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酒井忠擧公平常の御行跡

忠擧公の御行跡、御身持、他にまた有るべきとも覚え奉らず。近代の諸侯、太夫方、先祖の武功を専要と守り給ひ、御身持厳重にして家中の仕置き手荒く、領分の農工商安堵の思ひをなさず、針の筵に座する如く成り行き、また穏和の邦は武備に疎く家中の風俗柔弱に成り、武道を忘れ公家侍の如く成り行く。その餘の方は婬乱酒狂にして夜を昼に送る人多し。誠に
東照神君の御神靈に叶うべきにてもあらず。天下一統の御條目にも治に乱を忘れず、文武は両輪の如く、と載られさせ給うを愚老この理を恐察奉り候。
忠擧公の御行跡、老後の今に至り感賞奉り、日用の御行跡百にして二つ覚えたる事を書き綴じて子孫に拝せしけるものなり。

 〇 津田正武
表に「密書」と記された本書は、酒井忠擧公の平常の御行跡を詳述したものにて、その当時御側に仕えていた津田正武が往時を振り返り記録しました。その当時とは、奥書の記述から逆算すると元禄十五年(1702)以前のことです。元禄十五年、津田正武は君命に背き厩橋藩(酒井家)を去り土浦藩(土屋家)に仕えます(正武が去った跡は弟津田崇綱が相続しました)、このとき三十一歳。土浦藩に二十九年ほど仕えた後、享保十五年に暇をもらい江戸で暮らします。この頃、子の津田元啓は鳥取藩(池田家)に召し抱えられました。正武は江府に日を過し、寛延三年六月、七十九歳のとき本書『酒井忠擧公平常の御行跡』を著します。

 〇 酒井忠擧公、元禄十五年迄の略歴
慶安元年誕生、明暦二年初て御目見、寛文元年従五位に叙せられ河内守と改名、寛文八年新知二万石拝領、寛文十年侍従に任ぜられ御老中上座、天和元年父大昌(忠清)君願いの通り隠居し家督十五万石の内十三万石を拝領(内二万石を舎弟へ賜わる)、天和二年座席雁之間詰衆上座、貞享元、二、三年西丸火之番、貞享四年御奏者番・寺社両奉行、元禄二年病気に付両役御免雁之間詰、元禄三年実名を忠擧と改める、元禄七年西丸火之番、元禄十年相州鶴岡八幡宮修覆手伝・本丸奥方火の番、元禄十一年大御留守居、元禄十三年大御留守居御免溜詰、元禄十六年本丸火之番。

掲載史料及び参考資料
『津田元武密書写本』個人蔵

凡例
一、片仮名表記は平仮名に改めました。
一、「之」「者」「江」「茂」「与」、合字の「より」「こと」「とも」「して」等を平仮名に改めました。但し、「有之」「無之」「依之」等の「之」や「而已」「而(しかして)」等の「而」は原文のまゝ改めず。
一、翻刻文の記号は此の通りです。[ ]:管理人註 □:欠損 ■:不読
一、不読のいくつかの文字を、原文そのまゝの画像に置き換えて表示しています。

