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上京道中日記

文久3年8月18日、八一八日の政変。政情の急轉によって熊本藩主 細川慶順公は同年9月10日熊本を発足、9月28日に入洛しました。このとき、同藩の三藝師役 星野如雲も上洛に御供し、それから滞京すること174日にして帰国の途につき、文久4年4月10日熊本に帰着します。この滞京期間・上京・帰国の道中あわせて206日間の日々を記録したのが、こゝに紹介する『上京道中日記』です。

先ずは細川慶順公が上京に至るまでの主な出来事を挙げます。

文久3年8月20日
熊本藩主細川慶順、隣國諸侯と協力して公武一和に周旋する所あらんとするの意を藩士に諭告す。

文久3年8月23日
在京熊本藩家老長岡内膳、藩士轟木武兵衛・同山田十郎をして、長州に赴き、権中納言三條實美等の動止を探り、歸藩して之を藩主細川慶順に報告せしむ。

文久3年8月24日
幕府、熊本藩主細川慶順に豊後日田陣屋及附近幕領の警衛を命ず。

文久3年9月11日
熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同長岡良之助、熊本を發して上京の途に就く。

政変が起きたのは8月18日、七卿落ちの事実が公に発表されたのは8月22日、熊本にこの急変を知らせるには今少しの日数を要したことでしょう。在京の熊本藩家老 長岡内膳は直ちに三條実美公等の安否を探索させています。これは條公が細川慶順公の義兄にあたるためと思われます。

□…虫損  ■…不読  [ ]…管理人註

掲載史料及び参考資料

『上京道中日記』私蔵文書
『維新史料綱要』東京大学出版会

熊本発足、鶴崎から海路大坂へ向う

 九月十日 晴
朝五ツ頃發足、親類相門中泰勝寺馬場迄送る同所にて酒を飲、大津・松岡にて平八・庄兵衛・傳次郎来る、五ツ前内牧着直に長谷川方并小堀・加々美方へ参る

 同十一日 晴
朝六ツ頃内牧發足、當地へ嶋安左衛門方にて種々馳走にあう、笹倉にて城井國右衛門に逢ひ酒を出す、日入前久住町白石官兵衛宅へ泊る

 同十二日 晴
朝六ツ過發足、元谷にて昼飯を仕舞、今市村出小屋にて菓子を給へ、七ツ頃野津原桜屋藤左衛門宅へ泊る當宿にて酒を飲
[鹿児島藩主茂久生父島津久光鹿児島を發して上京の途に就く]
[和歌山藩兵、富貴村より進撃して鳩ヶ首(大和國吉野郡)を占領す]

 同十三日 雨
朝七ツ頃より發足、六ツ過より微雨四ツ頃靏崎播磨屋猪兵衛方へ止宿、其前欅ヶ小路ノ出小屋にて宮安【勝】と酒を飲、當宿にても酒を飲、長谷川方小堀・加々美止宿に廻勤、御番宅へも右同様野津原より守袋切遣す、夕飯前御神酒
[靏崎=大分県大分市鶴崎]

 同十四日 晴
終日寝申候、昼酒飯、夕七ツ頃より乗舩冨海杉村屋兼吉舩頭上乗り利根新九郎

 同十五日 晴
朝茶碗求に上陸、四ツ頃より 御目見に出る、九ツ過御着御留渡御番宅にて直に所々へ廻勤して乗舩祝仕申候

 同十六日 朝曇四ツ頃より雨
朝五前御乗舩直に御出舩、自身ハ深江へ懸る同所にて昼飯前酒を飲
[深江=大分県臼杵市深江]
[新撰組頭取芹澤鴨及隊士平山五郎、京に於て殺さる]

 同十七日 晴
朝六頃より深江出舩 夜四ツ頃予州松山領つわの港に碇泊

 同十八日 晴
朝六頃よりツワ出舩、白濱碇泊

 同十九日 晴
白濱より出舩、弓削にて暫碇泊り上陸八幡宮参詣同所にて肴を求る、回嶋港に暫く碇泊、暮前より出舩、あふとの観音伏拝み、夜五ツ頃備後鞆の港にて碇泊

 同廿日 晴
朝日出頃鞆に入湯、市中見物祇園社に参詣寺社の下小松の重盛の墓有之、銘酒屋にて保命酒を飲、昼後津崎にて矢幾の魚釣る

 同廿一日 朝打曇夕より微雨
朝八ツ頃より鞆出舩、獅々嶌へ暫滞舩上陸大師参り仕申候、夫より金毘羅宮よふ拝、よ嶋六半頃着舩其夜碇泊

 同廿二日 
六頃より出舩、日比碇泊上陸帯地立寄、暮前より出舩、備前口暫碇泊、暁より出舩六ツ頃

 同廿三日 雨
六ツ頃牛窓に着舩、津田・利根・石川・西松例の祝に逢、暫上陸所々見物、其夜碇泊

 同廿四日 晴
未明より牛窓出舩、昼頃室着直に上陸、明神参詣、皮文庫抔求、問屋にて酒を飲む、八ツ半頃御着舩直に任真丸に御乗移り、其夜同所に碇泊り

 同廿五日 晴
六前より昼出舩、朝追風、昼前なき、四ツ頃大坂着、常安橋下タに懸る

大坂発足、入洛

 九月廿六日 曇
朝五前より上陸頭々打廻宿状仕出西松に頼む、夫より湊橋西■平野屋嘉平方へ止宿算用仕舞、夫より道頓堀心斎橋通り高臺橋通り乕屋餝頭求、七ツ半頃帰り同所にて酒を飲む、布うり■■、志水・関・利根・永江・兼吉来る
[藤本津之助・松本謙三郎、和歌山藩兵と闘死]

