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柳生心眼流の傳書

柳生心眼流兵法書
1809.文化六歳己巳卯月
名取権右衛門敬純−太田五吉

太田五吉とは、後に羽前村山郡後澤村の名主を勤める三代目太田幾右衛門廣直(1779-1838)のこと、當年31才。文政5年(1822)と天保6年(1835)の二度、幕府に五万余坪の拂下げを請い許されるや貧民を移住させ開墾、前を幾右衛門新田、後を太田新田と云いました。”性沈毅にして度量あり、言行苟もせず” ”常に勤倹にして力を貧民救済に致す”など、その遺徳を偲ぶ言葉が伝えられています。
掲載史料及び参考資料
『柳生心眼流兵法書』私蔵文書
『東郷村誌』東郷村郷土誌編纂会

柳生心眼流兵法書


 柳生心眼流兵法書
柳生心眼流劒術者竹永
直入翁之所傳之兵法也
先達脩之意味所作悉一
而術巻及二十箇條三十
箇條而家秘流名亦異也
今翁之法也擇其秀逸而
約作六箇條稱柳生心眼
流以授與於之群弟子其
術之深味嚴切豈應擧筆
謂焉於戯無比至功也愚
歳以降就翁之明術焉
數十年時習之勞自適翁
之心膽而我流疎密之工
夫當然之深意不一遺漏
或口傳之或書之而以與
相傳之於之師説併附愚
意以作一巻欲授與實之
人而已

 兵法傳来由緒−
一  −羽州帯刀
一  −江州理劒
一  −荒河治郎左衛門
一  −清之入道
一  −柳生但馬守
一  −竹永直入
一  −吉川市郎右衛門
一  −伊藤久三郎
一  −小山左門
一  −名取権右衛門

 柳生心眼流所作名目圖
一 八点
一 両陰
一 両斜
一 勢嚴
一 片斜
一 處中
 右合六箇條

色をみていろにしたかう
   手のまこと
 拍子にうつる聲のこえゝゝ

 同工夫訳
山勢劒  心十文字
法 劒  去肉取骨
行 月  如望洞映月
不連劒  千足不如一足大事
陰 陽  進則退退則進相應似弱強也柳枝堪雪皃
水魚劒  鏡裏如照物

 水月之傳
問曰水月者答云秋月
如映池水照之映迅速
何比夫月影者已池水
者敵也相應如此勝有
其中

わけのぼる
  麓の道は
    おほけれと
 おなし雲井の
   月を見るかな

 同極意
扇之傳
野中幕

浮草をかきつけ見れは
   水に月
 爰に有とは
    誰かしるべき

 同居會
一 向切
一 返切
一 右切
一 左切
一 前切
一 後切
一 行々
一 巻打
一 柄留
一 鞘揚
 十箇條

右初作工夫極意之旨
趣無一段落相傳之者
也宜深秘勿犯他見

     名取権右衛門
文化六歳己巳卯月 敬純(判)

 太田五吉雅丈


 "はやく"の意か
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