    忠擧公平常の御行跡
一 御目覚 御在江戸の時は寅の中刻 御時件御小納戸申上之
      御在城の時は卯の上刻
一 御寝所より直に小用所へ被為入此時御近習の者一人御枕元の
  御脇指持之又一人御鼻紙袋と御扇子持之右両人の者共
  御小用所の四縁ヶ輪に罷在
一 御刀は御小納戸役御枕元より直に御居間御麻の上御刀掛に懸る
一 御寝所御夜着御蒲團は御小納戸役納之奥坊主御寝間を
  掃除す
一 右御小用所に被成御座候内御近習の者一人御手水の前に罷在
  又一人御手拭を御手拭懸け共に持之罷在
一 御小用所より御出被遊極寒中にても右の御手水鉢の水にて御手水
  被遊候尤御目覚前御手水の水を改ため指置申候得共大方は
  薄氷張り申候
一 昼の間夜中共に御雪隠御小用に被為入候節は御脇指は被為帯御鼻紙
  袋御扇子は御近習の者に被為持尤御手水は御手水鉢の水にて御つかひ
  被遊湯の御手水は出不申候
一 右の御手水相済御寝所の御縁ヶ輪にて御衣類を被召替此時
  御小納戸役御小袖御帯共に廣蓋に載せ持参仕御寝まき被召替
  御脇指を被為帯御鼻紙袋御扇子共に被為納御居間へ被遊御出
一 御居間御縁ヶ輪に銅の御湯次銅の御盥に載せ御近習の者扣人
  罷在此時の御手水は湯にて被遊候御手掛は小き塗竹木に載せ御側に指置
一 右の御手水相済御居間へ被為入御座所に冬は羚半にく[羊]の是御蒲團
  夏はあんへらの蛇目也
一 御小納戸御近習の内御髪御月代勤之御月代の湯は小き銅の
  器物に入御前に指置御鏡は御近習の者手に持御前に罷在
一 此時御床に有之御見臺を御小納戸御近習の者の内御前に指置
  御書物は大学の大全か論語の大全の内也大方前夜御覧被掛たる
  御書物也
一 此時御伽の者五六人又は七八人も御居間御縁ヶ輪へ罷出それゝゝへ
  御言葉懸り御咄し被遊候     〆[附紙A]
一 御髪月代相済御膳を相窺ふ詰合罷在御小納戸御近習の内

  申上之
一 御膳の次第
   一 御椀御膳共に無地の黒塗御膳足ひきく常の宗和形の
     御膳椀也
   一 御料理平日一汁二三菜也
      御病身に被遊御座候に付魚鳥其外油氣の類重き物は節句
      不被召上随分軽き品はかり被召上候
   一 御献立
      一 御食湯取にして干葉くこさゝけ小豆菜飯の類兎角
        交物差候随分軽き御飯也
   一 御汁随分うすく是又干葉菜さゝけ茄子小豆海苔のりの類
     入申候赤味噌の御汁也
   一 御煮物是又かるき品取合長葛蘋干ひやう串鼡串貝
     玉子蚫牛蒡松茸里芋松露の類也
   一 御あへ物右に順す式はかるききまの物水あへ等也
   一 御焼物軽き小肴きすさよりあひなめ小ひらめ鮎の類
      一 塩又は披きに致被召上
   一 御香物森口あさつけならつけ味噌漬の類
  右の通り随分品軽く油氣なき物斗被召上
  御前は六十四五匁の内外一日両度の御膳はかり也
一 五節句は二汁七八菜の御献立御酒御吸物御肴等も出申候
一 年頃は御家例の御高盛也
一 御酒は年頃五節句御祝儀事の外は平日出不申候
一 御膳相済御茶は出申候是又年頃五節句は中振の御茶也
一 平日は唐茶をたし茶に被仰付少々宛被差上候
一 御菓子も不出折節かるき葛煎餅又は水菓子の内瓜梨子
  覆盆子なとは被召上候是も朝夕定り被召上候と申にては無御座候
一 朝御膳相済申候寝所へ被為入御うかひ被遊候是は御口中悪敷其上入
  御歯の御世話御自身被遊候
一 夕御膳の節は御居間にて御うかひ被遊候
一 御行水は御登城并御朝出御老中方へ御容對[躰]又は御馬参候節は
  御髪月代御行水共に朝六時前也平日は朝御膳過夕御膳過にも被遊候