 同廿七日 晴
朝七ツ半時の御供揃にて大坂御發途、下拙共ハ御昼枚方迄非番、枚方より御供伏見迄六半頃御着
[吉村寅太郎、津藩兵の為に斬らる。其他餘黨、悉く潰ゆ]

 同廿八日 
七ツ半時の御供揃にて惣御行列立、六ツ頃御發途御先無足六拾人銘々槍引付御先に三行に立ツ、昼頃西本願寺へ御着直に御廻勤の御供、夜五ツ頃御帰殿、右門前性應寺へ着、鷹司様・廣橋様・飛鳥井様・■■宮・中川宮様・近衛様・一条様・二條様・正親町様へ御廻勤

 同廿九日 晴
非番、所々廻勤、宿状仕出、泊り番

買物記録

入京までの金子の使い道をこゝに抜粋します。用途は食物が多く、海路に茶碗類・釣竿・皮文庫などの道具も購入しています。

九月十日熊本發足
一 弐分     坂の上にて茶代・
一 五分     三本松にて菓子代・
一 壱分     とふきひ代・
一 弐分     汁代・
一 五分     菓子代・
一 弐匁弐分   欅の小路にて酒代・
一 九分     野津原にて酒代・
一 五分     花梔丼・
一 百文     干物・
一 弐拾弐匁   舩中用酒代・
一 七拾文    柿代・
九月十四日
一 三歩二朱の所五匁五分 靏宿仕切・
一 八匁     十五日御初酒を上る・
一 弐匁     茶碗類
一 三分     菓子代・
九月十六日
一 八拾文    安へ返す・

一 拾六文    板へ返す・

一 七文     安へ返す・

一 壱匁壱分   えんとふ代・
一 壱歩     靏崎茶代遣候
 同十九日
一 三百三拾文  弓削にて肴代・
 同廿日
一 拾六文    湯銭・

一 弐拾文    祇園の餅代・

一 拾三文    右同・

一 拾六文    釣竿代・

一 五拾四文   保命代・

一 七文     柿代・
 同廿二日頃にて求る
一 弐百五拾文  白足袋

一 五拾文    真田打
 同廿三日
一 百五拾六文  舩送用・

一 百文     唐芋・
一 三拾弐文   みりん酒・
一 六文     醤油・
 同廿六日
一 三歩     舩中旅籠・

一 壱朱与百弐拾文 室にて酒代・
           残仕向
一 三百三拾弐文 綿打粉
一 五十文    乕屋餝頭
 同廿六日
一 壱貫百文   大坂旅籠代
一 三貫弐百文  大坂にて酒代
    板垣振舞 五ツ割六百四拾充
 同廿八日
一 五百文    着酒代
一 五百五拾文  右肴代
 右安田振替置


三条実万──┬──三条公睦
      │  │
山内豊資┬─│──恒
    │ │
    │ ├──三条実美
    │ │
    │ ├──河鰭実文
    │ │
    └─│──山内豊惇──山内豊信
      │  │
      ├──数姫(婚約)
      │
細川斉護┬─│──細川慶順(殿様)
    │ │  │
    │ │  ├──細川[長岡]護久(澄之助 後右京太夫)
    │ │  │
    │ └──峯(正室)
    │
    ├────長岡護美(良之助様)
    │
    └────勇(正室)
         │
         松平慶永


上図は星野如雲翁が頻りと通行したいくつかの通り示しています。宿所は特定できませんでした、当初は本願寺前の性應寺を宿所としていたようで、その後11月20日頃に自身で選定した下宿へ移動したと記されています。

京都に於ける日々、文久3年10月

 十月朔日 微雨
朝六過御本陣引、六半時の御供揃にて因刕様御出、九半時の御供揃にて御参 内、下拙非番に御役所へ出、大宮通り松原通に出、さめかい通[醒ヶ井通り]に帰る、夕七ツ頃より晴

 同二日 晴
六ツ時の御供揃にて良之助様御所御番、下拙共非番、朝飯時より外出、大佛・清水寺・祇園・知恩院・南せんじ[南禅寺]・獅■谷、夫より直に四條を通り暮前帰る
[熊本藩家老長岡内膳忠顕の歸藩を聽す]

 同三日 晴
朝五ツ頃御所より御帰殿、昼酒を飲む、昼後寺町迄出■■■■たへ[食べ]、暮前帰る
[鹿児島藩主茂久生父島津久光、京に至る]

 同四日 晴
朝五ツより御供伺、夜六頃宮川・小堀・白木・新居御廣敷、當分■■■

 同五日 晴
九ツ時の御供揃にて會津侯旅宿烏丸通り中立賣上る施薬院へ御出、五ツ頃御帰殿
[施薬院は御所の西、中立売御門に接する北]
[浪士真木和泉、本藩の追捕を避け、三田尻を發して山口に遁る]

