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神道無念流の傳書

神道無念流初巻
1703.嘉永六癸丑歳十二月
古志貞太信邦−小川東九郎

神道無念流目録
1833.天保四癸巳歳十二月
古志小源太信雄−小川志賀左衛門

神道無念流免許
1853.嘉永六癸丑歳五月
古志貞太信邦−小川東九郎

神道無念流の居合・立居合剣術は、福井兵右衛門喜平(*1) 兵法の玄境を極めんと欲して普く諸国を巡り、信州に至りて飯縄大明神に参籠し妙要を得んと祈る。忽然と老翁来り、諸流の玄境一つも秘す所無くして尽くこれを教授せられ略(ほぼ)剣術の妙要を識る。実に神明の現示に非ずして誰か能く為さんや、教授の奥要を撮りて居合・立居合剣術一流を建て神道無念流と号し世に弘む。(伝書の記述に拠る)
参籠は享保20年の秋、福井平右衛門37歳のときであったと云います。

福井兵右衛門喜平に始まった神道無念流は、戸賀崎熊太郎暉芳を経て岡田十松吉利に至り世に広く行われたとされています。
周防国徳山藩に於いては、古志小源太信雄(1770〜1849)によって導入され、文化9年(1812)6月13日藩校「鳴鳳館」で初稽古が行われ、以後門下1200人余を数えたと云います。古志小源太が「鳴鳳館」に於いて神道無念流の指南を勤めた時期は、文化9年(1812)6月より天保13年(1842)9月に至る三十年の長きに及ぶものでありました。
古志小源太は初め無方流剣術を玉井一貫に学び、のち江戸へ出て種田流鎗術を平田弥清に、神道無念流を岡田十松に学びました。種田流鎗術・神道無念流ともに師範を勤めます。練兵館の斎藤新太郎が来萩した嘉永2年(1849)、80歳で歿す。「徳山に過ぎたるものが三つあり、桜の馬場に大成寺、これに過ぎたる古志小源太」と謳われたそうです。子の古志小源太信邦(1789〜1856)(*2)もまた父と同じく神道無念流を指南しました。
古志小源太と同時期、同様に岡田十松から免許を与えられた同藩士 梅地嘉間太(1789〜1856)と云う剣士がおり、文化9年6月13日に行われた神道無念流の初稽古に参加したと『山口縣剣道史』には記されています。 梅地嘉間太は神道無念流を学ぶ以前、同藩の剣術師役 棟居順平に一刀流を学んでおり、また古志小源太と同じく無方流を学んでいました。神道無念流の免許を与えられたのは文政3年(1820)4月、岡田十松の歿年にあたります。

*1 冒頭の記述で福井兵右衛門の諱を”喜平”と記しているのは傳書の記述に従ったものです。通常、福井兵右衛門の諱は”嘉平”の称で知られています。
*2 古志小源太の父子関係及び格録、梅地嘉真太(喜真太か)について情報を頂きました。古志小源太信邦(貞太) 中小姓 25石。梅地喜真太 中小姓 30石。2016.11.9

掲載史料及び参考資料
『神道無念流目録』個人蔵
『神道無念流免許』個人蔵
『神道無念流初巻』個人蔵
『山口縣剣道史』財団法人山口県道連盟
『長州藩相伝神道無念流』木村高士
『日本武道体系』同朋舎
『全国諸藩剣豪人名事典』間島勲

神道無念流初巻

 (印)
   神道無念流初巻

一稽古立合之節間取之事
 敵に對するに遠間にして心を
 治め立合へし瞬息の間に
 決する業なれは敵虚実を考へ進
 へき時は如稲妻如雷退ときは躰を
 乱さす速に引へし唯當流
 之心生狐疑無猶豫也

一足踏之事
 足踏仕る事は左りを踏出す時は
 右の足へ心を入れ添る也右を踏出
 す時は左りの足へ心を入れ添るなり
 跡の足丈夫成ときは躰強し足
 踏不自由なれは躰弱して心氣
 居附也こヽろの居付時は極て迷生し
 敵に打るヽ也場合近く両足を
 ふんはり形ち作事なかれ唯必
 死の場へ行事を要とす司馬法曰
 兵戦場必死則幸生生則死進
 退速にして心氣居附さる事専
 要也足の出るに付て太刀の出るもの
 なれは足踏に勝利有へし心得へき也

一變化之事
 敵の形ち無き所を打事なかれ必
 敵の望所にして謀に乗へし
 さやうの時は虚実を考へ敵に
 形ちを作らしその形を無念に
 して打へし先をゆるめす
 後に猶豫する事なかれ稽古の始には
 身の構太刀の構へ不自由なれとも経
 年月脩練する時は得其妙術敵
 とわれと一躰一氣にして天
 地人一也是則當流無念之處也