一 御行水の儀は御小納戸役司之御湯殿の内は御側坊主勤之此節
  御大小御鼻紙袋御扇子御近習二三人持之御湯殿口に罷在
一 御祠堂へは毎朝御行水以後朝御上下被着御参拝有之
一 夫より御居間へ被為入若殿様下野守様へ御對顔其外に御容等
  被下候節は直に表へ御出有之御平服裳付御上下也     〆[附紙B]
一 毎日朝の内御座鋪廻り被遊候御次の者詰所より表向御廣間夫より
  御勝手向諸役人當日當番の者共詰所ゝゝに罷在御通り懸の
  御目見申上之長病にて出勤又は父母の重き忌明出勤候者共へは
  それゝゝに御言葉懸る御先立は表御目付の者勤之
一 此時の御共御側御用人御近習目附御近習の者當番詰合次第十四五人大方
  二十人程も有之御刀は御近習持之惣て御居間の外へ御出には
  御近習詰合居申候内より御刀持之
一 巳刻前後より御稽古場へ被為入
   一 釼術は新陰流也御側の者御次向の者大望の者共は
     御前御弟子に被遊御指南被遊表裏の形御直し仕合口も御指南
     被遊 御前にも仕合被遊候
   一 鎗は無邊流是又御側の者御次向の若き者共迄大望次第
     山本加兵衛殿門弟被仰付稽古有之是又表隠[裡の誤字か]御直し仕合も
     有之突身御自身被遊候
                       〆[附紙C]
一 江戸表にては一ヶ月六日御稽古有之其節釼術は出渕道仙父子
  の者被召寄鎗は山本加兵衛殿御父子并内弟子岩田六左衛門を初
  何も参上御稽古有之御在城の節は御閑隙に被成御座候に付
  一ヶ月十二日其外不意の御稽古有之
一 儒書の講釈是又繁く有之折々御前御直講被遊御家老共
  初め御番頭以下御家中諸士子共迄拝聴尤林大学頭殿人見
  又兵衛殿被召呼并佐藤五郎左衛門毎度参上講釈御聞被遊
  是又御家中の者被召出御聞せ被遊候
一 午中刻夕御膳朝御膳の通り也御朝夕共に御献立なと御覧
  被遊候事無御座候御客の節は殊外被為入御念二三日前より
  御献立等御吟味被遊其日懸りの御用人共并御料理人頭
  白石新兵衛なと御前へ被差出御世話被遊御料理の節には

  御自身御料理の間へ御出御指圖被遊候
一 夕御膳過馬場へ御出御自身御馬を責させ候ける一方には
  二三疋宛地道四五扁乗十四五扁折々は懸口も被為乗候尤御側
  御用人共初め御近習の面々并御馬乗舩の者共御相馬を仕候
  御前御責馬相済御用人御近習の者共を初め乗舩の者共
  毎暮馬数二三十疋御覧被遊候御馬に不残名有り大方御求め
  被遊候在名多し仮令は仙臺森柳村より出る駒は青柳と号上州
  白井村より出たる駒は白井はくせいと号し給ふ
一 御馬相済直に御厩へ被為入御馬共に夕粥付申候を御覧被遊御慰み
  被遊候病馬にて御自身馬薬を御調合被遊被用之候是又
  御軍用の御心懸と相見へ申候
一 江戸御上屋敷に御馬数七八十疋有之其外御中屋敷大塚御屋鋪に
  二三十疋都合百疋餘前後御座候此内御左御客馬何も早馬か
  大長く地道はでなるか毛替りなと馬代三四番六七十両百両位の
  御馬二三十疋宛常に有之候
一 御小荷駄も二三十疋有之何も六七時以上の大馬也
一 御客様に寄御馬御馳走の節は四五日前より御馬司申候御用人へ段々
  被仰付御馬数を極められ皆々皆具御吟味有之乗舩の者共
  随分被為入御念衣類袴等新敷相改め御馬数は十二三疋御客様方
  御馬数寄大勢被為入候節は段々御所望有之二十疋餘も出申候
一 御客様に寄小荷駄馬の御馳走御座候御小荷駄長六七寸 〆[附紙D]
  八十九寸程の大長也鞍は青貝朱塗滅金金物しとみ小口は
  金紋の模様皮にて包み夏駄覆首に鈴多く付く四寸の
  中間紺の袷三尺手拭一様にして腰に鼻捻を指馬数七八疋又は
  十二三疋一行に揃へ牽馬場を四五扁七八扁も牽廻し申候
  尤序破急の牽様有之由御客様方御目付の馬をも
  馬見所の前にて地形なと御覧被遊候
一 御国許にも乗馬五六十疋時に寄百疋程も有之御小荷駄も
  四五十疋宛三の丸下御厩に有之御帰城の節は江戸表より
  御馬二三十疋宛御牽せ被遊候
一 年々拝領の御馬は皆々御国許に被指置馬一生飼殺に被仰付
一 御在江戸の内は御用多く諸藝の御稽古講釈御馬等日々には