 同六日 雨
六半時の御供揃御所御番西園寺様へ御出、昼後暫く天機御伺御供仕、御所内紫震殿内待所拝、尚又西園寺様御泊り下拙、六ツ晴
[諸藩に令して、藩士及浪士等の公卿・堂上間に遊説するを厳に取締らしめ、且其在京藩士の員數氏名を録上せしむ]
[前藩主松平慶永の罪を赦し、明日、之に上京を命ず]

 同七
六半時の御供揃良之助様西園寺様へ御出、夫より御二方様御同道にて中川宮様へ御出、昼頃御帰殿、夕加々美へ参り西崎へ参り病中にて御供伺引
[中川宮様=久邇宮朝彦親王]

 同八日 曇
朝御供伺の處病中にて引、良之助様御名代として勘解由殿御所御番、夕宮安離盃仕候、三文字屋手代へ露席頼つむき羽織借置

 同九日 晴
朝■方乕吉来る酒を飲、近藤半蔵来る
[軍艦奉行勝義邦、京都守護職松平容保を訪ひ、審に諸大藩の形勢を陳じ、公武一和の要を稟す]

 同十日 晴
四ツ半時揃にて士席以上召出、風邪にて出仕不仕栗崎道波来る、永田岩助来る、御飛脚品入状仕出す受取来る

 同十一日 朝晴五ツ頃打曇
安田出立、大沢来る、栗白飯

 同十二日 晴
御所御番下拙病中にて引、尚又無足着
[無足とはその身分の者たちのこと]
[朝廷、諸藩に令して攘夷の挙は総て幕府の指揮を俟つべく軽挙暴発すること勿らしむ]

 同十三日 晴
病中にて引入達仕候仁田方に持せ遣す、御国よりの御守状魚住持参有、廿三日仕出後日書状来る、■■・安東・岐部・池上・守永其外数人来る

 同十四日 晴
■■宮様へ御出、夫より西園寺様へ御出、松平肥後守様へ御[出]、五ツ頃御帰殿

 同十五日 晴
御神酒・猪肉を食、道波来る
[道波は五日前診察に来た醫者]

 同十六日 晴

 同十七日 朝晴昼少々雨
五ツ時の御供揃にて嶋津三郎様へ御二方様御出、近衛様・一條様へ御出、渡邊■遠山■林田■へ栗崎来る、夕入湯
[嶋津三郎様=島津久光]
[熊本藩主細川慶順の弟長岡護久・同良之助、書を以て前福井藩主松平慶永に寄せ、曩に慶永の家老岡部豊後を熊本に派遣したるを謝し、且京情を報ず]

 同十八日 晴
朝髪を結ひ使場達仕、小堀先生方(■■■)に持参所々廻勤、昼飯後寺町誓願寺を参る、乕見物楊弓を引、四條邊にて買物仕候
[前福井藩主松平慶永、京に至る]

 同十九日 晴
朝飯後御供伺、昼後関殿参る、醒ヶ井通に長刀鞘頼廿六日迄受合
[長刀の鞘を注文]
[福岡藩世子黒田斉慶贊、京に至る]

 同廿日 薄曇
四ツ頃より寺町邊迄見物に出る
[前福井藩主松平慶永、書を大将軍後見職徳川慶喜に致して、大将軍及慶喜の上京を促す]

 同廿一日 晴
朝飯後ハ宇野・板垣同道にて妙傳寺邊迄行甲を松原通に頼来■五ツ頃迄受合、寺町にしころ簑頼廿五日頃受合、三■にて泊り番

 同廿二日 晴
六頃御本陣より引
[熊本藩主細川慶順、曩に禁闕守衛の為、上京せしめたる元親兵五十餘人に、他人面會・交通等を禁ず]
[熊本藩主細川慶順の弟長岡護久・同良之助、連署して書を前福井藩主松平慶永に致し、大将軍の上洛及諸侯會同に周旋せんことを冀ふ]

 同廿三日 晴
■■へ行莨入抔求る、今日より手賄宿状品物仕出す、夕志水来る

 同廿四日 朝曇り
外出無之、晩泊り

 同廿五日 晴
朝飯後より五條に参り紙入弐口頼■■にて■シヤクを頼、松原通に参り甲五鉢を才足敷、宮川町通り御池通に参り三條通に参り釜屋に参り油小路醒ヶ井通りにて紙■を求、七ツ頃帰る

 同廿六日 晴
朝飯後より宮永・板垣同道にて蛸薬師通り烏丸西へ入る高宮屋へ参り夏袴を求る、昼後小川弥一郎に頼数人同道にて本願寺飛雲閣見物誠以唐の模様筆紙に尽難く寸度?唐画を見る様に御座候、唐前の醒ヶ井■者就学主人の筆塚有、是又ハ上人熊玉と申候而御筆留に相成候故筆をうつめ塚を立候也、本?の小屋有之胡蝶申開の四辻大納言の筆、其後に待屋有之前めのふ[瑪瑙]の飛石有之、次に利休作の手水鉢、次に清正公朝鮮より御持被遊候片袖の手水鉢有之、手前の間狩野三楽の画、次の間狩野永徳の柳の画、次に秀吉公のむしふろ、次に湯さまし御間冠の棚有之葉室に床桂蛇木■に朝鮮木縁チ黒たん武者ク々リ朱たん落しかけ■り公家のシヤクシ作る木材の、三階遠見有之床内元信の画冨士下タに秀吉公松の御画、二階に狩野三楽の三十六歌仙の画、外に飛雲閣の書九條様御筆、柳の間に二條様御筆の器有之、七ツ頃帰る

