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鞍馬流劒術の傳書

鞍馬流劒術名劒書
1857.安政四巳年五月吉辰
川窪勘解由信順−有田光之助
『江戸幕臣人名事典』に川窪勘解由の名あり、高四百石 御先手御弓頭を勤めた。この人が本伝書の川窪勘解由信順に該当するものか、実名が分らぬため確かなことは言えない。尤も万延元年十二月二十七日に子賢三が跡式を相続しており、本伝書の年紀と矛盾はない。亦、この賢三は武藝に出精し鎗術師範を勤めたことから、父勘解由も武藝に関わっていた事は充分に考えられる。 次いで『江戸幕府旗本人名事典』を見るに、『江戸幕臣人名事典』の川窪勘解由と石高・本国が一致する川窪安之丞信睦の名がある。この人は寛政十一年の当主。ほか別家の川窪氏もすべて実名に「信」の字を用いている。
有田光之助は、文久三年正月に藤重槌太郎より中嶋流炮術の伝書を相傳されている。この時の名乗りは駒田光之助と云った。藤重槌太郎は大坂の玉造組同心にて、父良左衛門と共に大塩格之助へ炮術を指南したと伝えられている。

掲載史料及び参考資料
『鞍馬流劒術名劒書』個人蔵
『江戸幕臣人名事典』熊井保編 新人物往来社
『江戸幕府旗本人名事典』小川恭一編 原書房

鞍馬流劒術名劒書





(印)
鞍馬流劒術名劒書
  目録

 古今名劒術而互
 立門戸者尤不鮮
 矣予竗年學鞍馬
 之一流寅酉孜々
 幾乎十餘歳乗然
 未骨決而有可勝
 之理疑勤存
 怠倦一日乗サ
 不覚發一聲恍如
 夢醒於此平生之
 疑情如氷解也雨
 来旨決而無不勝
 之理矣尋常詰也
 家之諸子有至其
 閫奥則両刄終不
 相交者也鳴呼是
 何言也蓋陽陰万
 物育四時行凡天
 地人物不交則不
 成功明也況吾人
 相對両刄柱焉敢
 可有不交成功之
 理耶如吾真明サ
 一聲霹靂両拂
 見者目眩聴者
 耳聾不論刄之利
 与鈍觸者無不撃
 碎豈不決乎纔渉
 擬思早是裘身矣
 命也若又理泥滞
 事杲不得其妙二
 六時中只看卍字
 一切之刄述都不
 離這字是肯座道
 理也在勇士身上
 未足貴也欽莫客
 易也

    大野将監


  卍 大事

   生當劒
   真明釼
   六箇法則

 右元祖傳来目録書如
 件

        川窪勘解由
  于時安政四巳年
     五月吉辰 信順(判)(印)


      有田光之助殿
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