅稽古道具
  為入用
  損候ニ付被下置候間請取
  申候處如件
  ──     ───○
   御材木方中 半紙也

   元〆江差出ニ伺済所役人之
   印形取伺附度之段御作事
         相廻り請取
             事

 口上覚

宅稽古巻藁損候
ニ付御有合之藁拾八束
摺縄壱束何卒拝領仕
度此段奉願候以上

 月日   ───
      半切但

 口上
何流宅稽古御座候上包
        ニ付
之有合之竹刀木御反出之内
何本何卒拝領仕度奉願候
          已上
 月日 ──  半切

 覚

一 藁拾八束
一 摺縄壱束

右者竹林流巻藁
為入用被下置受取
申處如件

 ■
  ───   ───

  御材木方中   シ
         半紙
一 元〆吟味御勘定所
  之印取御作事江相出
  シ候事
一 居合刀壱本
 右者真如流稽古道具損候ニ付
 御申立可被下候 学監□

 口上覚
何流宅稽古道具損ニ付
御有合之竹刀木何本
何卒拝領仕度奉願候
以上
 月日


 文政十一子年極
 館中学生御褒美之取調是
 迄学監いたし候處以来之事ニ
 いたし候様相成候事

一右者拾度以下懈怠御座候ニ付
 御褒美被下置候之様奉伺候
 以上
  何ノ     半切也
   十二月    但上包

文政十二巳丑年二月二日
一元服之節懈怠ニ取扱候處
 依頼懈怠ニ者相成不申候事
同年改
一句讀師主事□館生御談之
 節以来学頭連座いたし候
同年
一素讀習書共引切之節ハ
 親〃より者其段申出候儀相
 成候
一諸流江入門之節大目附
 役所江罷出候事御勝手向ハ
 御目附役所也



文政十一戌子年十二月五日
御廣間江出候御書附写

 御家中之面〃吉凶ニ而近親
 寄合候共兼而被仰出候
 通一汁一菜吸物者一種
 ニ限り可申旨屹土[度]相守
 可成丈費懸り不申候
 様可致候他所親類多ク
 共同断之事
    但シ出入之向用事
    相頼候ハゝ有合を以
酒飯振舞候儀ハ可為格別


一御家中之向一両輩多ク共
 無益之寄合酒抔給候義
 可為無用事
   但シ
    矢墜も相懸り席禄
    無差別諸事作法矢
    候族も有之趣ニ相聞候
    依頼急度相慎可申候事

一御用筋ニ而御役入之向寄合
 候共銘〃弁當持参□□[矢墜]
 不相懸様可致事
  但酒者勿論薬子其
  外有合之品多ク共一切
  無用之事

一近親之向吉凶之外土産餞
 べつ等不止る得送り物等いたし候ハゝ
 銭手形ニ而相互ニ手軽ニ取斗
 可申事
  長袴以上五分小流ゟ平
  番迄三分獨礼ゟ御目見
  已来諸組迄弐分
前書之通相成候へ共取續之
●一助ニも相成候者年鳥目
遣ひ之儀被仰出も有之候
尤近親之外□□贈答
堅無用之事
  但シ
   礼遣ニ准し殺生ノ兼
   枝木畑物其外有合
   を以聊ノ品相送り候
   儀者不苦事

一去ル未年御有畧被仰
 出候又去ル亥年改被仰
 出候処御家中諸士以下
 ニ而着服并傘等之類
 御目見以下ニ至り候而者
 前条之猶更細〃之
 品等迄心得違之様も
 有之也ニ相聞候以来急
 度相慎可申事

一表向席〃ニ而春者
 初寄合極月ニ至り納寄合
 抔名付酒會相催候哉
 之趣右様之儀兼而被
 仰出も有之候処近頃心得
 違之儀も有之哉ニ相聞
 候以後急度相慎可申事

