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無邊無極流

無邊無極(むへんむこく)流は山本刑部宗久を元祖とす,大内無邊の甥と云はれ,無邊斎・無邊入道とも唱へらる,曾て 上杉謙信公に仕へ,後法躰になりしと傳ふ, 其子家久道統を継承す,久茂 宗久以来三代相傳し宗たり,寛永十四年柳生宗矩別邸に於て 大猷院殿の 台覧有り,已後屡 台覧有りて凡そ十六度に及ふ,寛文七年 厳有院殿に召され 台覧あり,而して召出され御家人に列し,稟米二百俵を賜ふ,寛文十一辛亥年九月十八日歿す,

三俣氏の写本に元祖の記事を見ゆ,下記の如し,
[無邊無極流手次初巻](図十二)

山本刑部宗久 上杉謙信につかゑて居たと申すなり,後法躰していつかたゑ出て申し候よし,もつとも無邊入道と云ふなり,是元祖なり,それゆゑにむへんむこく流と申すなり,無極は無邊にたいしてほとりもなくきわまりもなく申したものなり,むこくにしてたいきよの書以て申したこともそのとうりはなし,加極流と申したせつもあり,是はそれよりところがしれぬについて其後これをよけたと申すなり,
御上覧のいご無邊無極流と申しつたゑるなり,
図十二 筆者蔵

無邊無極流:印可誓詞

超宗君(酒井忠以君)の御家中に三俣義豊と云ふ士在り,義豊の嫡子義行は無邊無極流を執行す,天明二年,義行廿九歳にして無邊無極流の印可を相傳せらる,印可とは同流の奥の許なり,但し師範印可との別ちあり,

印可に至りし三俣義行は同家の金原宗豊に同流を師事す,然るに傳授事は 公儀の御旗本 山本久忠(四十一歳)に嘱せらる,之れ同流の例規なり,

印可相傳に際して師家へ誓詞を差し上く,書面下記の如し,
[三俣義行誓詞:天明二年五月付](図二)

無邊無極流印可御相傳に就き起請文,
一 師弟親近の儀子孫に至るまて疎畧有るへからさる事,
一 親子兄弟相弟子たりと雖も,先に師傳無くして猥りに言はさる事,
一 許無き以前,極意の儀毛頭他見他言有るへからさる事,
一 習ひ収めたる無邊無極流は他流と交り較へて自己の新意を及ほし其の術を改め或は名を替え品を換へるへからさる事,
一 自今以後子孫有りて此の術を傳授するに逮へは,前の如く之れ起請文を以て之れを相傳すへし,若し多く子の中印可目録書當に授與すへきの者有ると雖も,家にあらすんは之れを授與すへからす,當に授與すへき子無くんは,則ち印可目録書之れを回酬すへし,若し遠國に在て回届すること難くんは,則ち之れを焼捨つへき事,
右相背くに於ては,敬ひて白す,
梵天帝釋,四天王,伊勢天照太神,諏訪八幡,摩利支尊天,當國守護神,日本國中大小神祇,各御罸を蒙るへきものなり,仍て件の如し,
 追加,
本文起請文の趣背き申す儀は申すに及はさる儀罸文の通りに候,自今彌御流儀大切に仕り虚を以て懈怠仕らす修行仕るへく候,尤も本文一ヶ條の趣敬ひて守り仕るへく候,右の追加前度之れに直からさる面々之れ有るに付き重書仍て件の如し,
 天明壬寅年五月,三俣惣之進義行,
山本嘉兵衛殿,
山本久忠(やまもとひさたゝ)は 公儀の御旗本なり,家傳の無邊無極流を相傳し諸士に鎗法を指南す,天明五乙巳年七月五日歿す,年四拾四,

起請文は遵守すへき箇條文言を云ふ,神文に前置す,故に此の文言を神文前書或は起請文前書と云ふ,本則は牛王を用ふ,白紙の者は白紙誓詞と云ひて午王の本誓詞に對し略式なるか故に仮誓詞とも云ふ,略式なると雖も時代降りて一般に之を用ひたるものなるへし,

