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槍法實用

『槍法實用』は、平山子龍翁の著書にして、高弟吉里呑敵斎に傳授された大島流(種田流)鎗術の伝書である。同書は文政3年(1820)3月10日に呑敵斎の門弟圓城寺忠五兵衛に傳授され、さらにその実子大野鎮恒が写本として残した、ときに嘉永7年(1854)10月のこと。

掲載史料及び参考資料
『槍法實用』個人蔵

槍鈀長短

   槍鈀長短
今世大島流にて用る勢法槍と云もの其長さ九
尺五寸にて敵手對手ともにこれを用ふ倩これ
を考るに元来流義の槍の長さは二間一尺なる
流祖大島伴六吉綱先生大坂の役の時二尺切り
縮め一丈一尺にせられしより今日に至り一丈
一尺に持鑓の尺を極めたり然れは勢法鎗の尺
も一丈一尺を用ふへきを九尺五寸の手軽き鎗
を用ること師説に背きぬ雖不敏謹んて勢法
槍の尺を改變して新に一丈一尺を用ふ
 吉綱先生の一丈一尺に切り縮められしは入り
 突を兼て其中を得たりと左もあるへきこと也
相尺比較に二間一尺の槍を用ることは古法に因
循して敢て改め更[か]へす
 世の大島流を使ふもの苧殻の如き槍を用て
 かたを立派に使ひ見分を第一とすること殆と
 伶人の才を振舞すか如く花法美観のみにて
 何の役にも立さること也如何と云に麻幹の
 如き槍を捻り廻していかにも優にやさしく
 しほらしけに使ひたれはとて戦場首取競の
 役に立へきや勢法と云ものは元来身體の周
 旋を自在にするまてのことにて勢法にて勝負
 はならさること也是五尺の童子も能其非なる
 ことを知る武人豈明に辨せさるへけんや

【訳】
   槍鈀長短
今世、大島流にて用いる勢法槍と云うものは、その長さ九
尺五寸にて敵手・対手ともにこれを用う、[子龍]つらつらこれ
を考えるに、元来流義の槍の長さは二間一尺なる
流祖大島伴六吉綱先生が大坂の役の時に二尺切り
縮め一丈一尺にせられしより今日に至り一丈
一尺に持鑓の尺を極めたり。然れば勢法鎗の尺
も一丈一尺を用うべきを九尺五寸の手軽き鎗
を用いることは師説に背きぬ。[子龍]は敏ならずといえども謹んで勢法
槍の尺を改変して新たに一丈一尺を用う。
 吉綱先生の一丈一尺に切り縮められしは入り
 突を兼て其中を得たりと左もあるへきこと也
相尺比較に二間一尺の槍を用いることは古法に因
循して敢て改め更[変]へず。
 世の大島流を使う者は苧殻の如き槍を用いて
 かた[勢法]を立派に使い、見分を第一とすること殆ど
 伶人の才を振舞すが如く、花法美観のみにて
 何の役にも立たざることなり。如何と云うに麻幹の
 如き槍を捻り廻していかにも優にやさしく
 しおらしげに使いたればとて戦場首取競の
 役に立つべきや、勢法と云うものは元来身體の周
 旋を自在にするまでのことにて勢法にて勝負
 はならざることなり。これ五尺の童子も能くその非なる
 ことを知る、武人豈に明らかに弁ぜざるべけんや。


入身

   入身
丸嘴を以て入身の氣勢を取立數を募らしむる
こと畢竟強みをせることなれとも入身は受太刀にて
直ちに突身を衝貫くと云業はなく只入り付るを
第一とする故相尺になれは入身の上手も思の
外に不手際もあること也肝脣の相尺仕合に不手
際にては直鎗を流義の鎗と定めし趣意に叶ひ
難し且入身は元来眉尖刀にて流義の直鎗を潰
し破れるものなるを専一と修行せること戻れり
と謂へし因て入身を用ひす唯相尺比較を専と
して戦陣の形勢を悟らしむ

【訳】
   入身
丸嘴を以て入身の氣勢を取り立て、数を募らしむる
ことは畢竟強みをせることなれども、入身は受太刀にて
直ちに突身を衝き貫くと云う業はなく、ただ入り付けるを
第一とする故、相尺になれば入身の上手も思いの
ほかに不手際もあることなり。肝脣[腎]の相尺仕合に不手
際にては直鎗を流義の鎗と定めし趣意に叶い
難し。且つ入身は元来眉尖刀にて流義の直鎗を潰
し破れるものなるを専一と修行せることに戻れり
と謂うべし。因みて入身を用いずただ相尺比較を専らと
して戦陣の形勢を悟らしむ。