  無御座候御在城の内は日々講釈武藝乗馬被仰付候
一 江戸御在城共に夜に入御居間の内に行燈一つ御次間并表向御勝手
  向共に惣行燈なり但し江戸表にては御客并御出入の者不絶参上
  仕候に付燭臺ほんほり不絶出申候御振舞の節は表奥御勝手
  迄蝋燭也
一 御在江戸の内は奥方へも一昼夜に二三度被為入御姫様方へ
  御對面有之御鈴の役は御小納戸司之候
一 御在城の内は奥向無御座昼夜共に御居間に被成御座候
一 御行燈出申候以後御伽の者朝の通り罷出御咄申上候於江戸表は
  御出入の町人御能役者共の内御家来同前の者不絶御伽々
  罷出候御在城の内は御家来の醫師儒役の者共罷出御伽仕候
一 江戸御在城共に御家老共初め諸役人御人拂ひの御用昼夜共に
  有之候於江戸表は若殿様下野守様御用も有之林大内記殿
  御講釈人拂の儀折々有之候
一 御在城の内江戸表より御飛脚繁々到来御用多有之候
一 右御人拂御用相済御伽の者共と御咄有之亥刻の御附
  御小納戸御近習の者の内申上此時御伽の者共へ御暇被下置并
  御側御用人御近習目付御小納戸御近習の者共へ何も休み候様にと
  御意有之何も退出す此時表向御廣間御勝手向御臺所迄も
  惣御夜詰引け申候表向は表御目付司之申觸送る是を
  中引けと云
一 御近習二三人御小納戸二三人居残り申候御居間御次の間にて御洗足を
  被遊御小納戸司之奥坊主勤之
一 夫より御居間へ御戻り被遊年若の儒役の者又は御側の者の内にて
  学問心懸申候者の内御側へ被召寄史記漢書三国志又は和漢
  閑談物なと讀させられ御聞子刻過に御寝所へ被為入
一 寒中にても御居間御寝間共に御火達御火鉢曾て不被指置寒中
  雪なと降申候節は御居間御縁ヶ輪に小き石炉有之候右の者炉にて
  御自身榎の木をこまかく割たるを二三本御自身御焼被遊候御側小僧共へ
  被仰付候事も有之但し若殿様下野守様初め御客様方被為入候節は
  昼夜共に御火鉢出申候
一 御在城の内は御焼火の外は御火鉢御火達曾て無御座候御燭臺

  ほんほりも江戸表より御用状到来并講釈有之節は
  蝋燭出申候常は曾て御用不被遊候
一 平常御夜食は不被召上夜舩の内折節御焼食被仰付
  小き御焼食四つ五つ御小重箱に入小き焼味噌御手塩皿に入指上候
  二つ三つ被召上其上にたし茶少々被召上候迄に御座候
一 御伽の者共へは御夜食御酒も被下候折々御近習向御次向へも
  當番切に被下之表向へも被下置候事も有之候
一 子刻過御寝所へ被為入御小袖被召替御床の内へ被為入御夜着は
  御小納戸役の者為召之候御小納戸御近習居残り申候者御大小の
  御腰物御鼻紙袋御扇子御枕元御蒲團の側に被指置候
  
一 御寝間御縁ヶ輪に障子を隔て鉄行燈一つ被指置候迄なり
一 御枕元に仮名本の草紙當時のかな御師範事なと有之を奥より
  御取寄御覧被遊候
一 御寝所へ被為入候以後居残り申候御近習の者方より不寝の番
  両人へ御寝所へ被為入候案内申遣其節不寝番両人出勤
  次第居残りの御近習交代して下宿す不寝番は御近習の者
  廻り番に相勤申候
一 不寝番の者はひやくゑにて刀は御次の間に指置脇指帯し御枕元
  障子を隔て鉄行燈の側に罷在書物なと見申候事は御かまひ
  不被遊候付記録本なと持参仕見申候て罷在翌朝に至御目覚前
  當番の御近習出勤次第交代仕不寝番の者は下宿仕候
一 御次間に伏申候者御側御用人一人御近習目付一人御小納戸役二三人
  夫より御次番七八人其外御小納戸部屋御右筆部屋大納戸部屋何も
  當番二三人宛伏申候并御茶部屋に御坊主組頭一人平坊主五六人
  不寝所相勤罷在候
一 表向は御廣間に御物頭御奏者役三四人御使番御歩行頭二三人
  平給人四五人御帳付其外中目付歩行目付等都合十七八人宛
  泊番相勤申候但御在城の内は御書院番焼火間御番打交て
  十四五人泊り申候依之御物頭御奏者の者は御在城には泊番無之
一 御勝手の方に表御目付當番一人并中目付歩行目付下目付所々の
  役所に泊り申候尤不寝番下目付足軽所々有之