箇條の五つ目は子孫への傳授は追傳と言ふへきものか,往々にして見ゆるものなり,抹消或は繼紙を以てこれを為すこと多し,
図二 筆者蔵

無邊無極流:印可巻物傳授

金原宗豊なる者は三俣義豊と同しく 超宗君の御家来にして,禄百石を給せらる,天明二年格式御使番にして弓鎗指南役を勤めたり,安永七年御留守居役として出府の節,公儀の御旗本 山本久忠に就て学ひしこと記録に見ゆ,三俣家は姬路組なるかゆゑに義行は普段姬路に住す,然るに御旗本の山本久忠は江戸に在り,両者に面識無し,因て直弟の金原宗豊傳授事を取次きたり,
天明二年六月,印可傳授を取り次きたる書面下記の如し,
[金原宗豊書簡案:天明二年六月付](図三)

一筆啓上仕り候,先以て向暑相募り候得共,益御勇健御座成させられ目出度御儀と存し奉り候,且亦先達て御流義御鎗御傳授下され候面々,今度御印可御巻物相認め候に付差上せ申し候,御名前御判形遊はされ下され候様に仕り度候,勿論巻数九通り遠路の儀にも御座候間,器一つに入れ相廻し差上せ申し候,略儀の段偏に御用捨下され候様に何も宜しく申し上け呉れ候様呉々申し聞け候,神文も九通相添へ差上せ申し候,何分然るへき様頼み上け奉り候,此段申し上くへく為愚札を捧け候,恐惶謹言,
 月日,金原浅右衛門宗豊,
山 嘉兵衛様御披露,
尚々,向暑の節折角御自愛遊はされ候様にと存し奉り候,序て乍ら時候御容躰も相伺ひ申し上け候,猶追々萬喜申し上くへく候,以上,
印可の節巻物を自分にて用意す,是れ 酒井家の条例に拠るものなり,則ち書面の如く印可に至りし者九人,各々巻物を用意して神文を提出す,由つて名前・判形を師家に需む,
図三 筆者蔵

無邊無極流:印可圖法師雛形

無邊無極流は印可巻物に圖法師を書くものなり,之を為るに雛形を以てす,先述の如く 酒井家に於ては自ら印可巻物を製作す,則ち三俣氏此雛形を用ゐしものなり(図四),其外印可巻物各巻の雛形及ひ認め様の書付存す, 図四 筆者蔵

無邊無極流:印可御礼

印可巻物を傳授されたる門人等は御旗本 山本久忠に書簡を以て謝意を表せすんは非す,各人書面下記の如し,
[三俣義行書簡案](図六)

一筆啓上仕り候,寒冷の節益御勇健御座成させらるへく恐賀奉り候,此度御流儀御印可御傳授成し下され,右御巻物拜受仕り過分至極に存し奉り候,右御禮申し上くへく為愚札を捧け候,恐惶謹言,
 十一月朔日,三俣惣之進義行,
嘉兵衛様,人々御中へ参らす,
[川合五郎三郎書簡案](図七)

一筆啓上仕り候,薄暑の節益御勇健御座成させらるへく恐悦に存し奉り候,此度御流儀御印可御傳授成し下され,右御巻物拜受仕り過分至極に存し奉り候,憚り乍ら右御禮申し上くへく為愚札を捧け候,恐惶謹言,
 川合五郎三郎,
嘉兵衛様,人々御中へ参らす,
図六 筆者蔵


図七 筆者蔵

三俣義行

超宗君,率性君に仕ふ,酒井家(姬路藩)の騎士,諱は義行(のりゆき,ながつら),通称惣太夫,初蔵之進,又惣之進,宝暦四年六月十四日姬路に生る,義豊の長子なり,幼より武道を嗜み,鎗剱の如き其の得意とする所なり,又頗る財務・民治の才あり,