一去ル未年五月幟奠蒲鑓
 等之義被仰出旨有之候処
 玄関ニ差置シ小幟之儀
 縮緬練等ニ而拵候之趣
 相聞候矢張可為木綿
 事

一去ル丑年
 御在城中被仰出候心得ニ而御山
 方御代官地方其外郷中江
 懸り候向〃手軽ニ而暫く
 ワサト
 態出郷いたし可申事
 御諸士目附同断之事

 右九ヶ条之義者是
 迄被仰出有之候様近頃
 相弛候趣相聞候ニ付猶又
 被仰出候間堅相守心得
 違無之様可致事萬一心○
       ○得違之
 族も有之候ハゝ御糺之上
 厳敷可被仰付間兼〃
 左様相心得可申候支配
 有之面〃末〃迄屹度
 相守候様可申付候
  十二月

イロハ順に少しの語句を列挙した覚書があり、そこに上書きされたのが此の御書附写と次項の天保六未年被仰出候事。翻刻ではイロハ順語句覚書を省く。

天保六未年被仰出候事
 門松   代銭
一 長袴已上  拾五文
一 諸士    拾弐文
一 御目見已上 八文
一 御目身以下 五文
 五尺四尺三尺弐尺

 礼譲館覚
 ■九月廿二日相極ル
一是迄学生句讀始り候節
 早出ニ而咄出候へ共以来讀
 候ハゝ順ニ咄出候事
一上舎生ニ而差圖いたし繰出事

一館中夜會之節入用
 油月ニ九合ツゝ出候其内
    當番寝油入
一十一月ゟ二月迄炭出申候
 一ヶ月ニ六表[俵]ツゝ四月〆廿四表

一学生席進之節学監ニ而
 請取事當役にて列座いたし候事
 御礼廻り入学之通り



   御学監取調書付

一 学監役所上之間仕切取
  学監学頭句讀
  書記共相詰候事

一 主事役所當番真向ニ
  着座其氣者両例ニ
  着座之事

一 学監主事両役所共
  鑑札臺居置其上ニ為
  戴置候事

一 上舎生尓而学生素讀繰出
  いたし候處千規之通主事ニ而
  繰出等万端取斗候事

一 学頭日講日之五時ゟ九時迄
  学生之向届之書物壱人
  ツゝ別〃尓口授いたし候事

一 句讀師壱人ツゝ早出五時
  前ニ罷出学生修行万端
  相済候上ニ而引取候事

一 八之日復讀是迄両人宛
  為讀候得共壱人ツゝニ相成候事
   但学頭見配之事當時
   学頭心得勤也

一 六之日詩會月三之處
  十六日者文會尓いたし候事

一 三之日輪講之處已来復
  文會ニいたし候尤輪講之儀
  折〃不時ニ申合可致事
   但学頭ハ勿論句讀師日
   番之者不残罷出取調
   いたし候事

一 三之日素讀休業之処
  以来素讀平日之通
  相始候事

一 学生之向書物臺いたし句
  讀斎ゟ主事斎迄出席
  順ニ致者座修行之事
   但伍長万端世話可致候

一 学生書物讀了之節
  句讀師預りより学頭江
  相達学頭ニ而復讀承之
  相改候上ニ而讀了主事江相達
  可申事
   但當時学□□□[頭心得]承之候事

一 学生堪忍之義習書是迄
  弐度素讀学生壱度ニ限り
  可申事

一 素讀始メ終りとも拍子木ニ而
  為相知候事

一 学生習書素讀相済次第
  席順尓着座復讀いたし
  引取候節席順ニ両ツゝ引取
  候様可致尤右復讀之節
  句讀師早出壱人□□□
  壱人見配いたし候事

右者此度一同申合取調候
處如是御座候尤舘中
平日之儀并二七夜會等之
儀二ヶ條之外者旧格之通
相守候様可仕候以上

一 主事助被仰付候ハゝ句讀助ハ
  別ニ御談無之候

一 入学之案内手紙當人之
  名前ニ而差遣候事
 文言
一  以手紙得御意然者御入学之
   義任相済候間明何日何時
   麻上下着當舘江御出席
   可被成候以上