一 御臺所向は御臺所頭司之火の元昼夜所々に有之
一 夜中出火地震又は急御用向は表御目付御近習目付へ相達し
  夫より御小納戸の者か不寝番の者か御用を覚し申候と其侭に
  御脇指を被為帯直に御居間へ御出被遊其向々へ御用被仰付候
  御下屋敷共御一門様方火筋悪鋪節は早速御使者御人数等
  被遣之若大火に及御曲輪の内へ出入申候節は早速御火事
  御装束被遊御廣間へ御出被遊御人数を揃へさせられ向々へ御下知
  被遊候火元見にて御近習の内次間御使番御歩行頭又は御馬役
  乗形の内何も江戸方角案内も存候節若者を追々に被仰付
  御馬は御召料の御馬御客馬の内御秘蔵の御馬にても望次第御借し
  被成乗戻り申候得は直に御前へ被差出火筋風並の様子委細
  御尋言上申候見分の善悪に寄御褒美も有之又は御呵に逢
  申候者も有之候
一 御在城の内御家老共初め御家中老君并子共迄被召出折々
  御直講拝聴被仰付御菓子なと被下置候学問帳出し申候者子共
  迄も御懇意の上四書小学近思録五経等御書物被下置候
一 儒役の者月並講釈も四書の内小学近思録の外は講釈
  不被仰付尤御直講も大学論語の内を御講釈被遊候
一 武藝は釼術鎗弓鉄炮馬日々有之尤居合柔術捕手
  長刀棒の術迄何流に限り不申御家中の者稽古を被遊御覧
  師を仕候者をは御家来は勿論他国より参申候牢人者等迄被召出夫々に
  御懇意被遊御目見拝領物等被仰付品々寄被召抱候者も数多有之候
一 御家中手馬持候者共は御家老御番頭御小性頭御用人御物頭諸役人平士の
  面々迄老君に不限折々自身乗被仰付御覧被遊候
一 御家中若き者共には利根川廣瀬川にて馬上の川を又は歩行游被仰付
  御覧被遊候
一 大筒遠町火業の類は御城下を離れ赤城山の麓から沢なと申所の
  廣野場にて被仰付折々御覧も被遊候
一 鉄砲玉目四五十目百目二百目三百目位并早打の業なとは御居間前の
  御庭の内にて毎日の様に御覧被遊業能誂行仕候若者共へは御褒美等被下之
一 凡一ヶ目の御勤江戸表にては御登城御老中方其外御役人御家門様方
  吉凶に付御勤日々の様に有之