宝暦十二年閏四月ゟ同十四年三月迄 超宗君(忠以君)御幼年の節御相手を勤む,父義豊姬路勝手を命せらるに付き御相手御免,其節御小袖御上下拜領, 安永三年三月御中小姓に召出され,五両三人扶持を給せられ,御小姓を命せらる, 同年五月御主殿御番入, 同六年七月御用人並格と為り,奉行添役を命せられ,拾五人扶持を給せらる, 以後,御武器方肝煎掛り定役,京都御用掛り,江戸本〆役,御上京御用掛,御用米御用,飾万津湊掛り,堰方御普請見分,大検見御用等を勤む,
天明六年十一月御中小姓組頭格と為り,御勝手御用に付き出坂を命せらる, 同七年四月御用米御上納御用掛り, 同年十二月百姓騒ぎの節吟味永々骨折り御褒美として麻御上下一具を給ふ, 同八年八月江戸在番, 寛政元年九月江戸表に於ける御側御用人格と為る, 同二年四月諸色賣買直段引下け方取扱方年番にて勤む,以後,御勝手御用に付出坂・出府有り, 同三年五月役義に有間敷き宜しからさる取り斗ひ,其上身持不埒の由相聞へ不届きとの 思召に依て御役御免,御宛行御取上け,親義豊へ御返し成さる,
寛政七年正月嫡子と為り,宝暦四年六月家督を継き三百石を領し,御書院御番入と為る, 御城内外火之番,御物頭奉行,御勝手御繰廻,御勝手御用に付出坂,國郡仮名附帳調へ御用掛り,鳥山大七郎の差添として出府等を勤む,
文化元年十二月晦日江戸表に於て御近習・御用人兼帯帰役と為る,以後,御勝手御用に付度々出坂・出府有り, 水車場御普請出来に付見分,大坂御蔵屋鋪ゟ飾万津へ川御座舩参るに付見分等も勤む,
同年十月御武器肝煎と為る, 文化八年正月對州御用掛を命せられ,土山御領分境見分,道具見分,墨川御普請所見分,大樋大日裏御普請所見分,室津見分等を勤む,
文化八年六月御籏奉行と為る, 同年七月朝鮮信使對州来聘に付 公儀御役人對州へ御通行御用掛り滞り無く勤め褒美として麻御上下一具を給ふ,
文化十三丙子年閏八月廿五日歿す,歳六拾三,法號郭然量聖,姬路新身町禅宗善福寺・吉田町景福寺山中に葬る,
[三俣義行藝事書上:天明頃歟]

一 読書      伊藤庄助弟子
一 躾方     ┌初千石郡太左衛門弟子
         └後吉沢周平弟子
         ┌初長沢小太夫弟子
     大蔵流 │的前免許傳受
一 弓術     └後田弥吉兵衛弟子
     立元流 ┌荒川圓蔵弟子
         └免許傳受
         ┌初江戸にて小林栄蔵
         │弟子姬路へ引越
一 馬術 矢野新流│長沢小太夫牛込次太夫
         │弟子後高橋小市
         │弟子免許傳受
         └馬場平弥ゟ
         ┌初太田藤之丞弟子
一 鎗術 無邊流 │後金原浅右衛門弟子
         │印可御傳受
         └山本嘉兵衛様ゟ
一 釼術 當流   中村勇左衛門弟子
         ┌初天野又五郎弟子
     柔新心流│免許傳授後紀州
一 居合     │浪人の由山崎主膳と
         └申す者に極意免許傳受
     即心流 ┌荒川圓蔵弟子
         └免許傳受
         ┌初矢嶋九郎兵衛弟子
一 長刀 新當流 │後天野又五郎弟子
         └免許傳受
一 鉄炮 関流  ┌小屋幸太夫弟子
         └免許傳受
一 同火業不易流  前田十左衛門弟子
一 柔術 閑流  ┌大坂御水主落合
         └軍兵衛弟子
一 半弓三好□箭流┌中新井典膳弟子
         └免許傳受
一 兵学 山家流  井上安太夫弟子
一 算術 竹下流 ┌初樋口恵閑弟子
         └後樋口長右衛門弟子
一 地方     ┌右同断免許
         └傳受長右衛門ゟ
一 手跡 尊圓流  久保太兵衛弟子

