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心形刀流の傳書

心形刀流目録許
1867.慶應三丁卯年五月天晴日
伊庭軍兵衛俊秀−小菅彦右衛門

心形刀流諸目録
1867.慶應三丁卯年五月天晴日
伊庭軍兵衛俊秀−小菅彦右衛門

心形刀流印状之事
1860.萬延元庚申年九月天晴日
伊庭軍兵衛秀俊−[伊崎縫殿助]

起請文之事
1869.明治二巳年十月廿一日
門人−伊崎縫殿助
常心子 伊庭軍兵衛秀俊は是水軒より数えて九代目の当主。高100俵 御役金400両 御手当15人扶持。
伊崎縫殿助に印状を傳授した万延元年(1860)には講武所釼術教授方出役の職にあり、また小菅彦右衛門に目録を傳授した慶應3年(1867)5月のころは前年より引き続いて遊撃隊頭取を勤めていたものと見られます。
※印状には宛名が記されていません、理由は明らかでなく「起請文之事」と共に所蔵されていたことから、伊崎縫殿助に傳授されたものと考えて良いと思います。

掲載史料及び参考資料
『心形刀流目録許』私蔵文書
『心形刀流諸目録』私蔵文書
『心形刀流印状之事』私蔵文書
『心形刀流起請文之事』私蔵文書
『江戸幕臣人名事典』熊井保編

心形刀流目録許


 心形刀流目録序

(印)
夫兵法者心之妙徳也故修刀
不實更難得本無勝負不求
勝勝自然者也譬如在則有
影撃則有響電光石火現
於明鏡之妍 矣心体自
由其味无窮非言語文字之
所及者也平生以直養之克
勉焉表刀之釼也

  當流心形刀
○華車刀   口傳
 中合刀
 中道釼
 陰合刀
 鎊捨刀
○合捨刀   口傳
 捨輪刀
○直和刀   口傳
○獅子亂刀  口傳
 虎尾釼
 陰捨刀
○陽知刀   口傳
 捲撃刀
 陽見刀
○捨發刀   口傳
 陽遊釼
 別車刀
○破先刀   口傳
 清眼刀
 中道亂
  右者人門之釼也

  一子相傳
○水月刀
○中道下リ藤
○釼忍誠
○杖威刀
○飛竜釼
○龍車刀
  初中後陰陽形刀也

右三陰三陽合而六ヶ条本末
條々形刀雖有之當流之極意
者心形刀而已如左

  一子不傳
ふしおかむ
   居垣の内は
 水なれや
   心の月の
   すめはうつるに

○雷心刀   八
○風心刀 平 心 刀
○無一釼   満

はな紅葉
   冬のしらゆき
 見しことも
  おもへは
   くやし
    いろにめてけり

心形刀流之儀多年依修行
今目録許焉者也假如雖為
兄弟膠漆之友敢謾不可漏
且深於執心者能究推敲以
血印誓約竊可在傳刀之
者也仍目録如件

  本心刀流元祖
   妻片謙壽斎
      貞明

昔者本心刀流也予此術
有志年久而始似得其妙
処也故今改之号心形刀流

  心形刀流元祖
   伊庭是水軒
    藤原常吟子秀明
  嫡子
   伊庭軍兵衛
    藤原常全子秀保
  養子
   伊庭軍兵衛
    藤原常備子直保
  秀保次男
   伊庭八郎次
    藤原常勇子秀直
  養子
   伊庭軍兵衛
    藤原常明子秀矩

元祖常吟子秀明以来
有謂称藤姓今後本姓
称源姓
  養子
   伊庭八郎次
    源 常球子秀長
  秀矩嫡孫承祖
   伊庭軍兵衛
    源 常成子秀渕
  養子
   伊庭軍兵衛
    源 常同子秀業
  養子
   伊庭軍兵衛
    源 常心子
慶應三丁卯年 秀俊(印)(判)
 五月天晴日

  小菅彦右衛門殿

心形刀流諸目録


 心形刀流諸目録

(印)
○大亂刀
 虎乱刀
 飛竜釼
○丸橋刀   口傳
 同裏刀
○清眼刀   口傳
 胎内刀
○陽重釼
 三角切留
 發車刀
○右釼足
 左釼足
 陽勇釼
○中道志破記
○膝車刀   口傳
 引 疲
 同 送

  八ヶ
○中眼刀
 清眼刀
 波切刀
 切甲刀
 右旋足
 左轉刀
○中道亂   口傳
○亂車刀   口傳

  小太刀
○中住別釼
 清眼左足
 清眼右足
 両手切
 浦ノ波
 清明釼

  二刀
○向満子
 横満子
 横満子残
 刀合切
 相 捲
 清眼破
 柳雪刀
 鷹之羽
○水月刀   口傳
○三心刀   口傳
○無柏子   口傳
  太刀数四十弐ヶ条

右之目録
一通者御傳候
能口傳之儀者
能々執心之
見分候手御傳
受尤候仍而
目録如件

  元祖
   伊庭是水軒
    藤原常吟子秀明
  嫡子
   伊庭軍兵衛
    藤原常全子秀保
  養子
   伊庭軍兵衛
    藤原常備子直保
  秀保次男
   伊庭八郎次
    藤原常勇子秀直
  養子
   伊庭軍兵衛
    藤原常明子秀矩
元祖常吟子秀明已来
謂称藤姓今後本姓
称源姓
  養子
   伊庭八郎次
    源常球子秀長
  秀矩嫡孫承祖
   伊庭軍兵衛
    源常成子秀渕
  養子
   伊庭軍兵衛
    源常同子秀業
  養子
   伊庭軍兵衛
    源常心子
慶應三丁卯年 秀俊(印)(判)
 五月天晴日

  小菅彦右衛門殿

印状之事

 印状之事

(印)
夫心形刀之儀者
年月時日之依
修行當流不残
相傳者也然至
於其妙処更難
傳也於是切磋
琢磨積久而後
至於形刀圓覺
是教外別傳心
鏡之徳也故遺
於目録免置事
可任於精也全
非私用名利称
人之本心為門
葉繁榮之也請
文以血印永代
可在傳刀之目
録許也且其材
秀於群依志深
今印可許焉者
也仍如件

  心形刀流九代
   伊庭軍兵衛
    源常心子
萬延元庚申年 秀俊(印)(判)
 九月天晴日

起請文之事

 起請文之事

一 心形刀流兵術授受之
  旨趣謹而承焉假如雖
  為兄弟心契之友不可
  為他見他言且以此術
  於為無益之殺生者直
  可蒙
天神地祇就中卓爾
摩利支天尊神之罸者也

  仍起請文如件

   伊嵜縫殿助殿

明治二巳年十月廿一日 安武周造
            直蕗(判)
  同        坂口尚衛
  同        園田増衛
            宗直(判)
  同        玉置熊彦
  同        大曲平八郎
  同        津野田中
            政信(判)
  同        坂本才蔵
  同        井元四郎
            恭則(判)
  同        岩田勤重郎
  同        好士金平
  同        日高寅作
  同        日高包太郎
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