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風傳流の伝書

風傳流仕合之巻
1806.文化三年九月吉日
奥村助十郎嘉會/渡邊京八郎國種−本山新八
1846.弘化三丙午年七月吉日
橋本助六國輝−本山新右衛門
1860.安政七年
橋本助六國輝−本山幸之助

内田清右衛門格中山氏問可否事
1846.弘化三丙午年七月吉日
橋本助六國輝−本山新右衛門
1860.安政七年
橋本助六國輝−本山幸之助

風傳流傳来之巻
1861.文久元年丙十二月吉日
橋本助六國輝−本山幸之助

風傳流由来之巻
1861.文久元年丙十二月吉日
橋本助六國輝−本山幸之助

風傳流位詰目録
1861.文久元年丙十二月吉日
橋本助六國輝−本山幸之助

風傳流秘傳歌目録
1861.文久元年丙十二月吉日
橋本助六國輝−本山幸之助

風傳流免許
1861.文久元年丙十二月吉日
橋本助六國輝−本山幸之助
橋本家は初代を橋本儀右衛門と云い、元は小境儀左衛門の忰にて、正徳3年(1706)11月御用書役に召し出され五人扶持を下されます。その後、御屏風方裁許、江戸詰などを経て、享保2年(1717)10月新知七拾石を以て御取立てとなり組外組に御番入、先祖の由緒によって橋本と改めました。その後は表御土蔵奉行、金銀御貸付奉行などを勤め、組外組に御番入となり享保15年に隠居。
二代目は組外組に御番入するも早世したため、三代目には養子が迎えられました。三代目は五人扶持、御馬廻組となり二拾八俵、次いで四代目郷右衛門(助六國輝の父)も同様に御馬廻組を勤めます。
そして五代目橋本助六國輝は、天保4年(1833)1月31才のとき父郷右衛門の隠居により跡式を相続、やはり二拾八俵を下され御馬廻に御番入します。安政4年(1857)3月55才のとき摂州西宮の御陣屋警固を命じられ同年9月帰国。元治元年(1864)1月62才のとき鎗術出精につき御添米三俵を直し下され三拾一俵となりました。その後は慶応元年3月京都への使者、明治1年(1868)10月に御供、明治2年3月東京への使者などを勤め、同年8月67才のとき鎗術稽古相談役となります。

本山家は、先祖の国沢新八が大聖寺藩二代藩主利明に召し抱えられてより歴代の藩公に仕えました。
本山幸之助は嘉永2年(1849)10才のときに跡式(禄三十五俵)を継ぎます。銭手形役所三十人講目付、普請目付、足軽頭、半隊長などを勤め、明治2年(1869)近習となり新八と改めます。同年租税承事、明治3年1月司計掛、同年3月司民掛、同年10月民政掛、会計掛、明治4年2月権少属へと進みました。 しかし、同年11月20日大聖寺縣が廃され金沢縣に合併されるに際し、農民に貸付していた肥料の債権を金沢縣に引き継ぐべきか否かで問題となったとき、民政掛の職にあった本山新八は債権を自然消滅せしむべしとの説を唱えたが形勢はそれを許さず、ついに農民が一揆を起したことを悔やみ自決しました、享年32才。

掲載史料及び参考資料
『風傳流仕合之巻』私蔵文書
『内田清右衛門格中山氏問可否事』私蔵文書
『風傳流傳来之巻』私蔵文書
『風傳流由来之巻』私蔵文書
『風傳流位詰目録』私蔵文書
『風傳流秘傳歌目録』私蔵文書
『風傳流免許』私蔵文書
『加賀市史料』加賀市図書館
『三百藩家臣人名事典』家臣人名事典編纂委員会編
『石川縣史 第4編』石川縣
『加能郷土辞彙』日置謙著
『日本武道体系』同朋舎

