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『岩流目録:安政四巳歳十一月廿四日付』筆者蔵
2019.4.20 岩流の序
今回は「岩流」という剣術流義の「目録」に書かれた「序」です,
「漢文体」と言って良いのでしょうか,ちょっと首を捻るような一風変った文体で書かれています,

和文と漢文の折衷様式とでもいった風で,「漢文体」にくらべて格段に読みやすく,今回は大過なく読解できたと思います,
 

『岩流目録:安政四巳歳十一月廿四日付』部分 筆者蔵
『六稲三略』という著名な兵法書は,武藝の書にしばしば登場し,おそらくご存じの方も多いでしょう,
『六稲三略』が岩流といかなる関係があるのか,「序」を読んでみてもちょっと分らないのですが,日本の兵法というものに『六稲三略』が大きく寄与している,といったところから書き起しています,

つまり,岩流と直接関係がある『六稲三略』というわけではなく,流義の思想を打ち出すための装飾として『六稲三略』を用いたのかもしれません,


「岩流」のはじまりについては,「雖然當流之一流与謂者,」という文言にはじまり,末尾の「日域無双之兵法也,」と締め括られるまで続きます,

大略を記しますと,
伊藤という人(この人物は伊藤右近祐久と云います,本傳書中の流譜にあり)は,剣術の諸流を修行して極めたけれども満足しませんでした,
悩んだあげく一年ほどこの道を打ち捨て,空しく日を送るもやはり捨てがたく,百日火断ちして神願したところ,神力の旨を受けて岩流を開いたとされます,

こゝでいう神力の旨というのは,「来非全人間之心意より趣ニ,」より「一モ欠ル則難得其理,猶鍛錬工夫すへし,」までに書かれたことを指しているようですが,迂生の読解力が及ばず,どうも要領を得ないところが幾つかありうまく説明できません,

岩流の名の由来については,「爰有神力旨,其名ヲ岩流与云々,」と一言で済まされており,どのあたりの「神力旨」に拠ったものか判然としません,ともかく前段にそれらしき事が記されているようです,
 
また流名の由来については,「春風になひく柳のいとゆふも,岩をくつさはうつもれぬへし,」の歌によると,各文献は述べています,
この哥は,上に掲げた本文の次に書かれている三句の内の一句です,はたしてこの哥が流名の由来なのか今一つ分りません,



「岩流」は不思議な流儀にて,伝書には他流の太刀名が列挙されています,これらは「外之物」や「他流之極意」と言って「岩流」に取り入れられたものです,

いくつかの土地で行われていたようですが,あまり詳しいことは分っていません,本伝書は久留米藩において行われた系で,最後に府内藩へ伝播したようです,