一 御客も一ヶ月の内四五度宛も御振舞の御客有之候尤御客様に寄御馳走
  御能御拍子御的御馬等有之御家門様方御年若の御方様へは儒書の
  講釈鎗又は大塚御屋敷にて鉄炮の早打なと御馳走有之候
一 御連枝様方御姫様方御女中様方被為入候節は繰狂言抔被仰付御餐有之
  御懇意の御方様并御籏本中なと御招御茶湯の御客も有之候
一 一ヶ月二三度ほか様御家門様方へ御振舞に御越被遊夜隠迄被成御座候事も
  折々御座候
一 御在城の節は江戸表へ御送答の御自筆の御書并御家老共初め諸
  御役人共へ御自筆の御書も有之候
一 御老中様方初め御自筆の御判物并御端書御自筆も数多御座候
一 若殿様下野守様奉納御連枝様方御姫様方へ御自筆の御書両度
  数通有之候
一 御在城中江戸表より御内證并御老中様方より御奉書到来の節は
  江戸表にて御登城の通り御髪月代御行水被遊御尋物御腰の物迄も
  御改め麻御上下にて右の御書を御居間書院御床に塗三方に載せ被置
  上段にて御拝見被遊候
一 右の節は御側向御次向迄忌服御改め被仰出右の御用懸り御側御用人
  御近習目付御案紙奉行御近習の者御小納戸迄御用懸りの面々は
  麻上下にて相勤申候
一 惣て在城中仮初にも江戸の方を御敬ひ被遊尤所々的場鉄炮場
  矢落玉落江戸の方御停止被遊候於江戸表所々御屋敷共に御城の方
  御敬被遊候同前に御座候
一 御在江戸の内上野増上寺は外々様御並様の通り御参詣也御自分の
  御寺参度御座候江戸にては浅草曹福寺麻布曹渓寺深川霊岸寺
  御在城の内は毎月十九日龍海院へ御参詣也是は大昌院様御忌日を
  以て也
一 毎歳伊勢へ御名代御側向御次間の内より頼申上候者被仰付候
一 日光山へも御名代有之候
一 年頭にて御家中諸士へ御土器被下末に玉候ては御流頂戴也御肴は御家老共
  勤之
一 御帰城の節諸士御城下町迄罷出御目見仕御着城以後十四五日も過惣御家中
  惣領分迄不残御目見被仰付重立申候者子共は八歳より御目見被仰付

一 御在城中一度御家中の者へ御料理被下置一汁三菜御酒三献御吸物
  一つ御肴二種也其節席は御小書院大書院大廣間也一日の人数三百人程
  日数三日程に相済申候於目見仕候子共并隠居の者共不残頂戴被仰付
  并小役人足軽の小頭等迄御勝手にて頂戴仕候
一 御料理出申候節御前御出被遊何も緩々と給候様に御通り懸り御意
  有之御酒の節は御家老共御番頭とも一両度罷出随分御酒緩々と
  頂戴仕候様に挨拶有之
一 御在城中御領分の寺社御目見被仰付訳有之寺社方へは御料理又は
  御吸物御酒又は御餅菓子等被下置候龍海院の儀は御菩提寺の儀
  御在城中二三度も御餐懇有之其節深英寺隆興寺壽延寺
  等も被召加候龍海院へは御在城中一両度被為入御膳も被指上候
一 酒井弾正殿初め御家老共御城代御番頭共へは折々御料理被下置候
一 弾正殿へは御在城中一両度被為入終日御馳走有之弾正殿家中の者
  的前御覧有之候御附人を初め御目見仕候格式の者凡二三十人程も
  有之候又儒書の講釈馬も御覧被遊候弾正殿手馬二十疋餘も有之
  平常馬数寄被申馬代の馬も有之学問も数寄被申自身講釈
  被致馬も自身乗被致御慰御馳走被申候馬役に佐藤太左衛門殿と申候
  功者の乗舩の役人も被抱置候
一 御家老共へも被掛御腰候・高須隼人・松平内記・川合勘解由左衛門
  ・本多刑部左衛門・内藤半左衛門・大河内勘兵衛右六人は侍組御預被置候
  者共也二三年に一度被為入候后年松平左忠酒井頼母へも被成御腰候
一 御在城中大湖の御城へ一両度被為入候前橋御城より大湖の御城へ道法
  二里半也大湖の御城に御屋形無御座候付城下の寺羪林寺へ被掛御腰
  是は先城主牧野右馬允康成菩提寺也此節大湖住宅の御家中の諸士
  御目見仕御菓子抔被下置候
一 抑此大湖の城は古来大湖氏某居城其后北条家士大将山上強左衛門在城せり
  小田原滅亡後関八州御午に入于時天正十八庚寅年八月御入國の節
  牧野右馬亮康成拝領して居城せり其頃の二の曲輪の城門于今在
  城門の守板札に慶長の年号有之大坂冬夏の役に康成此門より
  出陣たりと言ふ牧野康成元和四戊午年越後国長岡の城拝領夫より前橋
  御領知と成る
一 城は後堅固の平山城也後に荒川の大川有之本丸二の丸は山にて三の