風傳流仕合之巻

 風傳流仕合之巻

一 夫風伝流の鎗は初心の時より先我身の格に本つき、制敵極利、是本立道生の謂歟、是故、先初足蹈、身の備、手の内、眼の位、鎗構の得失、こき引の生死、留身、しめ身、上中下段の學、鋪身等を後に仕合の稽古をするには間積り、水月、残心、閑心、先の先、後の先、待の先の位、仕掛、仕返の所作、詰身、入相の術を以奇正、虚實、主客、形勢、變動の機に因て勝ことを制すへし、法曰尋、有所設剛、有所施弱、有所用強、有所加兼、此四の者制其

一 稽古の仕合、鎗を取て相手向ふ時、先敵の氣先に心を付へし、氣先に心を付さる鎗構、計心を付る事不可有、口傳

一 不有待、不有懸、相遠近の程に随ふこと第一也、能々可自得

一 懸中待、待中懸の位と云ふこと有、是先後先となる術也、口傳

一 初心の時は稽古の仕合に第一先を取習へしよく先々の位を覚る時は後の先、待の先をも自得して鎗に勢ひ有もの也、是故先則制敵有利

一 初心の者、依時先の仕懸曽て難成こと有、是一の狐疑より発り、亦其仕懸にて直に勝んと欲す故歟、是非務狐疑以残心待の位に乗る、則は如何なる仕掛にて不成と云ことなし、能々可心得もの也、猶口傳

一 懸る残心、引に閑心と云こと有、喩は掛る時は懸計の心に導引時は引計の心に非す、然とも猶豫狐疑心にてはなし懸時も心は我にあり、引とも心は我にありて進退は心の用と可知もの也、重々口傳

一 向敵知虚實、偏に待氣にて窺有猶豫狐疑ち成て却て敵に我虚實を見知るなり、初心の者敵の虚實を知んとせは鎗の位に乗ると位に乗らぬにて可知、孫子曰「善動敵は形の敵心従予の敵心所の以利動の以本待之」云々口傳

一 常々稽古の仕合に我より向上時は上手と恐れ、我より下手なれは下手と侮ること、稽古失にして大なるあやまり也、兼て上手と恐る故必勝の圖もはつし、下手と侮る故に不慮の負有り、不恐大敵、不侮小敵、能々可慎者也

一 若敵を我より上手と知る者は、先を取て可仕懸、太公曰「疾如流矢、撃如發機、是所以破委」

一 敵我より下手なれは悔之、何の心得なく水月の間を深々破時は、程近きに依て我鎗の間入敵の鎗不圖入事有、是故に若敵を手下と知も全く是勝んとせは、鎗を切捨、かけ捨、なやしすて、水月の間を深く不可破、右上手下手の仕懸は、大事の仕合に不恐不侮心得也、亦常々稽古の心持は敵虚あり失あらは、間を盗みいか程も仕込て可勝習、孫子曰「行千里而不勞者、行無人之地云々、敵虚なるもは無人に同し、少も猶豫ことなかれ」

一 初心の時は第一勝氣と先とて味と、此三の事を常に少も不忘仕合すること肝要なり

一 留身、突身の心持あまた有、切留、張留、押(おさへ)留、なやし留、圓相の留突、身には摺突、はなし突、押(おさへ)突、撥(はらい)突、しめ突、二重突、其外留身心持品々ありといへとも、皆以手足体の三拍子にあり、此あまたの者を兼て其宜所に随ふて勝を制すへし、口傳

一 表裏も又品々あり、鎗の表裏色々あり、其外聲の表裏、手の表裏、足の表裏、身の表裏あり、是又随其宜所可用もの也、口傳

一 鎗の表裏うつり、はつれ、替(かわり)と云こと同様にて少宛心持違ふ也、何れもゆとりを嫌ふ、口傳

一 敵の鎗を打にも色々有、すりうち(摺打)、なやし打、巻うち、押(をさへ)打、乗打、其外同やう(様)にても少宛心持違ふなり、敵によりて可用也

一 敵の鎗と組合にも色々あり、過去組、現在の組、未来の組、對の組、押(をし)組、乗組、受(うけ)組、何も所によりて用之者なり

一 鎗の仕懸は千變万化にして兼て難極といへとも、先敵中段より上の鎗は裏表より敵の鎗を出せ々と仕込間積になりて敵の強弱にしたかい、強き時はうつりはつし、表裏抔を以突込、弱き時はなやし摺なと(抔)にて速に可突込、若敵の強弱不知備不崩時は、強當り強くなやし、又は表裏偽り引なとにして此方より強弱を付て可勝、何も兼て二の目の分別能々肝要也

