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三代 中嶋重賢 1739− 宮津藩士

本姓 菅原 通称 文蔵/治部右衛門 諱 重賢 旧名 小柳津文蔵
実父は美濃郡上藩士(青山大膳亮家来) 小柳津軍太夫。
養父は丹後宮津藩士 中嶋重隆、妻は同藩士 斎藤皆右衛門(元〆郡奉行役兼勤百二十石)の娘。

掲載史料及び参考資料

『丹後宮津藩中嶋家文書』私蔵文書

中嶋重賢年譜

元文4年(1739)美濃郡上藩士 小柳津軍太夫の子として生れる
安永2年12月22日養子願の通り仰せ付けられ候
安永3年12月1日初て御目見仰せ付けられ候
安永4年4月15日御廣間勤番見習仰せ付けられ、鼻紙代として壱ヶ年八木拾俵宛下し置かれ候 同17日神文仰せ付けられ候
安永9年10月29日亡父治部右衛門家督相違無く高百石下し置かれ、大小姓へ御番入仰せ付けられ候
安永9年11月2日神文仰せ付けられ候
安永9年11月12日御内用御■物御用仰せ付けられ候
安永10年2月21日名改願の通り仰せ付けられ候
天明2年(1782)10月15日御武具奉行役仰せ付けられ、同17日神文仰せ付けられ候
天明2年11月28日當分御目附兼役仰せ付けられ、同29日神文仰せ付けられ候
天明3年7月明細書 45歳

中嶋重賢関係文書

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