無邊無極流:千本入身

率性君の御家中に三俣義行と云ふ士在り,義行の嫡子義武は無邊無極流を執行す,享和三年三月十七日,義武廿歳にして入身千本を行ふ,入身千本なる者は好古堂に行はれ,同門の士突き掛る,之れを入身にて突き留る,試みる者は入身を千本以上行ふ故に入身千本と云ふ,入身勝・突身勝と云ひて,その勝方を帳面に記録す,
此日行はれたる千本入身は義行(五十歳)日記に記載せり,下記の如し,
[三俣義行日記:享和三年抄出](図九)

(享和三年三月十七日)
一,冨之進好古堂に於て千入身致し候,六半時ゟ初り七時前に相済み申し候,
弁當左の通り差出し候,
 飯弐重,切飯弐重,大の切だめににしめ,小の切だめにひたし物,右の外に冨之進弁當差遣し候,
人数九拾壱人罷出て候,尤も市川量平一所なり,
用ひられたる幟存す(図十),但紙製なり,

入身千本は一生に幾度もせす,若くして一二度行ふものなるへし,但突身として他者の千本入身に参加すること少なからす有り,
図九 筆者蔵


図十 筆者蔵

無邊無極流:目附傳授

文化十年十月五日,三俣義武(三十歳)は 公儀の御旗本 山本久濤(四十六歳)より無邊無極流の目附を傳授せらる,義武の師事したるは同し家中の小林加源太(四十八歳)なりしか、例に依て傳授事は山本氏に嘱せられたり,義武は傳授の御礼として久濤に肴代金百疋を饋る,書面下記の如し,
[山本久濤書簡:文化十年閏十一月廿八日付](図一)

一筆啓上致し候,甚寒の節弥御安全に御勤め成され珍重に存し奉り候,然は此度目付相傳致し候に付,則ち目録巻物壱巻進上致し候,御落手成さるへく候,且又右御礼として御肴代金百疋御意掛けられ忝く存し奉り候,右御意を得度斯くの如く御座候,恐惶謹言,
 閏十一月廿八日,山本嘉兵衛久濤,
三俣惣之進様人々御中へ参らす,
山本久濤(やまもとひさなみ)は 公儀の無邊無極流師役なり,代々鎗術を相傳す,天明五年家督を相続し,禄二百俵を給せらる,寛政五年 文恭院殿の台覧に入る,歿年詳らかならす,

小林加源太は文化四年に無邊無極流の師役を継き,文化九年跡式を継き八拾石を給せらる,當時江戸詰なりしか父母病みたるに依て一時帰国したるものなり,度々藝事出精・指南出精に依て褒美を給ふ,
図一 筆者蔵

無邊無極流:印可御傳授の儀式

文政三年十一月,印可御傳授の儀式有り,祇徳君(酒井忠實君,四十二歳)御直に御傳授を仰せ渡せられたり,印可を受くる面々に三俣義武(三十七歳)有り,

文政三年十一月八日,義武は印可御傳授の内意を受け,而して同年十二月四日,藝事奉行より手紙を以て御稽古場へ呼寄せらる,因て翌日東御屋鋪へ罷り出つ,
義武印可御傳授の子細を日記に記載せり,下記の如し,但蟲入りたるに依て分明を得す,
[三俣義武日記:文政三年抄出](図八)