 同廿七日 晴
九半時御共揃にて相勤、御二方様二條様へ御出、夜五頃御帰殿、夜御供伺の処

 同廿八日 晴
五ツ時の御供揃にて 天機御伺、非番にて一日外出無之、鏡立を送る膳箱抔送■■

 同廿九日 雨
朝五ツ頃より降出す、朝飯後御供伺に出る、夕外出無之

 同丗日 晴
朝飯後より五條寺町方徘徊、七ツ頃帰る、五條通にて紙壱歩弐百にて莨入七百八十にて頼む、十一月十日頃出来の約束、御二方様松平春嶽様へ御出

京都に於ける日々、文久3年11月

 十一月朔日 晴
五ツ時の御供揃にて御二方様宇治へ御出、夕御供伺の処御留守にて出身不仕、夕田中新八方に咄に参る、先月廿三日より同丗日迄■煩粉弐歩与三百三十三文定受取

 同二日 晴
非番、夕近邊迄外出宇治邊へ出る

 同三日 晴
非番、晩泊り、昼頃より外出萬壽寺通にて莨ぼんを求、寺町五條邊を通り七ツ半頃帰る、田中作右衛門参る、稽古の咄合仕候、此日余程寒
[前宇和島藩主伊達宗城、京に至る]

 同四日 晴
朝飯後より長岡の天満宮に参詣、益孝公古今集御傳授の御間拝見、夫より神足町に出昼飯を仕舞、勝龍寺へ参り御城跡拝見、庄野勝左衛門方に参り竹を■■、右の家より■案内仕候■九寸八歩の竹を得、日入前帰る

 同五日 晴
朝五ツ頃より降り、当月分御賄頼、弐両与八文受取、田中方参る留守・志水も同様、沼田方に参り相客にて逢ひ不申■満に参り腹巻を見る
[熊本藩主細川慶順、肥前天草・豊後日田非常警備の為、藩兵を派遣せしを幕府に稟す]

 同六日 晴少々雪降り
朝飯、髪を結ひ、【勝】同道にて三條寺町松原通に参り具足屋に参る、同通高瀬川通にて白砂■せんべいを給申候、七條を通り宮川旅宿を尋、田中方に参り留守泊り御番

 同七日 晴
非番、昼過宿状仕出す、昼後田中方参る、留守・志水・魚住方暫く寛咄帰り酒を飲、朝飯後より少々雪、昼頃より雪に更り強く、此程雪屋根に積り

 同八日 
非番、少々雪降り朝飯後より【勝】板・【勝】乕同道にて寺町邊迄出■八ツ頃帰る、後鹿を喰、宿状着、十二日仕出申候、此夜霰降る、此夜穏便御觸出し日数七日

 同九日 
朝飯後御供伺、昼後入湯、近邊遊行、宿替の積りにて五の下宿を見る

 同十日 晴
寺町二條社地三條通祇園町松原通甲屋へ行右代金一両遣す、大丸に行白桃を求寺町通龍雲堂にて印を頼直日中受取

 同十一日 晴
夕御供伺

 同十二日 雪交り雨
松原通迄参る五條通り境町西へ入塩竈町丹波屋にて紙入三ツ求る

 同十三日 晴
朝飯後御供伺御出無之、十月十八日仕出の宿状着

 同十四日 晴
朝飯後鳥渡外出、昼後大佛正面通より五條坂にて茶碗を求る、松原通にて甲を取帰る

 同十五日 晴少々雪
寒氣強く朝飯後松原通り大丸に参りちりめん頼廿五,六日頃迄受合手代傳七六拾七匁五分に極む、長刀竹求メ帰る、此夜泊り番休息所
[江戸城、火を失し、本丸・二丸焼く]

 同十六日 晴極寒氣
朝飯後江口弥兵衛に参る、下宿見聞、昼後五條通にて紙入莨入求る、丹波屋弥三郎方麩屋町四條下る錺屋萬右衛門方に頼弐歩三朱にて極る、六波羅にて甲前立を仕直す頼

 同十七日 晴厳寒
外出無之、夕猪肉を食、夕野上来る

 同十八日 晴少々雪
朝飯後六波羅へ参り、夫より廣道に参り龍蔵へ参る、祇園町四條橋通四條上る麩屋町錺屋萬右衛門方参る同人而已に付家内に願置萬壽寺通にて錫銚子一對求る三歩六百文にて求る、此夜泊り番

 同十九日 薄曇
朝飯後田中方へ参る、昼後に江口弥兵衛来る、醒ヶ井通に表具屋に参り宿の相談、高辻通り四條通へ麩屋町に錺屋に参る、五條邊通り暮前帰る【板】同道
[江戸城焼失の報、京都に達す]

 同廿日 晴
朝飯後六條醒ヶ井通表具屋庄之助へ轉番酒を呑、飛脚着

 同廿一日 晴寒氣強
朝六半時の御供揃にて■宮様へ御出同所にて御昼、拙共西園寺様にて弁當拝領同所より丸羽織に差出シ御参内本馳走、夫より會津様へ御出四ツ前迄御滞座、四ツ半頃下宿へ帰る、宿状品物着且轉番の御付紙来る

 同廿二日 晴
[幕府、新徴組を廃し、其徒を江戸府内取締酒井忠篤に附属せしむ]

