(c) 2017 武術の古文書 All rights reserved.


後藤一雄 1845−1909

姓 藤原 氏 後藤 通称 市助/市輔/一雄 諱 矩寛
伊勢崎藩士 鹿嶋神傳十五代 戸田越後守十五代
気楽流體術を同藩の師役 齋藤武八郎より学び免許を相傳され、直心影流を同藩の師役 澤浦周吉に学びこれも免許を相傳される。門下第一の達人と云われた。
また諸藝を学び、鎗は種田流、馬は大坪流・高麗流を修め、西洋流の炮術も学んだ。慶應3年には藩命によって出府し、西洋式練兵と炮術を学んだとされる。

後藤翁は十七歳のとき小姓となり藩主の側に仕え、後に武器奉行となる。また学問に秀でたことから藩校の頭取も勤めたと云う。
戊辰戦争には藩の出兵部隊(官軍)の副隊長として出役、維新後は郡役所、警察などに勤めた。明治42年(1909)歿、享年64才。
掲載史料及び参考資料
『稽古願書』個人蔵
『門人譲証文』個人蔵
『上毛剣術史』諸田政治著 煥乎堂

稽古願書



  北第十六大區第二小區
    佐位郡伊勢崎町住
      貫属士族 後藤一雄
右の者奉申上候私儀先年中より
當町方壮年の者共拾五人程釼術并
體術稽古致遣罷在候處方今
猶又稽古致度段申書候に付初は
當今の内當町第二百五拾九番屋
鋪村田利平所持家にて毎日午後
六時より午後第九時頃迄修行仕
度右に付隣家は勿論町内談示に
及ひ候處聊故障無御座候に付
何卒御聞済被成下度此段奉
願候也
       右
明治七年    貫属士族
   正月日  後藤一雄(印)

前書の通相違無御座候依
奥印仕奉差上候

       戸長
        天田勘蔵(印)

河瀬[秀治]熊谷縣令殿



(割印)願の趣聞届候事
後藤一雄が剣術・體術を指南するにあたり、改めて稽古場と日時を申請し、この事について近隣の住民などに了承を得ていることを書き添え、縣令に許可を求めます。後日、熊谷縣令 河瀬秀治はこれを許可しました。 明治7年の頃は武藝が廃れていたように思いますが、後藤翁は御一新後も志を捨てず武藝を指南していました。

門人譲証文

   証

私儀武州大佛邨住中嶋荘蔵門にて釼
術稽古仕候得共上毛小齊邑養家へ罷越候
て隔地故修行仕兼候に付今般
貴殿へ私始め取立の者共に御随身仕度旨
願上候処御聞届被成下難有仕合に奉存候
以後御門下同格に御引立の程奉希上候
若萬々一先師中島方より彼是貴殿へ申
入候節は私上にて埒明聊御迷惑相掛申間
敷候為後日入置証依て如件

 明治十一年    小齊邑
  寅第一月八日   木邨團平(印)

          外
           取立

  後藤一雄殿
中嶋荘蔵門下の高弟 木邨團平が、取り立てた門弟たちを後藤一雄に譲る、迷惑は掛けないと後日のために作成された証文。
TOP