単身・向身

   單身  向身
元来鎗は左勝手なるもの故左の方を突懸りて
片身を専とす然とも是は皆肌赤勝負のことに
て六具の上にては此構にては一向に用に立さ
ること也嘗試に其説を審にせん六具を帯する時
は頬當ありて面部の太り張ること素面と異なる
りの上頬當の垂れ八文字に開きて綿噛のさき
或は仕付の杏葉等に障りて左の方へ面を一は
いに振り込み難くかの引け面と云ものになる
也それのみにあらす右の腕左の方へ延す右の
肩綿噛のせめこはせ并に手甲の大指中指の締
にて腕つまり又胸板の右の上角にせかれて伸
すそれを一はいに突出し左の手の裏へ右の手
の甲の當る程に伸さんとすれは是非ともに向身
にならされは決して使ひ難し初めて信す古人の
鎗法皆向身にて今世稽古場にて單身になり中[あた]
り外れの利害得失を僉議することは格別なること
を世の武人勇士鎗法の達人と称せらる々もの
も此所に眼を注しもの寥々乎として未指を屈
するに至らす僅に演習局きりの膚赤勝負に霜
辛雪苦すといへとも其習ふ所行ふ所に非ることを
知らす恐くは事に臨て臍を噬の悔あらんことを
今窃に單身を變して向身とするものは他なし
唯戰陣の實用に施んことを庶幾へはなり吾敢て
事を好て衆に逆ひ世に戻るならんや識者擇為

【訳】
   単身  向身
元来鎗は左勝手なるもの故、左の方を突き懸りて
片身を専らとす。然れどもこれは皆な肌赤勝負のことに
て、六具の上にてはこの構にては一向に用に立たざ
ることなり。かつて試みにその説を審らかにせんと六具を帯する時
は頬當ありて面部の太り張ること素面と異なる
りの上頬當の垂れ八文字に開きて綿噛の先、
或いは仕付の杏葉などに障りて左の方へ面を一杯
に振り込み難く、かの引け面と云うものになる
なり。それのみにあらず、右の腕を左の方へ延ばすと右の
肩が綿噛のせめこはぜ并びに手甲の大指・中指の締
にて腕つまり、また胸板の右の上角にせかれて伸ば
すそれを一杯に突き出し左の手の裏へ右の手
の甲の当るほどに伸ばさんとすれば、是非ともに向身
にならざれば決して使い難し。初めて信ず古人の
鎗法皆な向身にて、今世稽古場にて単身になり中[あた]
り外れの利害得失を詮議することは格別なること
を、世の武人・勇士・鎗法の達人と称せらる々者
もこの所に眼を注ぎし者寥々乎として未だ指を屈
するに至らず、僅かに演習局きりの膚赤勝負に霜
辛雪苦すといへども、その習う所・行う所に非ざることを
知らず。恐らくは事に臨みて臍を噬[か]むの悔いあらんことを。
今窃に単身を変じて向身とする者は他になし。
ただ戦陣の実用に施さんことを庶幾[こいねが]へばなり。吾[われ]敢えて
事を好みて衆に逆らひ世に戻るならんや。識者擇為。


外物

   外物
外物と云は鍵鎗長刀十文字のこと也今に至りて
は鍵鎗眉尖刀のみを使ひて十文字槍は用ひさ
ることになりたり其説を尋るに流義の直鎗を十
文字鍵にてはつふすもの故用ひさると云ふ然
とも長刀も鍵鎗も同く直鎗に敵することは替らさ
ることなるに流祖伴六の直鎗に害あるを其初に
付置れしこと疑ふへきの甚きにあらすや熟其深
意を察するに今日大島流の鎗遣ひの如くには
あるへからす畢竟槍術の活法を示せしものな
るを後人察せす妄に十文字槍のつかひかたを
廢せしこと甚た先師に叛けりと云へし竊に古人
戰場の働を察するに今日の如く拘泥せしにあ
らす城攻なとの働きには鍵鎗十文字鍵を用ひ
て塀を乗るの用に備へ或は舟戰に人を水面に
係落すの舟を引寄るのと云働に備しなるへし
又野間廣場の戰には直槍を以鎗の合場になれ
は敵をかさよりた々きひしき或は一騎立の時
には敵をなくり倒すのと云やうに時に應し所
に隋て活發自在を盡せしなるへし因て先師吉
綱先生
も各器の使ひ方を辨せされは時に臨ん
て手支への患あるか為に鍵十文字薙刀を外物
として付け置れしなるを其意を悟らすして妄
に變廃せしこと勝て嘆すへけんや他日十文字
鎗の勢法を加へて一家の全備をなさんと欲す
但鍵鎗の使ひ方を以て十文字鎗を使ふと云こと
はもとよりあることなれとも一人も修羅前を心に
懸るものなけれは敢てこれを嘗試ものなし吁