  曲輪平地也諸士の屋敷は三の丸より段々有之侍屋敷二百軒余
  有之本丸二の丸は竹本多く林となる草深く大蛇大蚣多く有之
  城下の町も繁昌せり東上野新田足利桐生邊より西上野
  前橋沼田高崎伊香保城なとへの驛場也
一 前橋御城外登方十四五町隔て御下屋敷有之利根川を西面に
  請河原二三町隔て丘有り赤松の大木二三本有之其下に
  御茶屋有り林大内記信篤翁の自筆の額を送り給ふ
  觀民還と号す御在城の内一ヶ月の内一両度御慰に被為入共所々
  景形南は利根川夫より惣社の森秩父山妙城山見ゆる西は甲州の
  山々浅間山見ゆる北は沼田越後山赤城山日光山見ゆる東は御城下
  町並成り深英寺の森風呂川の流近く有り誠絶景の
  地色御茶屋近所に馬場的場鉄炮稽古場有り御的御馬又鉄炮の
  早打等被仰付御近習を初め外様に限らす若き者共に被仰付於御茶屋
  儒書の講釈も被仰付御伽の者御近習御供方の内にて謡仕舞なと
  被仰付御伽の者共には御吸物御酒又は冷麦蕎麦切米被下御花畠の
  瓜西瓜等御近習御膳方へも被下之候
一 御衣服は江戸表にては御格式御相應の御召物は御在城の内は上州絹の外
  堅く御着用無被遊平常御頭巾御足袋御きらいにて御用曾て無之候
  江戸表にて御登城其外御外出の節は御足袋被為召候
一 御鋏箱の内に平常大半御羽織小道具箱入御着込御鉢金も相見へ
  不申候様に包御鋏箱の下へ被為入置候是又於小納戸司之
一 御腰物は御道具方司之数多の御腰物の内御秘蔵の御腰物は四五通りならては
  無御座御指料の御拵随分目立不申結構成柄鮫は御用ひ不被遊丈夫
  成鮫を黒塗に被仰付御柄糸は茶ひつうとふ又は二紺の類也御下緒も右同様にて
  紫下緒なとは御用不被遊御縁頭御目貫御小柄御裏指なと随分目立不申
  亦銅なとの古風成御物数寄に差候御鍔なと大方無地の鉄の御鍔也
一 御衣類も黒きに御紋付茶色の御裳又は茶小紋の御紋付の儀浅黄裏なと
  被為召御帷子は浅黄又は桑染なとの御紋付也御上下も麻裳付共に
  花色小紋栗梅の小紋なり
一 御召料の御具足色々御物数寄にて被仰付是又目立申御前立なとは
  曾て無御座候御着料共の儀は筆頭難尽恐有り是又夫々の御役人
  武備に心懸申候者共へ被仰付候片山三郎兵衛富安又右衛門なと兵学功者に付

  御物数寄の御相談申上候
一 平日御在宿の内御客様方は勿論若殿様下野守様を初御一門様方
  御旗本の衆中諸家の陪臣浪人者等迄も御達被遊候節には
  御裏付御上下被為召御達被遊候御家来の内にても御家老共抔へは御袴を
  被為召御達被遊候
一 御家の御軍令御行列御備立等の儀は御家老共の内一人司之并
  兵学者の者一両輩蒙仰密事の御用折々有之候是は御家中
  諸士役替又は相果又は御暇等出申候者被召候依之彼是御入替御座候付
  毎月御改め御座候
一 御武具の儀は御国許江戸表共に御役人被仰付平日相改不絶諸色
  御修覆仕候御借具足等数年の儀被仰付候可然難斗有之且又
  御物頭の分御旗奉行を初め御先手御物頭弓鉄炮御持弓御持筒の頭
  御持長柄頭等銘々御蔵に頭の仮名を懸置夏の虫干は勿論其外一ヶ月に
  一両度頭共罷出改之破損の所は申立御武具御修覆奉行申侭
  早速御修覆有之其外小屋渋紙細引荷包琉球指札等迄
  急度相揃万一急々御觸等にて御備出申候節は郷中の人馬欠置次第に馬に
  附押出し申御定法也
一 具足師刀鍛冶鎗鍛冶弓師矢師弦師鞢鉄炮張師臺師
  同金具師鎗屋等御扶持給被下置御長屋又は小屋敷なと被下候
  妻子迄養ひ御普代に被仰付数人有之昼夜御本丸二ノ曲輪
  三ノ曲輪所々の御武具御修覆所へ相詰夫々に相勤申候凡鉄炮なとは
  大筒小筒取合一ヶ年に二三十挺平場に張立申候慶長六年已来
  百五十年余の儀に付大積記に及不申其外近江南部江戸表にて
  被仰付候鉄炮年々の儀其数難斗御座候
一 前橋御城内に学問所御達被置一ヶ月の内十二日の講釋諸
  儒者役勤之御家老共初め御家中の諸士子共迄出席被仰付
  其外軽き御家人百姓町人等迄学問心懸申候者は聴聞仕尤
  讀書は日々有之其外鎗稽古場的場有之表御目付役
  司之中目付下目付代々出勤仕帳面に記入御披見此学問所の
  額も林信篤翁の自筆にて好古堂と号す
一 御領分中農工商共に家下の地年貢を御免被成下是全他國に
  無之御潤徳と四民擧威賑候