一 敵中段より下りたる鎗には、相位のあてかひにても、亦は鋪身の位にてしか々と仕掛をひき、すくい打、をこし替り、亦は懸合、巻捨、裏身打込抔にて可勝、是も二の目勝猶以第一也、惣て上中下段ともに左右開きたる鎗にて、右の仕掛の位にして身の心得をして可勝、何れも口傳色々あり

一 如右仕込うちに、敵の氣先に心を付事肝要也、或は敵の鋭氣を知り堕氣を知、出氣、引氣、留氣、空氣を知て、其色に随變に應する時は可全勝者也

一 間遠き所にても敵に虚有は、乗其利可勝、況鎗組合て敵少も油断有は、なやし詰か繰つめ(詰)、或は強く當り乗其費可勝、敵若謀て利して欺(あさむく)とも、二の目さへ能心得候時は、敵も自負に可成、虚と見は猶豫狐疑なく蹈込て可勝

一 敵の鎗に當り、なやしすりにても、亦はうつりはつしにても、表裏にても突込て引取に又強く當り、強なやし、亦突込、亦引とりに鎗のなまりなきやうにこき引常々可嗜者也

一 當るにもなやすにも、三の堅して真の堅にて曲尺を外さす、打殺、切殺して無貫やうに常々我身の格を可嗜者也

右此書者當流槍術仕合之巻也、初学之者以此可為登高之階梯者也

  元祖
   中山源兵衛吉成

   奥村助十郎
      嘉會(印)(判)
   渡邊京八郎
      國種(印)(判)
文化三年九月吉日


本山新八殿
      参

   橋本助六
     國輝(印)(判)

弘化三丙午年七月吉日

本山新右衛門殿
      参ル

   橋本助六
     國輝(印)(判)

安政七年

本山幸之助殿
      参ル

内田清右衛門格中山氏問可否事

 内田清右衛門格中山氏問可否事

先こゝもとにて初心の者には第一我
か身の格を本として敵を制する
の理を極させ申候、風に形なし
といへるに少相違に聞へ申候得共、功
者の位に能成候内にをのつから
格を離るゝ道理御座候、かと存候ま
つ初心の内は鎗構の損徳足蹈身
構手の内目付吟味致し留身抔の曲
尺を用ひ申所に大き成徳御座候
間、右の通に存候得共それゝゝに随て
第一格を吟味仕事いかゝ御座候哉

一 稽古に初中後の次第有之様に申
聞、大形それゝゝに心入せんさく仕候、そ
の様子は先初には所作を能して
謀を功にし中比は鑓の問を勝後
には心を修して氣の問を勝やう
にと存候、慥に次第を立申にてはなく
候得共、か様に候得させ申候者ては、所作
を捨向上になり心入走り、亦は所作
はかりにかゝり心を修し不申候の
間如斯に申候、鎗の間と氣の間との
事、間申者御座候に付、か様に申聞仕
形を致し見せ申候はいかゝ御座候哉