【訳】
   外物
外物と云うは鍵鎗・長刀・十文字のことなり。今に至りて
は鍵鎗・眉尖刀のみを使いて十文字槍は用ひざ
ることになりたり。その説を尋ねるに流義の直鎗を十
文字鍵にては潰すものゆえ用いざると云う。然れ
ども長刀も鍵鎗も同じく直鎗に敵することは替らざ
ることなるに、流祖伴六の直鎗に害あるをその初めに
付け置れしこと疑うべきの甚だしきにあらずや。熟れその深
意を察するに、今日大島流の鎗遣いの如くには
あるべからず、畢竟槍術の活法を示せしものな
るを後人察せず、妄りに十文字槍の遣い方を
廢せしこと甚だ先師に叛けりと云うべし。竊[ひそ]かに古人
戦場の働きを察するに、今日の如く拘泥せしにあ
らず。城攻めなどの働きには、鍵鎗・十文字鍵を用い
て塀を乗るの用に備え、或いは舟戦に人を水面に
係け落すの舟を引寄るのと云う働きに備えしなるべし。
また野間・広場の戦には直槍を以て鎗の合場になれ
ば、敵を笠より叩きひしぎ、或いは一騎立の時
には敵をなぐり倒すのと云うように、時に応じ所
に隋って活發自在を尽せしなるべし。因て先師吉
綱先生
も各器の使い方を辨ぜざれば、時に臨ん
で手支[つか]えの患いあるが為に、鍵・十文字・薙刀を外物
として付け置れしなるをその意を悟らずして妄り
に変廃せしこと勝て嘆ずべけんや。[子龍]は他日十文字
鎗の勢法を加えて一家の全備をなさんと欲す。
但し鍵鎗の使い方を以て十文字鎗を使うと云こと
は素よりあることなれども、一人も修羅前を心に
懸る者なければ、敢えてこれを嘗て試す者なし。


居さばき

   居さばき
いさはきは奥の方とて妄に使はせされとも察す
る所後に附け添へしものなるへし其わけは甲
冑を着用しては成り難き所作にて要するに花
法にして實用にあらす心血暒場を蹈み六具の
上の諸勝負心得しもの〃製作にはあらさる
へし因て居さはきを棄て〃習はしめす直ちに
戰陣の真面目を見るにあり

【訳】
   居さばき
居さばきは奥の方とて妄りに使はせざれども、察す
る所後に附け添えしものなるべし。その訳は甲
冑を着用しては成り難き所作にて、要するに花
法にして實用にあらず。心血腥場を踏み、六具の
上の諸勝負心得し者の製作にはあらざる
べし。因て居さばきを棄て〃習はしめず、直ちに
戦陣の真面目を見るにあり。


仕合

   仕合
本仕合は功者になけれはなさしめされとも以の
外の迂闊の義なり四本の表より外の物まての
勢法大躰に出来なは早速仕合にか〃らせ勢法
の使ひ方も仕合の勝負氣も相互に募らせ取り
立へし扨其仕合に聊か心得あるへきこと也當時
世上の仕合は丸腰にて鎗を突き合まてにて手
もとへ入り込れぬれは負也と思へり如此にて
は勝負あさくひつはりなし尤鎗をきり手とめ
の金物の所をとりて突合へとも手と手を取ほと
の所に至りても猶長道具のわさをするは場を
知らぬと云もの也若も敵を入り込ませたらは
鎗を捨て〃刀を抜か短刀にて突かいつれ勝負
の始終を自得して命の絶際まて精神のひつは
りをぬかさす仕殘しのなきやうに心掛ること肝
要也因て今新にしないの大小刀を帯せしめて
仕合をなし勝負の極則に徹底せしむ但甲冑の
上草履腰當にて刀を佩れは手つめになりて神
速に抜こと難し二尺三四寸といへとも快く抜こと難
し故に落し差を用ふ
 三尺以上五寸まての刀といへとも落し指しに
 して障りとならす小尻を引さること試てしる
 へし尤是は甲冑し上のことにて素膚の時の
 ことにあらす其法別論あり
當流専弯月の構へ中段をよしとすることは佩刀
を横たへて柄にあたらぬ為なりと云へし然とも
如此にては前に論する如く甲冑の上にては快
く抜ことなりかたし因て落し指を用ふ脇差は前
腹にそりをうちて横に搦み指しにす両刀ともに
かくの如くにして聊比較の累とならす是
連年屡試る所にして臆断の虚説にあらす

