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日置流道雪派の伝書

指矢射形之秘極
1703.元禄十六癸未年十一月十二日
神先政右衛門尉重清−内藤勘右衛門

日置弾正豊秀
−吉田上野介道法豊稔
−吉田出雲守入道一鴎豊経
−吉田六左衛門入道雪荷豊孝
−伴喜左衛門入道道雪一安
−鈴木十郎左衛門入道道清重時
 −鈴木朝右衛門重勝
−神先政右衛門重清
−内藤勘右衛門

『指矢射形之秘極』は師伝の書物にあらず、神先政右衛門重清が著した書物として特に是に掲げた。
神先政右衛門は通矢で寛文5年(1665)4341本(惣8352本)、寛文13年(1673)6701本(惣11100本)の記録を残している。
但し何藩に仕えたのか定かではなく、紀州藩士と紹介する文献も見られるが、紀州藩の分限帳に当ると”神先”の苗字を見出すことができない。もし紀州藩士であれば、神先政右衛門重清より栄重−富好−義重−栄重と代を重ねていることから、何れかの年代の分限帳にその名を見出せる筈である。
おそらくは、岸和田藩−浜田藩−棚倉藩と転封した松平周防守の家臣ではないだろうか。

掲載史料及び参考資料
『指矢射形之秘極』私蔵文書
『笠間藩の武術』小野崎紀男著 ツーワンライフ
『堂射 武道における歴史と思想』入江康平著

指矢射形之秘極

   指矢射形之秘極
一押手は陰中の陽勝手は陽中の陰と云
 事有押手陰中の陽とは如何去は肩
 根より七分の備にして少も力を加え
 すなえゝゝと弓を握り押手を陰に備
 打上けて引に随い勝手と張あふ故に
 離るゝ時矢業つよし是陰の陽也
 又勝手は陽中の陰と云事如何勝手を
 引は陽也約束の所迄引とゝまる事
 なく引あふ内に押手陰中の陽おこつ
 て延合いきおいに押切る離れ是至極
 の離れといふへけんやしからは勝手はみち
 てはなるゝを用ゆる故に陽中の陰なり
 押手勝手引合みちゝゝたる所を押手の
 延合の拍子に離るゝかよき也離るゝと
 はなすと引切と是三つ有射手の年数
 によるなり口訣ならては云かたし大概い
 押手は勝手に有勝手は押手に有る心得可
 成勝手の拳にても起はなすはそのかい
 多しさあれはとて勝手に心をして
 やわらくるは大にあしゝ只押手
 にまけしと引合所を押手の陽おこ
 つてとらるゝ心なり一毛大山を隔た
 つるなれは矢業の根元至極の所善
 にも悪にもためしたき事をかんかへ
 顕すもの也よくゝゝかんとくし有へき也

一引取は弓と絃引分る時を云弓を押す
 と絃を引との時勝手へ先を取押手の
 かたぬやうに勝手早く引取事第一の秘傳也

一一二之拍子と云事勝手一と引合押手に
 て二と切所也押手の勝根七分の備にて
 やわらかに打起引みちゝゝて十分に押
 しきる是を以一二之拍子と云に押手早く
 居れは勝手引合かたし其時すぬけ
 と云離になまるもの也一二之拍子よく
 見合射手の心と一躰にみる事肝要也

一釣合みる事は手先の早く居る所を
 あらたむる事第一の儀也手先より
 はやふする儀故に又はやう離るゝ其時
 の勝手すぬけと云もの也弓の大非也
 かるかゆえに勝手に先を取る事一二
 の拍子二ヶ條にしるすよくかんかへ釣合み
 る事師の随一専要の所也勝手は
 引とゝめす只引合を専とし押手
 の手先は押切る所を要として此
 二つのもの合ひして一拍子に釣合
 て離るゝにしくはなし右の三ヶ
 條はこんひやうしの外にして
 今は千のおもかけにうつり天
 性瑞現之秘極也

一押手十分に備離るゝ時肩根に
 て又延合拍子にて射なれたるを
 しえ世に多し此備にては惣矢
 離れかたし是に秤論多き所也
 今筆にはつくしかたし此射形
 を七分の備に直す時は當分強き
 弓は引ぬもの也力に相應の
 弓にて射させ六万はなして後
 力つくもの也其時の力根本弓
 稽古の力也又肩根にてせいこみ付た
 る力はりきみの力なるに依て矢に
 さかふる事有其外悪敷事数多し

  右此一巻者非以師傳書予従幼少
  遊射藝積稽古之労有年因是
  揮愚於筆鋒落射形於紙面
  逐満軸頭而已絹餘数箇條雖
  有之秘訣極旨其一悉皆傳授焉
  聊不可使他許視者也

元禄十六癸未年 神先政右衛門尉
  十一月十二日    重清(印)(判)


     内藤勘右衛門殿
【訳】
右此の一巻は師の傳書を以てするに非ず、予幼少より射藝に遊び稽古の労を積むこと有年、是に因て愚かにも筆鋒を揮い射形を紙面に落し、逐に軸頭を満すのみ、絹餘数箇條これ有ると雖も秘訣の極旨其一悉皆傳授す焉、聊かも他に視するを許さしむべからざるもの也

 怒(ぬ)の癖字
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