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齋藤在寛 1794−1881

伊勢崎藩士 戸田越後守十四代 氣樂流柔術師役
寛政6年11月15日(1794)上野國佐位郡伊與久村に生る。姓は齋藤、名は在寛、通稱は武八郎。幼より武道を嗜み氣樂流を五十嵐金弥に学び、その術を精練して奥秘を究める。
伊勢崎の酒井侯、斎藤武八郎の名声を伝聞して抜擢し、諸士の列に加えて格俸を賜り、士卒教授の職と為す。従学するもの幾千人、傑出するもの幾十人あり各一家を治める。翁、齢八十八にして矍鑠倔強、豪氣凛々、壮士に譲らずと伝えられる。明治14年11月22日(1881)歿、享年88才。
掲載史料及び参考資料
『齋藤武八郎碑文写』私蔵文書
『齊藤武八郎伝記草稿』私蔵文書
『上毛剣術史』諸田政治著

齋藤武八郎碑文写


先生以寛政六年甲寅十一月十五
日生于上野國佐位郡伊與久村焉
姓齋藤名在寛通稱武八郎父曰貞
寛質性温厚従順與人交恭謙辭譲
與物無忤自幼嗜武道受氣樂流奉
法五十嵐先生究其奥秘精練其術
矣伊勢崎 酒井候傳聞其名聲抜
擢以加諸士列賜食俸而為士卒教
授之職其術益精其業益振焉従學
者殆幾千人可謂盛矣妻同郡保泉
邨富田氏生一女曰阿正養山田郡
大町村原宗親之二男武七配女為
継子相傳其業實明治十四季辛巳
而先生齢八十八矍鑠倔強豪氣凛
凛不譲壮士云嗚呼其壽其術両兼
備世間有幾人可謂稀代之老翁矣
應其高足弟子衆人之需聊録其梗
概云爾
 明治十四年辛巳三月中浣
 赤巒長尾景盛仲文撰并書
【訳】
先生以て寛政六年甲寅十一月十五日上野國佐位郡伊與久村に生る。姓は齋藤、名は在寛、通稱は武八郎。父は貞寛と曰う。質性温厚従順、人と交り恭謙辭譲、物に忤(さから)うこと無し。幼より武道を嗜み氣樂流奉法を五十嵐先生に受け其の術を精練して其の奥秘を究む。
伊勢崎の酒井侯、其の名聲を傳聞し抜擢す、以て諸士の列に加え食俸を賜りて士卒教授之職と為す。其の術益精、其の業益振う。従學する者殆ど幾千人、盛んと謂うべし。
妻は同郡保泉邨富田氏の一女として生れ阿正と曰う。山田郡大町村原宗親の二男武七を養い女を配し継子と為し其の業を相傳す。實に明治十四季辛巳、先生齢八十八にして矍鑠倔強、豪氣凛凛、壮士に譲らずと云う。嗚呼其の壽、其の術両兼備、世間に幾人有ると謂うべきか、稀代之老翁なり。
其の高足弟子衆人之需に應じ、聊か其の梗概を録すのみ。

齊藤武八郎伝記

   齊藤武八郎在寛
齊藤氏は上州佐位郡伊與久村代々土着之人なり先生
資性温厚恭順与交恭謙辭譲與物無忤幼年
の頃より武藝を嗜み尤も拳法を好み五十嵐金弥
先生の門に入り朝鍛夕錬遂究氣樂流之奥秘而
其術益精練なり本藩酒井候其術の精熟なる
を傳聞し抜擢して格俸を賜はり以て士列に加へ
藩の士卒の教授となす於是従學するもの月盛日
新殆幾千人傑出するもの幾十人各一家を治て
傳聞弥益振ふ當流十四代の師となるべき者也
明治十四巳年十一月廿二日病て家に歿す享
年八十八同村祖先之墓側に葬る


禮儀捕
三段縮
入身之当
鞆車
無刀逆打
棒 廿一本
仝 廿八本
鎌 七本
仝 十六本
契木三本
仝 十五本
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