 同廿三日 晴
朝飯後御供伺、昼後為替の金子三両受取、直に辰巳御殿にて長刀稽古始る、七ツ頃より錺屋萬右衛門方へ参る甲を受取金具代三歩三朱同人家内へ渡す、柳馬場綾小路角道具屋にてさし金七百文にて求る

十一月廿三日 晴
朝御供伺昼後


 同廿四日 晴
朝飯後宿状品物仕出す、昼後寺町迄参り頭を求る

 同廿五日 晴
夕御供伺朝飯後沼田■■・財満・小崎弥兵衛到来る、財満へ参り稽古場見繕酒を飲む、為替金子受取

 同廿六日 晴昼前雪
朝飯後より四條上る冨の小路沼田屋忠兵衛方へ参る、夫より寺町高槻へ参り縁を求る、夫より二條新地へ参り阿刕屋敷を見物、南禅寺へ参り坂本方にて暫く咄す、井場・中川・留守・安田・平■・藤本方にて暫く咄暮頃帰る、夜下津来る
[徳川慶喜、京に着し東本願寺に館す]

 同廿七日 朝雪
朝飯後より下津・庄野・板垣・都筑・拙共六人に付家来弐人御室邊兔狩に参る、狐壱疋得七ツ半頃帰る、泊り御番、此夜余程の雪降弐寸斗り

 同廿八日 少々雪
朝飯後より下津・庄野・板垣同道にて小道具見に参る■■の■求る、七ツ頃帰る、皮の注文宿状右田三左衛門へ頼仕出す、非番

 同廿九日 少々雪
朝飯、髪を結ひ寺町迄参、寺町通り松原上るかき屋へ真中くさり帷子[真鍮鎖帷子]三両壱歩にて頼置十二月十日頃迄承合、夕方入湯、宇野雲四郎来る、【勝】方氏祭神酒出す、大坂行の者共暇乞に来る

京都に於ける日々、文久3年12月

 十二月朔日 晴
非番、晩泊り

 同二日 晴
非番

 同三日 晴
六半頃より油小路通り押小路下る中兔方へ参り脇指借り来る八日迄日限右日過候得者求申筈、夫より二條通り西洞院上る片山九郎右衛門能大夫方へ見物に参る、能道盛・洗小町・安宅・忠信其外舞数多見る、六ツ半頃帰る、■■数人有之

 同四日 晴
九ツ時の御供揃にて天機御伺御供、七ツ半過御帰殿

 同五日 晴
非番、朝飯後河口方鑑定を頼に参り、田中方参暫く咄す、夕小倉小屋にて酒を飲む、先月廿日より同廿六日迄旅籠代十日分上下七貫弐百文、此金壱匁弐朱内一口に付上下弐百文定宿立丁へ遣す此金壱歩壱朱遣す残り而三歩壱朱受取

 同六日 朝少々雨
四ツ半時の御供揃にて二條様へ御出御供、同所へ諸大名御寄合方々に者一橋様・越前様・會津様・嶋津三郎様・伊達伊豫守様・稲葉丹後守様・筑前守様、夜五ツ頃迄御滞座、御帰殿より下宿へ下り直に四ツ打申候
[弾正尹朝彦親王・前關白近衛忠熙・内大臣徳大寺公順・権大納言近衛忠房、右大臣二條齊敬の邸に會し、大将軍後見職徳川慶喜・京都守護職松平容保・所司代稲葉正邦・前福井藩主松平慶永・前宇和島藩主伊達宗城・鹿児島藩主生父島津久光・福岡藩世子黒田斉慶贊・熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助を召し、大将軍徳川家茂の上洛を督促せんとの朝旨及萩藩に對する處置に就て諮問す。慶喜等、上洛發令の猶豫を請ひ、萩藩處置は大将軍上洛後に於て決せんことを稟す]

 同七日 晴晩雪積
非番、朝飯後入湯、志水方にて暫咄す、田中方に参り稽古道具願書差出す、此夜雪弐寸斗積
[大将軍後見職徳川慶喜・前福井藩主松平慶永・京都守護職松平容保・前宇和島藩主伊達宗城・福岡藩世子黒田斉慶贊・所司代稲葉正邦・鹿児島藩主生父島津久光・熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助、連署して上表し、弾正尹朝彦親王に關する浮説に就き其の冤を辯ず]

 同八日 晴終日雪解ケす
朝飯後御供伺、夕小堀先生方に参る鹿を喰、此夜志水来る竹頼置

 同九日 晴
昼後より駒形同道にて寺町邊迄参る茶品十枚求る

 同十日 晴
是より非番、泊り番

 同十一日 晴
昼後寺町迄参るギジヤク・茶碗・茶入求る

 同十二日 晴
朝飯後入湯、其後外出無之、昼頃鉄屋来る真鍮鎖出来持参る

 同十三日 朝に雪
昼後田中方にて長刀竹受取同所にて酒馳走、泊り番の所野上へ頼合

 同十四日 晴
非番、宿状品物入弐ツ仕出す受取来る

 同十五日 晴
朝飯後より五市中遊行、寺町三木にて茶を求る、萬壽寺にてかんなを求る、油小路にて魚入求る寺町帰る、中野真助来る

 同十六日 晴
夕御供伺
[熊本藩、藩士横井平四郎・同都筑四郎を以て、其の江戸に於る舊蝋の遭難に際して、士道に違背せる所ありとなし、士籍を除き、禄を褫(うば)ふ]