鎗の間ははやくあらしなおそくなく
 拍子の間にあると知へし

氣の間とは鎗の拍子の間ならす
 心拍子の間にあるへし

鎗の間も氣の間も無拍子の所と存
候言葉にては無能成申候に付、句作り申候

氣に勝と氣に負との違ひにて
 勝負もをなし違あるべし

是は我ら覚へ申候

我を捨敵に勝んとをもひなは
 心定りわさも違はし

上手とはその理とわさとのかれて
 心正しき人やいふらん

下手とても心定りするわさの
 違はさりせは勝をうるへく

か様に申て氣をすゝませ申候、氣の進
ぬ鑓は中々はか取不申様に覚候

敵人の氣に乗色従はゝ
 なとかは変に虚を守へき

まつ敵の氣さきへ心つけて後
 鎗の構に心つくへく

身のかねの位をはよく極へく
 留ぬに留る事そ有ける

足蹈は居つかす浮す心得に
 居つくはきかす浮は虚に成

我眼鏡のことく心得に
 敵の変化をおのつから見む

かけうつる鏡と空の月はまた
 げにへんまんの位成へく

鏡にも影のうつれる心こそ
 二また川の月にひとしき

右の三首は目付によりたんれん致し
心静り敵の変に乗心持にて御座
候はんや

所作からは心つかふな心から
 所作をせす是は離へきなり

掛引やするその所作に離れなは
 をのつからなる残心そかし

残心の意得(こころへ)あしきものならは
 狐疑とそたゝに成たりける

二目さへ兼て心得するならは
 初心の者の残心そかし

残心なけれはあしく、残心をいへは初
心の者には狐疑となり、又する業
のたらぬ事御座候間、右のことく
申候はゝいかゝ御座候哉

掛る内に待心あり待うちに
 かゝる心のあると知へし

虚実をはいかゝ知らせん初心には
 位に乗とのらぬにて知れ

虚実をは只待氣にて窺はゝ
 猶虚と成す負を取へし

負色の敵を見ても狐疑あらは
 謀をと圖をはつすへし

二の目さへ心にかけは手段ある
 敵もみつから居負をはせん

相互位詰にて勝負の
 氣先知らすはまちて先せよ

大敵もをそれはまして小敵も
 侮らす只虚によりて勝て

うつりはつれ表裏替と云ときは
 おなしやうにて違あるへし

鎗にての表裏はおなし其外に
 心や目こえ身にもあり

 以上

  元祖
   中山源兵衛吉成

   橋本助六
     國輝(印)(判)

弘化三丙午年七月吉日

本山新右衛門殿
      参ル

   橋本助六
     國輝(印)(判)

安政七年

本山幸之助殿
      参ル

風傳流傳来之巻

 風傳流傳来之巻
夫鑓者本朝之兵器而其字
亦我國之所制也嘗中華之
昔義農造干戈軒轅作槍蚩
尤作戈殳戟酋矛夷矛謂之
五兵後世戈戟之制同類而異
形者居多諸葛孔明始以木
作槍以銕為頭其長二丈或以
竹作之其長二丈五尺蓋是與
鑓相似乎本朝之有戈矛既権
輿於神代然則鑓器雖起於
近世其理亙倭唐共以久遠也
就想軍将以是示威破敵士
卒以是先登立功磋夫當両陣相
對主客相待弓銃大過刀劒不及
而計其遠近之間突起奮進者非
鑓而何哉殺活之争忽決于手下
勝敗之勢既着於此時誠是兵
器之最而勇士之技也其法不
可不知焉往歳有竹内藤市郎
則正者善通鑓術以彰其名也
以弥無雙因号則正流而教徒
弟来習者多其尤秀者号京
八郎正家則正喜其抜群委授
秘訣且譲與其姓氏號竹内京
八郎正家其徒益多中山角兵
衛尉家吉師正家以受其教
傳其法其子中山新左衛門尉吉
成其弟中山是斎吉明相共習受
之久志此道既受乃父之所傳
且偏学他流以竭力研精遂窮
諸家之秘蘊弥鍛煉之以加工
夫於是眼之所着手之所応身
之所運足之所動其術之
熟其技之妙譬猶蹈白刃不
懼履薄氷不危也加之雖昇高
不踰階梯之軽捷懸崖可散
両手之奇法皆無不備于方
寸之間然則学之者柔能制剛
弱能制強況剛強者學之則殆
可無敵乎至其極妙則誠難言
也凡風之所起不見其形是我
家之鑓之體也風之所觸皆有
其聲是吾家之鑓之用也古
人用兵其疾如風亦然乎若推
擴言之則貴介公子学之以節
兵庶幾猶君子之風偃小人
之草歟故吉成曾改則正之
流始号風傳流與吉明[共]貽
厥孫謀以授同志者也
無雙天
   竹内藤市郎則正
   同 京八郎正家
   中山角兵衛家吉
   同 源兵衛吉成
   奥村助六家幾
   同 助之丞家房
   生駒図書氏以
   飯田喜市郎良有
   奥村助左衛門嘉包
   橋本助六国久
   同 郷右衛門郢興