(文政三年十二月五日)
一,東御屋鋪へ五つ時ゟ熨斗目着用の者着用,其外服紗小袖にて罷出る,
一,御稽古場にて左の通り二席に仰せ渡し之れ有り,

(図八−イ)印可面々引込み,直に目印傳授差免すとの御意之れ有り,
    御,
       三,
       内,
       金,
       原,
       口出入,
    └─藝事奉行御取合,


(図八−ロ)印可面々引込み,直に目印傳授差免すとの御意之れ有り
    御,
    高須七郎太夫,
       小,
       本,
       天,
       三,
    └─藝事奉行御取合,相済み直に引込み,御入進目付遣□,遣ひ仕廻ひ,壱人つゝ引込む,始に先生二本遣[小野田]勇之進二本遣ふ,又□□□曲尺寸八分,先生二本遣ふ,勇之進又□□□□□,御前へ拜礼し引込む,段□□直に遣ひ候,先生は最早□見せす,先生直に引込む,に遣ひ候先此間へ出居り遣ひ候,□此□鈴木□兵衛,


一,右目印御傳授遣ひ終て御装束之御間へ入らせらる,印可面々罷出て□□□拜礼,尤も進み出て神酒頂戴,一座に血判,先生手次之巻讀む其□□□□□□服紗に包み□□□開き聞せ引込む,右装束之御間圖左の通り,尤も解□,

(図八−ハ)
    御,
     御床御餝,
      先生,
      高須七郎太夫,
      進出拜礼
       門人.
       同,
       同,
       同,


右印可面々,自分,内藤千太郎,金□□左衛門,原田仲吉,右圖の通り,并に答へ拜礼神□□□,先生三方持参,面々頂戴,右圖の通り一座一度に神文血判,針・神文猿中持参,夫□手次之巻先生読み聞せる,手次の巻猿中□出□□□□□□開き聞せ候,直に引込む,

右畢て御稽古場へ御入らせ目印の通り先生弐本遣ひ見せ,門人遣ひ,又先生二本遣ひ見せ,門人遣ひ,三度にも四邊に遣ひ仕廻ひ 御前へ拜礼引込む,二人目ゟ先生遣ひ見せす,先生遣ひ候内目印の通り,

一,相済み御側御用人へ御役所へ御礼に罷出て候,藝事奉行役所へ断り,
一,御頭并に印可面々,追々吹聴に罷越し候,
一,先生へ右四人ゟ鰭節壱匹・酒礼十五枚遣はし候,

(文政三年十二月七日)
 一,御屋敷御稽古に罷出て候処,先日の印可の節御餝りの餅頂戴,
図八 筆者蔵


図八−イ 印可傳授


図八−ロ 目印傳授


図八−ハ 装束之間

無邊無極流:入身稽古

祇徳君の御家来に三俣義武と云ふ士在り,義武の嫡子義陳は無邊無極流を執行す,文政十年,義陳廿五歳にして千本入身に臨まむとす,而して文政十年二月四日より五月七日にかけ、八千百五十三本の入身稽古を行ふ(図十三),仍て五月七日,義陳は千本入身の許可を藝事奉行に求むるも,在府の 祇徳君未た御暇の仰せを蒙らせられす,故に千本入身を延引す,事の次第義武の日記に記載せり,下記の如し,
[三俣義武日記:文政十年抄出]

(文政十年五月七日)
一,惣之進義,當九日鎗術千入身仕候積にて定式の通り願ひ候處,御在城の程も今以て覚束無く候に付,今一度御便の次第相待ち仕り候様,藝事奉行衆・御掛御家老御差圖の旨,先生へ御返達の由にて先つ相延へ候由に之れ有り候,
同年五月廿一日,祇徳君日光御名代に付来春迄御滞府の由姬路へ御便有り,大目付家中へ達す,
図十三 筆者蔵