 同十七日 薄曇
朝飯後より南禅寺井場方へ参る、高辻通り麩屋町西へ入る北側にて棒の先・こほし求る、帰り酒宴に加る

 同十八日 晴
朝御供伺、此日 勅使入来、夕関逸来る酒を飲

 同十九日 
非番、朝飯後西村カ山金来る、夕魚住来る酒を飲む、此夜雪積る

 同廿日 
夕御供伺、朝より七頃迄初雨解ケズ御足米三歩受取

 同廿一日 雨
非番、東寺の市へ参る品々求る

 同廿二日 晴
非番、昼後より五條邊迄参る

 同廿三日 晴
非番、【勝】同道にて堀川筋所々見物、夕留守にいかれし事

 同廿四日 晴
朝飯後より清水寺へ参詣帰り懸ケ和泉式部の墓に参る、同所近邊にて茶器求る、本國寺清正公参詣、七ツ頃帰る

 同廿五日 晴
四ツ頃より北野天満宮に参詣、金閣寺へ参り暮前帰る、宇・【勝】【板】四人同道泊り番、此夜少々雪
[大将軍後見職徳川慶喜・前福井藩主松平慶永・京都守護職松平容保・福岡藩世子黒田斉慶贊・熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助、二條城に相會し、朝議参豫に關し協議す]
[熊本藩、藩内に令して、其脱藩士小坂小次郎・高木元右衛門・宮部鼎蔵・河上彦齋・加屋四郎・萱野加右衛門・西島亀太郎・松田重助の緝捕を命じ、若し反抗せば之を斬殺するも可なりとす]

 同廿六日 晴
非番、節分、品物入箱一ツ仕出す

 同廿七日 晴
昼後【勝】同道にて松原通に参り六波羅にて鉄面を頼む四ツ壱両正月七日迄受合、夫より五條坂に参り茶わん求る貞命ノ鍔双求る
[鉄面とは薙刀稽古に用いる面のことらしい 貞命の鍔は大きく透かした独特な作風の鉄鍔]

 同廿八日 晴
宿状着、四ツ時の御供揃にて天機御伺、良之助様夫より早水様へ御出、七ツ半過御帰殿、御心附壱両弐朱与五拾八文拝領
[前高知藩主山内豊信、京に上る]

 同廿九日 晴
非番、一日外出無之、椿藤左衛門より万引■る本田■太郎へ申付■■■■■

 同晦日 晴
夕御供伺、朝飯後米代拂、夕少々雨
[大将軍後見職徳川慶喜・京都守護職松平容保・前福井藩主松平慶永・前高知藩主山内豊信・前宇和島藩主伊達宗城に、朝議参豫を命ず]

京都に於ける日々、文久4年1月

 正月朔日 晴
朝五ツ半時揃にて羽織袴謁御小姓頭相済所々祝儀に参り、昼相宿中家来迄盃をいたし申候、夕志水・熊谷・【板】同道にて所々へ参る

 同二日 晴
朝飯後御供伺、夕所々祝儀に参る

 同三日 晴
非番、外出無之、数人客

 同四日 晴
朝飯後より吉田・■・冨田・板垣同道にて上鴨茂下加茂両社へ祇園宮へ参詣、七ツ頃帰る、泊り御番
[初詣は上賀茂神社・下鴨神社・八坂神社へ参詣]

 同五日 昼頃少々雨
非番、一日外出無之、昼後桜田・藤井来る寛りと咄す

 同六日 晴夕少々雪
朝飯後所々會勤、夕■■亭助宿状品物を持来る

 同七日 晴
朝飯後より南禅寺祝儀へ参り泊り懸、四條金吹屋にて井場・中川・魚住・野田・魚住寄合酒を飲む、七半頃帰る直泊り御番

 同八日 晴
夕稽古の儀に付小堀先生・宮川所々参る、宿状認む

 同九日 雪雨
宿状品物入箱仕出す、夕田中方へ参る

 同十日 雨
夕御供伺、朝飯後御稽古場にて薙刀稽古始む
[稽古始め]

 同十一日
非番

 同十二日 晴
朝飯後御供伺、夕鞱皮求る、鉄面出来、所々へ参る
[去年の暮れ12月27日に注文した鉄面が出来上った 鞱皮も薙刀稽古に用いるものか]

 同十三日
非番
[鹿児島藩主茂久生父島津久光に朝議参豫を命ず]

 同十四日
朝飯後稽古場出席、夕御供伺

 同十五日 晴
将軍様四ツ頃伏見へ御上洛、早朝より御先行列有之、昼頃迄寺町通高辻上る玉又堂より拝上
[征夷大将軍徳川家茂、伏見を発し、二條城に著す]

 同十六日 晴
朝飯後より鞘薬師通り烏丸西へ入る高宮宮[屋]へ参り、夫より新町通り四條上る高宮屋へ参り越後帷子染上ケ代金壱両弐歩にて求る内壱両遣置、夫より六角通り烏丸上る十一屋にて加しう[加刕]帷子壱反代金壱両弐歩壱朱二百文にて求る、夫より高辻通り麩屋町西へ入る金物屋にて洗の先薄品代七百にて求る、五條水谷にて茶壱朱分求る、泊り番