   橋本助六
     國輝(印)(判)

文久元年丙十二月吉日

本山幸之助殿
      参ル
【訳】
夫れ鑓は本朝の兵器にして其の字亦我國の制する所なり。嘗て中華の昔義農干戈を造り、軒轅槍を作り、蚩尤も戈・殳・戟・酋矛・夷矛を作り之を五兵と謂う。
後世戈戟の制類を同じうして形を異にする者多く居る。諸葛孔明始めて木を以て槍を作り銕を以て頭と為す、其の長さ二丈或いは竹を以て之を作る、其の長さ二丈五尺蓋し是れ鑓と相似たる乎。
本朝の戈矛既に神代に於いて権興有り、然らば則ち鑓器近世に於いて起ると雖も、其の理は倭唐に亙り共に以て久遠なり。軍将想い就き是れを以て威を示し敵を破る、士卒是れを以て先ず登り功を立つ、磋(あゝ)夫れ両陣相對し主客相待ち弓銃大過刀劒及ばざるに當りて、其の遠近の間を計り突起奮進する者、鑓に非ずして何ぞ殺活の争い忽に手下に決すか、勝敗の勢既に此の時に着く、誠に是れ兵器の最にして勇士の技なり。其の法知らざるべからず。
往歳、竹内藤市郎則正という者有り、善く鑓術に通じ以て其の名を彰らかにするなり、弥以て無雙に因みて則正流と号して徒弟を教う、来りて習う者多し、其の尤も秀れたる者京八郎正家と号す、則正其の抜群なるを喜び、委しく秘訣を授け且つ其の姓氏とを譲る、竹内京八郎正家と號し其の徒益多し。
中山角兵衛尉家吉、師正家を以て其の教傳を受く、其の法其の子中山新左衛門尉吉成、其の弟中山是斎吉明、相共に習い之を受く、久しく此の道に志し、既に父の傳うる所を受け、且つ偏えに他流を学び以て力を竭(つく)して研精す、遂に諸家の秘蘊を窮め弥鍛煉し以て工夫を加え、是れに於いて眼の着ける所、手の応ずる所、身の運ぶ所、足の動く所、其の術の熟、其の技の妙、譬えば白刃を蹈みて懼れず、薄氷を履みて危うからざるが猶くなり。しかのみならず高きに昇るに階梯を踰えず軽捷、崖に懸りて両手を散ずべきの奇法と雖も、皆な方寸の間に備わざる無し。
然らば則ち之を学ぶ者、柔能く剛を制し、弱能く強を制す、況んや剛強なる者之を學べば則ち殆ど敵無かるべきか、其の極妙に至らば則ち誠に言い難しなり。
凡そ風の起こる所其の形を見ず、是れ我家の鑓の體なり、風の觸るゝ所皆な其の聲有り、是れ吾家の鑓の用なり。
古人兵を用いるや其の疾きこと風の如し、亦然るかと、若し推し擴げて之を言わば則ち貴介公子之を学びて以て兵を節す、庶幾くば猶を君子の風偃小人の草とすか、故に吉成曾て則正の流を改め、始めて風傳流と号し吉明[と共に]厥(そ)の孫のため謀を貽(のこ)す、以て同志に授くものなり。