【訳】
   仕合
もと仕合は功者になければ為さしめざれども、以ての
ほかの迂闊の義なり。四本の表より外物までの
勢法は大躰に出来なば、早速仕合にかゝらせ勢法
の使い方も仕合の勝負気も相互に募らせ取り
立つべし。さてその仕合に聊[いささ]か心得あるべきことなり。当時
世上の仕合は丸腰にて鎗を突き合までにて手
元へ入り込まれぬれば負けなりと思へり。此くの如くにて
は勝負浅くひっぱり無し。もっとも鎗を切り手とめ
の金物の所をとりて突合へども、手と手を取るほど
の所に至りても、なお長道具のわざをするは場を
知らぬと云うものなり。もしも敵を入り込ませたらば
鎗を捨てゝ刀を抜くか短刀にて突くか、いづれ勝負
の始終を自得して命の絶際まて精神のひっぱ
りを抜かさず、仕残しの無きように心掛けること肝
要なり。因て今新たにシナイの大小刀を帯せしめて
仕合をなし、勝負の極則に徹底せしむ。但し甲冑の
上、草履・腰當にて刀を佩れば手つめになりて神
速に抜くこと難し。二尺三四寸といへども快く抜くこと難
し、故に落し差を用う。
 三尺以上五寸まての刀といへども落し指しに
 して障りとならず、小尻を引かざること試して知る
 べし。もっともこれは甲冑し上のことにて、素膚の時の
 ことにあらず、その法別論あり。
当流は専ら弯月の構へ中段をよしとすることは、佩刀
を横たへて柄にあたらぬ為なりと云うべし。然れども
此くの如くにては前に論ずる如く、甲冑の上にては快
く抜ことなり難し。因て落し指を用う、脇差は前
腹に反りをうちて横に搦み指しにす、両刀共に
かくの如くにして聊か比較の累とならず。これ
連年しばしば試みる所にして臆断の虚説にあらず。


先登折衝鎗

   先登折衝鎗
當流鎗術の蘊奥極秘とするもの唯此一法にあ
流祖吉綱先生種々の勢法を設て後進の士を
教導せられしは盖[蓋]此一法を自得せしめんか為
なり當流の鎗術に寝食を忘れ老の将に至ん
とするを知らす河流を沂[きわ]で始て崑崙なるもの
を見ることを得たり真實流傳こ〃に外ならす所
謂先登摧堅二番鑓を入る〃の猛勢也子弟たる
もの流祖の賜を受るの大なるを崇尊せさるへ
けんや夫武士の高名譽の第一とする所のもの
は一番鎗に過たるものなし尤時により所によ
りて一番槍の上に出る高名もあれとも是は常格
となし難し然れは武功の骨髄極則こ々にあれ
は武士たるもの殊に精神をいれて折衝の妙機
利用に徹底し勝敗の神勢を握掌せすんはある
へからす庶幾は吾黨の武人忠孝節義の膽を張
り英雄豪傑の志を慕ひ雜劇に異ならさる勢法
を洗滌し反故に等き印證を放擲し戰陣實用の
教に刮目せんことを

【訳】
   先登折衝鎗
当流鎗術の蘊奥極秘とするものは、ただこの一法にあ
り。流祖吉綱先生は種々の勢法を設けて後進の士を
教導せられしは、蓋しこの一法を自得せしめんがため
なり。[子龍]は当流の鎗術に寝食を忘れ、老の将[まさ]に至らん
とするを知らず、河流を沂[きわ]で始めて崑崙なるもの
を見ることを得たり。真実の流伝はここに外ならず。所
謂[いわゆる]先登摧堅一番鑓を入るゝの猛勢なり。子弟たる
者は流祖の賜を受くるの大なるを崇尊せざるべ
けんや。それ武士の高名誉の第一とする所のもの
は一番鎗に過ぎたるものなし。もっとも時により所によ
りて一番槍の上に出る高名もあれども、これは常格
となし難し。然れば武功の骨髄極則こゝにあれ
ば、武士たるもの殊に精神をいれて折衝の妙機
利用に徹底し、勝敗の神勢を握掌せずんばある
べからず。庶幾[こいねがわく]ば吾が党の武人は忠孝節義の膽を張
り、英雄豪傑の志を慕い、雜劇に異ならざる勢法
を洗滌し、反故に等しき印證を放擲し、戦陣実用の
教えに刮目せんことを。


奥書

 是等の説か數年兵學に黽勉して其の勝敗
 の形勢運用の妙機を探る中より開眼獨得せ
 しものにして技藝者流のよくしる所にあら
 す覧る者幸に混同してこれとひとしくする
 ことなかれ

右此一書者平山子龍先生之所撰也
可謂流祖々秘授槍鈀之極則盡于此
得此書而為帳中秘物不敢以示人矣然
今依執心懇切授與之者也努々勿許他
見云爾
      吉里呑敵齋
文政三年庚辰三月十日

      圓城寺忠五兵衛殿


此之書は大島流師家御籏本
吉里呑敵斎先生より實父依懇心授
與之者也于時嘉永七寅十月
写之
      大野鎮恒識

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