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初代 中嶋重澄 1658−1729 宮津藩士

本姓 菅原 通称 宮内左衛門/七右衛門/新蔵/治部右衛門 諱 重澄 旧名 山鹿儀左衛門
実父は松浦肥前守家来 山鹿三郎右衛門、実母は立花家の士の娘と云う。養父は立花飛騨守家来 中嶋五兵衛と云い高二百石、後に退去し久留嶋家に仕えたとされる。

久留嶋信濃守の家臣 中嶋五兵衛の養子となり中嶋宮内左衛門と称し家督を相続、奥御用人を勤めた。延宝年中に浪人して儒者 能勢格雲という者の門弟となる。格雲は公儀御側向御旗本の師範たり、公儀御茶道 高岡甫清という人の屋敷を借り住居とした。以後、再び仕官するまで江戸にて年月を送る。 元禄15年(1712)12月松平資俊公の家臣 川村又右衛門(高二百五十石)という者の手引きを以て松平資俊公に召し抱えられ、弐拾人扶持を下され御使番を仰せ付けられる。この頃、七右衛門と称した。その後、町奉行となり新蔵と称す。また、その後に治部右衛門に改めた。享保12年(1727)正月、高百五十石を下される。
享保14年(1729)10月7日歿、71歳。
浜松藩初代松平資俊公、松平資訓公に仕え、都合十八年の御奉公。

松浦肥前守の家中より養子に迎えた栄次郎(重澄の甥)は病身につき、勤めることなく惣髪になり泰元と改めた。中嶋重澄の歿後、家督は永井近江守の家中より養子に迎えられていた中嶋左内(二代中嶋重隆)に譲られる。

中嶋重澄年譜

万治元年(1658)松浦肥前守家来 山鹿三郎右衛門の三男として生れる
久留嶋信濃守の家臣 中嶋五兵衛の養子となり中嶋宮内左衛門と称し家督を相続、奥御用人を勤める
延宝年浪人して公儀御旗本の師範をしていた儒者 能勢格雲という者の門弟となる
元禄15年(1712)12月松平資俊公に召し抱えられ、弐拾人扶持を下され御使番を仰せ付けられる
享保元年(1716)8月18日町奉行仰せ付けられる
享保12年(1727)正月松平資訓公より高百五十石を下される
享保14年(1729)10月7日歿 71歳

掲載史料及び参考資料

『丹後宮津藩中嶋家文書』私蔵文書

中嶋家系図

久留嶋信濃守:豊後森藩主
松浦肥前守:肥前平戸藩主
立花飛騨守:筑後柳河藩主
永井飛騨守:摂津高槻藩主
青山大和守:美濃八幡藩主

□ 養子
初代 中嶋重澄 肥前平戸藩ゟ
二代 中嶋重隆 摂津高槻藩ゟ
三代 中嶋重賢 美濃八幡藩ゟ
四代 中嶋重喬 美濃八幡藩ゟ
五代 中嶋重桓 同藩ゟ

中嶋重澄関係文書

先祖覚書

松平豊後守資訓公知行宛行状

覺書

沼野内蔵介書簡(裏書に遺書草案)

遺書草案


 遺書 草案

一 裏差かうかい[笄]有之加賀雪光
之刀       泰元へ遣
てんほう[天宝]折入角ノ鍔、世間ニ無之鍔
にて候  小刀政常是ハ五百本ノ内ニも
ヶ様成政常ハ無之由、御用ノ小刀研申候由
委細直江へ尋可被申候、右両品秘蔵可被
致候事

一 泰元水田ノ刀醫者ニ不似合候、左内へ
遣可被申候

一 小脇差常ニ申候様、泰元へ遣可被申候

一 嶋田義助ノ小脇差  泰元へ遣申候

一 不断我等さし候清光ノ刀、兵橘へ遣し申候

一 中脇差二腰 一腰ハ中心ニ入象嵌有之
        一腰ハ赤銅鍔

一 武具具足を初左内へ遣申候

一 大幅掛物探幽行年書、左内へ遣申候、是ハ
代々家ニ相傳へ可申候、尤大切ニ可致事

一 其外掛物、泰元左内両人にて
致相談わけ、鬮取ニ成共可被致候
其内金扇の臺表具、又左衛門殿へ遣

大竹掛物代四柱かくしあるを菊臣江□□□

一 我衣類、是又兄弟致相談、醫ニ
似合相應成を泰元へ遣申候事
残りハ左内ニ遣候事

一 皿ちよく[猪口]の類、是又両人わけ置
鬮[くじ]取ニ成共可被致候、其外箱之類
相談次第ニ泰元入用之ものハ
泰元へ遣可申事、刀箱ハ家ニ
差置可申事

一 座敷ニ有之りんす[綸子]夜着ふとん[布団]等、客前ニ可差置候
ちりめん[縮緬]赤ノ夜着泰元へ遣候事

一 長持二之内一ツハ泰元へ遣候事

一 又左衛門殿へ十四両致御入置候、是御役□之内
拙者取召相置候付、是者自分金ニ
成居申候、門番又左殿へ進申候十両ハ
五年譜ニ泰元へ五両左内へ五両
利なしニ可被遣候

一 御家中へ少し無職町役勤め候節、其職致御入候金子、是も急々埒明不申

急々我等取替払申候付、是へハ
我等金子ニ成様申候、證文共ニ泰元へ遣候間
致催促おそくても取可被申候


一 我墓所清香院墓所両方ノ[脇]
相ならべ可被申候事

一 石塔玉垣清香院同様ニ可被致候
尤入用金兼而致用意置候事

一 手もし月々寺遣候様に、斎米野菜紙に清香院
初ニ 此ヶ条可書

一 第一忠孝を忘被申間敷事

一 銘々職分當為片時も怠
慢有之間敷事

一 酒宴の座ニ居懸りにはいつニなく目立不申様ニ
退き可被申事



 又左衛門殿     重澄(判)
 泰元殿
 左内殿[中嶋重隆]

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