風傳流由来之巻

 風傳流由来之巻
夫鑓者軍旅之利器武家之
要用而臨戦場為勇士之司
命矣我早歳志此道見數師
尽粉骨研精神而雖得諸
流秘傳皆以可決勝於手下
之理也予於是日夜鍛煉加
工夫以施教成功専以表裏
精粗眼手足躰之動用為肝
要也至其向上極位者本之
於正心誠意而氣息發處
無過不及也奇妙殺活之旨
不識之者豈有勝理契語曰
劒刃上行冰凌上走不渉階
梯懸崖撒手矣且又弱者雖
学兵法向強者於急所難成
事功雖然弱與弱相依則必
学法者得其利強者不識法
則却為弱者被撃者必矣故
雖強者不可不學此法学之則
勇弥壮共強與強相依則其
善得法者必得利乎此書初
不私幸竹内藤市郎則正流寄
志久而不足補之過損之様躰
變易之一流如此自名号風
傳流有我家不盡位至矣
右風次第
君子徳風小人徳草爰以
為我威風に形なし以是
我躰とす風物にふれて
利をなす以是為我用
無雙天
   竹内藤市郎則正
   同 京八郎正家
   中山角兵衛家吉
   同 源兵衛吉成
   奥村助六家幾
   同 助之丞家房
   生駒図書氏以
   飯田喜市郎良有
   奥村助左衛門嘉包
   橋本助六国久
   同 郷右衛門郢興

   橋本助六
     國輝(印)(判)

文久元年丙十二月吉日

本山幸之助殿
      参ル
【訳】
夫れ鑓は軍旅の利器、武家の要用にして戦場に臨み勇士の司命たり。
我早歳にして此の道に志し、數師に見え粉骨を尽し精神を研ぎ、而して諸流の秘傳を得ると雖も、皆な以て手下に勝つことを決すべき理なり。
予是に於いて日夜鍛煉して工夫を加え以て教を施し功を成す。専ら表裏精粗、眼手足躰の動用を以て肝要と為すなり。
其の向上極位に至りては正心誠意に基づきて氣息の發する處過ぎて及ばざる無きなり。
奇妙殺活の旨、之を識らざれば豈に勝つ理有らんや。契語に曰く「劒刃上に行き、冰凌上に走り、階梯を陟らず、懸崖に手を撒す」と。且つ又弱者兵法を学ぶと雖も強者に向かはば急所に於いて事功を成し難し。
然りと雖も、弱と弱相依らば則ち必ず法を学ぶ者其の利を得、強者法を識らずば則ち却て弱者をして撃たるゝもの必せり。故に強者と雖も此の法を學ばざるべからず、之を学ばゞ則ち勇弥壮なり、強と強共に相依らば則ち其の善く法を得る者必ず利を得んや。
此の書、初め私ならず、幸いにして竹内藤市郎則正、流に志を寄すること久しくして足らざれば之を補い、過ぎたらば之を[捐(す)て]、様躰變易の一流此くの如し。自ら名(なづ)けて風傳流と号し、我家に有りて盡きざる位に至る。
右風次第
君子の徳は風、小人の徳は草、爰を以て我威と為す、風に形なし、是を以て我躰とす、風物にふれて利をなす、是を以て我用と為す。

風傳流位詰目録

 風傳流位詰目録

 風次第
一 上段と上段の時、繰詰・なやしつめと云事有、繰詰といふは互にかねに組合たる時

一 足踏込我鎗を半分くりこみ詰る事有、又なやし詰といふは鎗の穂先あふ時、なやし捨て、さか上段に詰めやう有口傳可聞

一 中段と中段とのときは、我鑓をすこし上やりになして、披き詰といふ事有、そのとき敵鑓を上へまはさは、かまわすして裏より巻捨て勝へし、又敵の鑓前かとくみ合たるとき、中さかりなは上よりあたりて身をひらき詰へし、条々口傳

一 さか下段とさか下段の時は、直にわかやりをすり入、下より勝へし、是も上よりまわる鑓あらはうらみのかちたるへし、若最前かゝらん時は、しきみのくらいにて直に勝利有、口傳