上『鎗術入身稽古数扣』

無邊無極流:千本入身

文政十一年二月廿四日,三俣義陳(二十二歳)好古堂稽古場に於て千本入身す,これか為に前日父の義武(四十五歳)師家・世話役・手傳へ挨拶せり,千本入身の後,義陳は諸々へ御礼に参り暮時帰宅す,義武は自宅に於て師家・世話役等を饗應し,復た翌日義武師家・世話役等に挨拶す,日記下記の如し,
[三俣義武日記:文政十一年抄出](図十四)

(文政十一年二月廿三日)
一,惣之進義,鎗術千入身致し候に付き、師家并に手傳・世話役へ自分頼みに参り候,

(同月廿四日)
一,惣之進義、今日千入身致し候に付き,七つ時より稽古場へ出席し昼時切飯にしめ出て候,
一,七つ半時過ぎ千入身仕廻ひ,夫れゟ惣之進諸々廻勤致し候て暮時過帰宅,
一,師家・世話役并に當日世話致し候者へ宅にて酒肴出し候,

(同月廿五日)
一,自分昨日の挨拶に藝事奉行其の外師家并に世話役の衆へ罷越し候,
義陳千本入身を書留む,『無邊流鎗術千入身出席名前并勝負附』(図十五)と題す,是に拠て,朝六つ半時に始め,出席の者百十三人,入身千拾五本行はれ,入身勝七百弐拾三本,突身勝弐百九拾二本,而して暮七つ半時に終へしことを知るへし,
図十四−い 筆者蔵


図十四−ろ


図十五 筆者蔵

無邊無極流:御流義

無邊無極流は 酒井家の御流義なり,然るに其の沿革明らかならす,
咸休君(酒井忠擧君)の御代 公儀の御旗本山本嘉兵衛を御屋鋪に招きて学ひたること『密書』に見ゆ,此の『密書』は元禄十五年以前の 君の行状を記したるものにして,御側近くに仕へし津田正武なる者の筆によるものなり,記事下記の如し,
[密書写抄出](図十一)

一,巳刻前後より御稽古場へ入らせらる,
  一,鎗は無邊流是又御側の者御次向の若き者共迄大ひに望次第山本加兵衛殿門弟仰付けられ稽古之れ有り,是又表裡御直し仕合も之れ有り,突身御自身遊はされ候,

一,江戸表にては一ヶ月六日御稽古之れ有り,其節釼術は出渕道仙父子の者召寄せられ,鎗は山本加兵衛殿御父子并に内弟子岩田六左衛門を初め何も参上御稽古之れ有り,御在城の節は御閑隙に御座成され候に付き一ヶ月十二日,其外不意の御稽古之れ有り,
古岳君(忠恭君)もまた無邊無極流を学ひたること記録に見ゆ,
[姬陽秘鑑巻之十:譜系十]

一,鎗術御稽古の節平林儀助御相手仕り候処,過て君の御手を強く御痛め申し夥敷く御血流れ候に付き肝を冷し申し処,山本嘉兵衛様へ仰せられ候は,凡そ稽古は少しも控へ之れ無く力量一杯に致さねは宜しからす,大方は控へめに致し候故,大名藝と申して真の所出来兼ね申し候,彼か様成る向ふ見すの者之れ無くは,私か稽古も上りませぬと仰せられ候由,儀助は如何仕るへき哉と寔に恐れ入り罷り在り候処,右の御意を承り有り難く存し奉り候由,
其外の記録に徴すへきものなきも,超宗君(忠以君)同流の印可を相傳されしこと『姬陽秘鑑:譜系』(図十二)に見へ,君(忠因君)同流を学ひたること『姬路城史』に見へ,謙光君(忠學君)同流の印可を相傳せられしこと『無邊無極流印可』存するに依て之を知るへし,
図十一 筆者蔵


図十二 筆者蔵

参考史料:『三俣家文書』筆者蔵/『姬陽秘鑑』姬路市立城郭研究室蔵/『家臣録』姬路市立城郭研究室蔵
参考資料:『姬路城史』橋本政次著/『寛政重修諸家譜』續群書類従完成會/『江戸幕臣人名事典』熊井保編

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