一 主事被仰付候節御礼廻り
  懸り御用人大目附学監相廻り
  其外諸役人役所江罷出吹聴之事

文政八年

 酉八月
一 礼譲館主事被仰付候

 戌年四月十六日
一 学監於役所
  殿様御役年無御滞被為済候
  ニ付為御祝金五拾疋頂戴
  いたし候其節御礼廻り御家老
  御用人不残大目付学監相廻り
  申候事

 戌年六月廿五日
一 兄族江御剪紙致到来
  鶴之於御間御家老衆
  御談有之候
一 被仰付之義ハ武術格別
  出精いたし其上兄族初
  家内共致和融寄特之義ニ付
  身分片付迄御扶持方弐人
  扶持被下置候
一 萬端席替同様ニ相勤候事

 正月十一日
一 御具足頂戴有之候足以袋不相成
  候へ共役所頂戴者不苦候越大付
  中嶋與力被申聞候
一 元〆所之大黒江参詣いたし候
  事御初穂十二調


 亥年
 正月十五日
一 大坂御城代被為仰蒙候間
  為御祝・┐御吸物御酒頂戴
  いたし候└御とけいノ間ニお
  いて
一 習書羽紙数覚
一 三通之紙数七拾枚右
  之内毎日廿日ゟ廿枚
  ツゝ習書候事
一 六字書紙数百七拾枚
  大文字同断
一 四字書紙数三百枚
  大文字右同断
  是迄右之通為習趣

 亥
 二月廿日ゟ割直シ
一 三通所七拾枚之内
  大文字是迄之通
一 六字書一日七拾枚之内
  大文字五拾枚
一 四字書弐百枚之内
  大文字七拾枚
 右之通相改候事

文政十
 亥
一 六月四日於大目附役所
  御備立給人替り被仰付候

 亥
一 六月廿日礼譲館内御掃除
  いたし候へハ氣毒ニ思召御酒
  被下置候

 亥
一 七月十三日三ヶ年以来御省略
  中精勤ニ相勤候間大目附
  役所ニ而御目録金百疋被
  下置候

文政十二己丑年
 三月二日
一 於大目附役所ニ御談有之候
  神谷羆六郎出京中[有本]九八郎
  両人ニ而世話いたし候様被仰
  付候 但し懸り御用人江礼廻り
  申候大目附学館江も罷出候

同年三月十五日
一 殿様先般結構被遊御
  昇進之義難有思召
  候一統出精相勤候段一段
  之儀ニ思召此度被遊
  御上京
  御参内義無御滞被為済
  御大悦思召候右為御祝
  厚思召を以御吸物御酒
  且御到来之金子ハ被下置
  □[候]猶此上出精■[可被か]相勤候
  右之向大目附ニ而為被仰渡
  候金五拾疋被下置候
 同年相極メ申候諸向見分之
 節年寄衆被出候間講談之
 節同様ニ主事相勤候事


寅年九月廿七日
一 礼譲館書記之儀館中諸
  受取物之手形等相認候儀
  以来者相認申間敷諸
  稽古合之筋ニ抱り候書物
  類斗取調相認可申候
  手形類者学監配下之
  者相認可然旨館中
  学頭句讀師主事習書
  師書記武術世話役等
  夫〃稽古修行之次第
  平日心掛等ニ寄被仰付候
  事ニ候都而席禄ニ不抱
  可被仰付候儀ニ候間兼而
  心得違□□□□□□[無之様可被致]候
 右之通被仰出候事

天保二辛卯年
七月廿八日 實相當流世話役被仰付候
一 神谷羆六郎京都在勤
  中實相當流門人之向
  世話被仰付置候處
  羆六郎儀病死いたし候
  ニ付而者猶又世話被
  仰付候間其方共申合
  取立可候并神谷
  亀太郎儀者数代實相
  當流師□□□[役被仰]付候
  家筋之儀ニも候得者
  取立可申旨被仰付
   右之通被仰渡候
        有本九八郎
        秋山菅[之]丞
右之御礼廻りハ懸り御用人當時
     鞍岡内記殿
     藤岡織衛殿
     本多但美殿
    学監
     松江治右衛門
     大原弥五八郎