一 真下段に敵かまへは、しき身の位にても、またうらみの打込にても利あり、しなゝゝ口傳有

一 さか上段にて右のかまへの時は、我鑓を上段のしきみにてかゝるへし、うへを越して前へ人はくわし身にてかつへし、又ときによりてなやし詰もよし、口傳

一 左構にて土眼のうき身にかゝらは、本しき身にてとむへし、かちみくり詰にてもよし、躰により突てものくへし、猶条々口傳有

一 上段と上段にてたかひに入合中にてむすひたるときは、下よりこふしをかけて、右の足をひらきてとむるなり、是を結の請留といへり、また鑓を捨て裏へ入て詰事有、腰に心得有、雲のみたれのうらと心得へし、口傳

一 左右の入かけ、てき上段にても中段にても、組合て鑓を入は、右よりいるゝやりをは、こふしを上のかたへひねりて、上鑓に直にたすへし、ひたりより入は、こふしをふせひねりて、右の方の如くつくへし、立所に勝利あり、是を我家に紅葉重といふ、口傳

一 なやし詰に敵はやくつめは、くわし身にてとむへし、さか下段の入あひにてもよし、口傳

一 思無邪といふ鎗、是を土眼の押身ともいふ、一ツあたりて直に力を入かねをはつさす押詰て入へし、敵のもし此位にかゝらは、なやしつめの留のことく くはし身の披にてとむへし

一 山陰といふ鎗、敵の上段にても中段にても真の下段にても一ツはね上て、うらより勝へし、時により足をぬく事有、若敵かやうにならは、しき身のさか身の大披らきたるへし

一 飛鳥天といふは、互に位詰にて勝負不知とき、跡手をひねり、うらより位を見てなけ突にする事有、口傳

一 無位といふ鑓、是も右の飛鳥天の如く位しれさるとき、手裏釼をうつてその間に勝利有、品々口傅、うちへうのならひ有

一 一文字といふ鑓、敵上段にうかゝゝとかまへたるとき、位を見せす、ひつさけて、少柄をのこして直に敵の手もとへ入て詰るなり、おさゆるかのくかの時、口傳有、敵かやうに入は、鑓を捨て詰やう有、口傳

一 鎗に生死といふ事有、其道具にあたりて其利を得るといふとも、二の目に変化して敵の鎗勝事有、かつてかたされ、負てまけされ、つよくよわく、よはくつよく、千変万化、其中勝敗の一事つきまわることく、車の輪のことし、爰をもつて定位なきを我家とす、可秘々々

右拾五ヶ条、是我家のかねの巻なり
熟不熟可有嗜莫傳
無雙天
   竹内藤市郎則正
   同 京八郎正家
   中山角兵衛家吉
   同 源兵衛吉成
   奥村助六家幾
   同 助之丞家房
   生駒図書氏以
   飯田喜市郎良有
   奥村助左衛門嘉包
   橋本助六國久
   同 郷右衛門郢興

   橋本助六
     國輝(印)(判)

文久元年丙十二月吉日

本山幸之助殿
      参ル

風傳流秘傳歌目録

 風傳流秘傳歌目録

一 右ひたりつくもはらふもうち捨にて
  鑓のこころをすくにこそゆけ
一 しき身とは諸事に渡ると心得よ
  腰のかためにやり先のほと
一 うら身とはしき身の裏の勝み也
  能心得て詰ひらきせよ
一 土眼とは心定て月を見よ
  二また河のふせひなるべし
一 三界もおなしものとはいひなから
  みつの心の引入にあり
一 あけおしとかけて留るを心得よ
  三つのくらゐと是をいふなり
一 雲のみたれつよく當りて直に入
  つめて大事は腰にあるへし
一 横手物かけてたのまゝ引捨て
  敵のかきをわかものになせ
一 惣まくり鑓にひらきて折敷て
  からみてそとむ八つの手毎を
 右唯授一人巻可秘々々