 同十七日 晴
昼頃より高宮屋へ参る、夕大雪七ツ頃帰る

 同十八日 晴
朝五ツ半頃より板垣・雑賀・冨田同道にて山科の郷を超へ大津へ参り舩に乗り膳所御城見物、瀬田の橋下タ通り石山の麓へ着直に當山へ参詣、膳所の士永田■*1太郎・堀田竹太郎外に一両輩膳所迄同道栗津原兼平の墓遥拝、夫より大津宿はづれ義仲寺へ参詣、近江屋立寄追分にて算ばんを求る、同所少々手前より暮大急キにて漸く六半過帰る、道甚た難渋

 同十九日 晴
朝五ツ半頃より御所舞楽拝見に参る、板垣・宇地・勝乕同道、泊り番

 同廿日 晴
朝飯後稽古場出席、夕志水来る、四ツ頃より雨

 同廿一日 晴
宿本よりの状品物悪■ふ付

 同廿二日 雨
数人問来る

 同廿三日 晴
右同断、三文字屋品求る

 同廿四日 晴
数人問来る、■*1命に付茶を入る
[英國特派全権公使オーるコック、横濱に著す]

 同廿五日 晴
朝入湯数人問来る、三文字屋裏綿弐百にて求る

 同廿六日 晴
数人問来る

 同廿七日 晴
数人来る

 同廿八日 晴
宿状着分三文字屋へ弐両弐歩よりつりにハ十文拂
[参豫松平慶永・同山内豊信・同伊達宗城・同島津久光、大将軍後見職徳川慶喜の館に會し、萩藩の處分を議す]

 同廿九日 晴
三河屋よりきせる[煙管]・はみかき房よふし[歯磨き房楊枝]求る

京都に於ける日々、文久4年−元治1年2月

 二月朔日 晴
宿状品物入仕出す

 同二日 晴
伊吉魚■栗吉村酒出す

 同三日 少々雪寒氣強く
御飛脚北村■■頼紙面仕出す

 同四日 晴
朝飯後稽古、数人問来る、夕守冨・板勝寛りと咄に来る

 同五日 晴
関来る、晩雨
[英佛艦隊下關襲撃の風説京都に聞ゆ。大将軍後見職徳川慶喜、参豫諸侯等と諮り、軍艦奉行勝義邦を長崎に派遣して、之が阻止に努めしむ]

 同六日 朝より晴

 同七日 晴

 同八日 々

 同九日 々
[熊本藩主細川慶順弟長岡良之助二條城に登り、政治總裁職松平直克及老中等に面して、時事を論ず]

 同十日 々

 同十一日 々
朝宮川来る、柄糸求る
[幕府、萩藩主毛利慶親父子を糾問し、時宜に依り、征討の師を發せんとす]

 同十二日 晴

 同十三日 微雨
[幕府、陸軍總裁職松平容保に命じ、疾を力めて日日登榮、政務に與らしむ]

 同十九に相當る

 同十四日 雨

 同十五日 薄晴
大場へ頼み唐せん・柄糸宿状仕出す、翌日勘解由殿中の早にて出立の筈

 同十六日 晴
客有之

 同十七日 晴
田中より道具代金遣す
[頃日、頻に京都市内各所に、前福井藩主松平慶永・鹿児島藩主茂久生父島津久光等の開港論を非議する文を掲貼する者あり]

 同十八日 晴
正月廿三日,同廿八日仕品々宿本よりの状品物着、此許よりも猪肉一ツ箱・縁頭・茶箱仕出す
[府中藩主毛利元周京に上るの説あり。幕府、豫め洛外警守の諸藩に令して其入京を阻止せしむ。又、洛外要地に陣榮砲塁を建設する為、吏員を遣して検分せしむ]

 同十九日 晴

 同廿日 晴
数人客、元治与年号改
[改元定の儀を行ひ、文久四年を改めて元治元年と為す]

 同廿一日 晴
数人客、寺町通り松原上る鎰屋勘兵衛へくさりかたひら[鎖帷子]仕直しを頼む

 同廿二日 晴
数人客、関より茶出しをもらう
[熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助、連署して書を朝廷及幕府に上り、朝旨を以て、先づ萩藩主毛利慶親を説諭し、幕府更に其非違を糾弾すべきを建議す]

 同廿三日 晴

 同廿四日 晴
■■■求る、紙入(丹波屋)頼む、壱両人客

 同廿五日 晴

 同廿六日 雨
銀面龍前立出来

 同廿七日 晴

 同廿八日 少々雨
[熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助、連署して、退京歸藩せんことを幕府に請ふ]

 同廿九日 晴
数人客、伊藤・高元来る
[熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助、連署して書を上り、萩藩支族等に上京を命ずべきを陳ず。又、書を幕府に上り、時事意見七ヶ條を建議す]

京都に於ける日々、元治1年3月

 三月朔日
朝薄曇、梅田へ頼み宿本状仕出す
[幕府、改元を布告す]
[熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助の歸藩を聽さず]

 同二日 晴
梅田・岩崎暇乞に来る

 同節句 晴

 同四日 微雨
夜強雨

 同五日 朝微雨

 同六日 晴
田中来る

 同七日 晴

 同八日 微雨

 同九日 晴

 同十日 ■

 同十一日 晴
宿本より書状品物着

 同十二日 晴

 同十三日 晴忌明
宿状品入箱弐ツ仕出す、盃洗棒の先、所々廻勤

 同十四日 晴夕少々雨
朝飯後稽古場出席、夕御供伺
[熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助、再び書を上り、歸藩を請ふ。尋で十七日 之を聽さず]