同年十月十七日
  殿様御老中被為 仰蒙候付
  御目録金百疋被下置候
  大目附三上弥次兵衛殿宅
  ニ而頂戴いたし候
  大目附江之切紙之御請
 奉得其意候其上ハ■候

文政十二丑年改上舎生
兼句讀
 雲出小七郎  河野鉄平
 河原播男   弥藤鉄弥
 本多友衛   森脇鉄蔵
 福田春亭
   右當時兼句讀也

習書  山川吉之助   内舎生
〃   西村■郎
〃   松山宅三郎   戸祭虎吉
    河瀬直之助   内藤元吉
    粟飯原蔵太   沼野静馬
習書  渡邊直蔵    秋山常吉
    粟飯原銀蔵   有本■吉
    杉山藤之助   有本徹蔵
    早見幾■    大野■太郎
    吉田圓佐    山本祐之助
    町田■衛    森藤之助
習書初 長谷川又三郎  小谷斧怡
    名川仙吉
二十人
 右上舎生也


當時習書生 三十八人


素讀之向 六十四人

同年二月四日より
 當役夕番相始り申候
一学監見廻り有之事

一学生修行之処六月二日ゟ
 暑中■□□[仕]舞之□[事]極■
 ニ相成候者諸役人早ク出四ツ時
 ニ者仕廻候事

 同
一七月十七日学監松江清左衛門秋山左兵衛
 水練稽古不参届義有之
 ニ而御用向有之候ハゝ相心得候儀
 鞍岡内記殿ゟ剪紙参り候
 直様御請遣ス秋山氏番

一當時所役人弐番之處四ツ時
 ニ相成行も九ツ時前ニ相成候間
 当館も修行済次第為引
 候様学監いたし候

同年十月十一日
江戸表度〃御焼
 御拝借金被 為蒙仰一統出精相
 勤以思召金子五拾疋被下置候
 御礼廻り御家老御用人不残
 廻り候事

天保三辰年
 何事
一同様ニ御扶持方頂戴申候向ゟ
 大目附江口達ニ而相達候
 其上伺済候ハゝ伺済之沙
 汰大目附より有之候事
 鳥居守■宥病引之学
 相極候事

  覚

家服革 三十束
 拝借内十五束藁
附■
 代四匁六分

正     二
 前軽末重  軍断失命
七     八

三     四
 開満出生  徳寳善祝
九     十

五     六
 百死一生  前後成就
十一    十二

  御軍倍御六器

 右吉凶ヲ知ル日之覚

中島菅之丞殿實名・華押 天保6年3月


兵法軍用武鑑副状 文政13年8月28日

甲州流山鹿傳 初傳

 

甲州流山鹿傳 別傳

 

日置流弓術執行之巻


有本九八郎久敬−秋山菅之丞

日置流弓術射形目録之事


有本九八郎久敬−秋山菅之丞

竹林流弓術小目録添状

 

有本九八郎久敬−秋山菅之丞

大坪流馬術目録

  

大坪流馬術十五ヶ條目録


青木万右衛門−秋山菅之丞

大坪流馬術當用口傳目録


實相當流鑓術目録

  

實相當流鑓術月影巻


神谷羆六郎廣褒−秋山菅之丞

實相當流鑓術鏡之巻


神谷羆六郎廣褒−秋山菅之丞

實相當流鑓術免許状


神谷羆六郎廣褒−秋山菅之丞

實相當流鑓術印可・眞印可 抜書

實相當流鑓術奥儀之巻

實相當流鑓術起請文


實相當流鑓術入門名前


實相當流鑓術門人名前


實相當流鑓術席名前


實相當流鑓術席名前

實相當流鑓術中極意神文状


真如流居合入門名前


井上外記流炮術目録

  

越智通啓−秋山菅之丞

中嶋直衛屋敷位置

『弘化二年宮津城下絵図』抜粋(『宮津市史』)

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