 末語
   愚老高祖父松下左近豊綱以来上州前橋の産にして
   酒井家に仕ふ事凡百五十有餘年也于時予若
   忠擧公の君邊に仕ふ然るに三十一歳の時
   君命を背き父の家督は予弟崇綱相續せり
   依之江府へ出
   土屋政直公同陣直公二君二十ヶ年以前暇を取一子津田甚十郎
   文啓近年因伯の太守
   宗泰公被下知當時
   勝五郎君に仕ふ予江戸に住する事五十年に及依之近年の
   国主城主御旗本の健士方迄普く日用の御行跡を傳へ
   求る処古代は不知
   御當家御治世の始より
   忠擧公の御行跡御身持他に又可有共覚奉らす近代の
   諸侯太夫方先祖の武功を専要守り給ひ御身持厳重にして
   家中の仕置手荒く領分の農工商安堵の思ひをな□す
   針の筵に座する如く成行又穏和の邦は武備に疎く家中の
   風俗柔弱に成り武道を忘れ公家侍の如く成行其餘の方は
   婬乱酒狂にして夜を昼に送る人多し誠に
東照神君の御神靈に叶ふへきにてもあらす天下一統の御條目にも
   治に乱を忘す文武は両輪の如くと載られさせ給ふを愚老
   此理を奉恐察候
   忠擧公の御行跡老後の今に至り奉感賞日用の御行跡
   百にして二覚たる事を書綴て子孫に拝せしける者也

             紙二十五枚
  于時
   寛延三庚牛年林鐘中三     津田元武
                      七十九歳

[附紙A]
 〆
  御伽の者所謂

    儒役  ●新地慶道
●三輪善蔵    ●古市藤之進 ●斎藤才二郎
●松屋弥五左衛門 ●松崎助作  ●水田■■
●伊藤市之丞
○藤堂家醫師 ●高橋梅庵
○榊原家醫師 ●杉山泰庵

    醫師        ●飯田■■
●高井隆軒  ●岡■■■  ●斎藤圓■
●坂田正倉  ●吉田一庵  ●山田貝閑
●■■宗■  ●松野甚作  ●高尾■■
●武田宗閑

    ■■         さろくと
●日吉五郎左衛門 ●木崎左助 ●■川次庵

右の外大勢■■■正仕候

       

[附紙B]
 御旗本の内御懇意御出入
〆   ●西尾小左衛門殿 ●小笠原丹波殿
    ●松平彦太夫殿  ●山本加兵衛殿
  右の外大勢有り  松平左仲
           酒井左門


[附紙C]
〆 道仙忰
   出渕三郎兵衛


[附紙D]
  乗形の者所謂
   ●佐久間次助父子 ●赤石甚左衛門 ●木村傳左衛門
〆  ●江口角之允   ●中嶋三次郎  ●菊池傳一郎
  右の外■■乗方
   ●小林彦兵衛   ●萩原次庵   ●堀口助兵衛
   ●木村■兵衛
  右の外大勢有

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