 馬上之次第
一 馬上の鑓いろゝゝありといへとも、乾
  坤かけはしの三つを我家に秘す
一 馬上にて鎗を持事、馬の頭にやり
  をもたせて馬なりに持ことあり
  また鐙のはなに石突をたてゝ持も
  あり、真中をかつきたるもあり、所に
  よるへし、口傳
一 手縄納やう、手のうちの十文字
  に鑓を取りそゆるもあり、又胸お
  ろしにてかまゆる有、しかれとも我
  家には乗敷の手縄を用ひす
  はまかたよりたつなをとり、我帯
  に引通して乗敷へし、口傳
一 塩手に納る手縄あり、右の方の手縄
  をよき頃に四緒手に納、左を鑓に持添も
  あり、条々可秘可聞、口傳
ー、鑓の事、敵上段ならは坤の位にて
  敵の出す鑓を請留、乗違る所にかち
  身あり、若又敵下段ならは乾にて切留
  かち身別れにあり、鑓構、身位、条々
  口傳有
一 二騎あひの事、敵二人左右より乗掛
  来らは、梯のくらゐにて左右を請留
  一方をつくへし、鑓の半を横にとるへし
  品々口傳
一 勝身の時、鐙のふみやう、鞍にすはりや
  うあり、馬にのらんより心にのれ、心に乗
  らんより鐙にのれといヘり、何時もつき
  出す方の鐙をよはく踏へし、太刀
  にて切る時も此心得なり、又乗下りの
  しやう口傳有
一 歩者を馬上にてつかは、輪を掛て上
  より打へし、突時は心得あり、我歩者
  にてつくならは天の鑓もよし、惣して
  天は時によりて用捨あるへし
一 軍の縄、まし手繩の次第、口傳有
  千金莫傳可秘

 夢想歌
しゆらはとは誰かいふらん極楽をき
りにましはり遊ひこそすれ
依此よし乾坤梯の三位を工夫せし
む條々可秘々々
摩利支天
   竹内藤市郎則正
   同 京八郎正家
   中山角兵衛家吉
   同 源兵衛吉成
   奥村助六家幾
   同 助之丞家房
   生駒図書氏以
   飯田喜市郎良有
   奥村助左衛門嘉包
   橋本助六國久
   同 郷右衛門郢興

   橋本助六
     國輝(印)(判)

文久元年丙十二月吉日

本山幸之助殿
      参ル

風傳流免許

平素貴殿懇望因不
浅家傳長道具一流
不残令傳授畢自今
以後執心之輩於有
之可被指南者也雖
然非其仁者千金莫
傳奥義妄不可傳之
若違犯此旨令漏解
者當家之守護無雙
天冥罪不可遁之堅
可相守此掟者也仍
免許状如件

   竹内藤一郎則正
   同 京八郎正家
   中山角兵衛家吉
   同 源兵衛吉成
   奥村助六家幾
   同 助之丞家房
   生駒図書氏以
   飯田喜市郎良有
   奥村助左衛門嘉包
   橋本助六國久
   同 郷右衛門郢興

右目録九巻手術等無残
所傳来いたし候御手柄御
一身の御重寳と存候
是より以後勝手次第
指南可被成候其為奥書
起し置候處如件

   橋本助六
     國輝(印)(判)

文久元年丙十二月吉日

本山幸之助殿
      参ル
【訳】
平素貴殿懇望浅からざるに因て、家傳長道具一流残らず傳授せしめ畢ぬ、自今以後執心の輩これ有るに於いては指南せらるべきものなり、然りと雖も其の仁に非ざれば千金にても傳う莫れ、奥義を妄りに傳うべからず、若し此の旨に違犯し漏解せしむれば、當家の守護無雙天の冥罪を遁るゝべからず、堅く此の掟を相守るべきものなり、仍て免許の状件の如し

   竹内藤一郎則正
   同 京八郎正家
   中山角兵衛家吉
   同 源兵衛吉成
   奥村助六家幾
   同 助之丞家房
   生駒図書氏以
   飯田喜市郎良有
   奥村助左衛門嘉包
   橋本助六國久
   同 郷右衛門郢興

右目録九巻の手術等、残す所無く傳来いたし候、御手柄御一身の御重寳と存じ候、是より以後勝手次第指南成らるべく候、其の為奥書起し置候處件の如し

   橋本助六
    國輝

文久元年丙十二月吉日

本山幸之助殿
      参ル
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