 同十五日 朝微雨
松原通甲の儀に参る、南禅寺参り所々参る、夕七頃■帰る、■■■にて鮒汁給へ申候

 同十六日 晴
朝御供伺の処五ツ半時の御供 良之助様一橋様へ御出、昼八ツ頃筑前様御同道にて御帰殿

 同十七日 晴
朝飯後田中方迄参る、昼後松原通具足屋へ参る、所々買物七ツ半頃帰る

 同十八日 微雨
[幕府、若年寄稲葉正巳を摂海沿岸に派し、砲臺の築造及神戸操練所の設立を督せしむ]

 同十九日 曇
朝飯後松原通具足屋へ参る、九ツ頃より發足宇野・内野同道にて奈良参る、長池夕支度仕、木津渡しにて暮六ツ半頃南都大佛門前豆腐屋正吉方に参り候処客多く隣家かこ屋に宿り其夜大雨
[奈良観光一日目]
[熊本藩主細川慶順弟長岡護久・同良之助、連署して三たび書を上り、護久の歸暇を請ふ。尋で二十二日 之を聽す]
[熊本藩士田中彦右衛門、幕府目付杉浦勝静等より聞く所の幕閣の内情及福井・鹿児島・會津・高知各藩の関係を其藩廳に報ず]

 同廿日 雨
朝飯仕舞、案内者を取興福寺参り、夫より春日社に参詣、夫より三笠山見物、手向山八幡宮参詣二月堂、夫より大佛殿へ参詣、夜頃又豆腐屋へ参り昼支度し給へ直に發足、帰りにも長池にて夕支度給へ、伏見より暮雨風強く佛具屋入湯四ツ頃帰る
[奈良観光二日目]

 同廿一日 晴
朝宇野・内野・【勝】方来る、昼後烏丸通迄参る、御供の御達有之

 同廿二日 晴
朝飯後より南禅寺邊迄参る、所々品物求る

 同廿三日 晴
三條通り迄参る、品物求る
[熊本藩主細川慶順弟長岡護久、歸藩の為参内す。滞京の勞を慰して物を賜ふ。明日、護久、二條城に大将軍徳川家茂に謁し、また刀を賜はる]

京都を発足、熊本へ

 三月廿五日
朝雨四ツ頃より快晴、暁七ツ半時の御供揃にて五ツ頃御發途、伏見御昼直御行列立直に折詰被下御舩書返、大坂御着直御本陣御番

 同廿六日 晴
御番下りより小堀共参り、夫より久■寺へ参り松屋宿にて境重吸物膳求る壱歩一朱、朝飯仕舞安田方へ参り、心斎橋通迄参る火鉢求る、宿にて酒を呑、靏崎御舩頭岡本何某与申者来る

 同廿七日 晴
朝四ツ時の御供揃にて大坂御發途、十三村迄惣行列立同所より御右落る神崎御小休、尼ヶ崎右同断、七ツ頃西ノ宮御着栄松屋庄三郎方に止宿
[是より先、水戸藩士藤田小四郎等、攘夷を唱へ同志を募る]

 同廿八日 晴
朝六半時の御供揃にて西宮御發途、兵庫より御供同所にて入行列の御飯仕舞、七ツ頃御宿入、人丸様にて御守を請、大蔵谷板屋徳兵衛方に止宿

 同廿九日 晴
朝六半時の御供揃にて大蔵谷發足、同所より野長池迄御供、同所より尾上・高砂へ見物へ参り七ツ半頃姫路■まゑ屋庄三郎方に止宿

 同丗日 晴
朝六半頃姫路發足、同所よりもんはを求る、綱手にて昼飯仕舞、九頃室へ着中屋宗介へ暫く休息酒飯を給、直に乗舩サコシにて暫く泊り其夜走帆を上ケ牛窓へ暫く泊り

四月朔日 晴
未明より出帆、九ツ頃讃刕坂井手に着、昼飯仕舞上陸板同道にて象頭山へ参詣、暮六ツ半頃■■に着、直に乗舩直に出帆

 同二日 晴
追風

 同三日 雨
朝四頃靏崎川口に着舩泊りみさの新地真嶋氏宅にて鰻飯を給、其夜御止り場迄参る

 同四日 晴
朝飯後より上陸三軒町藤嶋屋へ和助宿

 同五日 晴
四ツ半頃御着舩、所々廻勤、此夜雨

 同六日 朝曇り
四ツ時の御供揃にて靏崎御發駕、八幡瀬迄御供同所より■て七ツ半頃野津原着、四畳半に御入にて大■■屋

 同七日 雨七ツ前より晴
朝七半頃發足、今市より御供強雨にて甚た難渋、日入頃久住着此夜二列、右宿にて甚た混雑

 同八日 晴
朝六時の御供揃にて拙者久住より板梨迄御供、同所をちゆ■温泉に参る七半頃着、酒を飲む

 同九日 晴
駒石より御供同所津崎方に暫く休息、八ツ頃大津御着、同所に方■之者十四,五人参り申候

 同十日 晴
暁七ツ時の御供揃にて御發途、三ノ宮より惣御行列立、同所にて酒を飲む直に御花畑御出、夫より二ノ丸へ■、八頃宮内御着、何も大儀与の御沙汰有之

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