   三社 常に可神
      念思心也


右三箇條御修行依深切授
之申候然上者前文能々工夫可有上
達尤如誓盟更々不可有他見他言
者也

        古志貞太

        (印)(印)

嘉永六癸丑歳十二月  信邦(判)



 小川東九郎殿
【訳】
一、稽古立合の節、間取の事
敵に對するに遠間にして心を治め立合うべし、瞬息の間に決する業なれば敵 虚実を考え進むべき時は稲妻の如く雷の如し
退くときは躰を乱さず速やかに引くべし、唯當流の心 狐疑を生ず猶豫無きなり

一、足踏の事
足踏仕る事は左を踏み出す時は右の足へ心を入れ添えるなり、右を踏出す時は左の足へ心を入れ添えるなり、跡(後)の足丈夫成るときは躰強し、足踏み不自由なれば躰弱くして心氣居附くなり
心の居付く時は極めて迷い生じ敵に打たるるなり、場合近く両足を踏ん張り形作る事なかれ、唯必死の場へ行く事を要とす、司馬法曰「兵戦場必死則幸生生則死」、進退速やかにして心氣居附かざる事専要なり、足の出るに付て太刀の出るものなれば、足踏みに勝利有るべし心得べきなり

一、變化の事
敵の形無き所を打つ事なかれ、必ず敵の望む所にして謀に乗るべし、左様の時は虚実を考え敵に形を作らしその形を無念にして打べし先をゆるめず後に猶豫する事なかれ、稽古の始めには身の構え、太刀の構え不自由なれども年月を経て脩練する時は其妙術を得、敵と我と一躰一氣にして天地人一つなり、是則ち當流無念の處也

三社 常に神念を思うべき心なり

右三箇條御修行深切に依り授け申し候、然る上は前文能々工夫上達有るべし、尤も誓盟の如く更々有他見他言有るべからざるものなり

神道無念流目録

(印)
  神道無念流

   五加


           親拝 口傳
摩利支尊天 未發象 神拝  口傳
           師拝 口傳


一圓中太刀大旨   口傳
常一知神      口傳
五加五形      口傳
非打十本      口傳
立居合十二剣    口傳
總合二剣      口傳

(印)
   人心

人心者如鏡物来則
應物去依舊自在不
曽迎物之来亦不曽
送物之去只是定而
應應而定

(印)
兵法の至極は唯心ひとつに
工夫肝要なり然は術の業
色々にあやありてとヽまる所
の妙剣は中の一字にきわまりて
別の事更になし敵に向ひ
勝負の妙道あり一心常に
心を主人として内にあれは実に
其屋不能入外客一大事
有之乎


八幡尊霊   凡欲學兵道者必
       先常神念思也

        陰

   (図)

極圜        陽


       古志小源太

        (印)(印)

天保四癸巳歳十二月 信雄(判)



 小川志賀左衛門殿
【訳】
 人心
人心は鏡の如し、物と来らば應ず、物去ば舊に依る、自在物の来るを曽て迎えず、亦物の去るを曽て送らず、只是れ定て應ず、應じて定る

兵法の至極は唯心ひとつに工夫肝要なり、然ば術の業色々にあやありてとどまる所の妙剣は中の一字にきわまりて別の事更になし
敵に向い勝負の妙道あり一心常に心を主人として内にあれば実に其の屋 外客入ること能わず、一大事これ有り

八幡尊霊  凡そ兵道を學ばんと欲す者、必ず先づ常に神念思うなり

神道無念流免許


(印)
抑神道無念流之立居合剣術
者福井兵右衛門喜平欲極兵
法之奥而普巡諸国至信州参
篭于飯縄大明神而祈得兵法
之妙要日既久多有奇夢頃及
于五十日忽然老翁来問曰汝
参篭于是已数日如何故乎予
答曰将極心悟翁亦問曰欲得
心術而已歟業亦兼備歟予暗
欲試其心術而謂曰吾修業多
年因茲取木剣雖尽秘術殆不
可當予心伏而跪懇請曰願先
生説面命之秘術以示予翁曰
吾子可教依之逗七日諸流之
奥要一無所秘而尽口授之予
至此略識剣術之妙要矣翁既
為帰予問願聞先生之姓名與
郷国翁曰汝免身之時有姓名
乎予曰無也翁亦曰我今来於
茲猶赤子言終須臾而不見也
予愕然曰奇哉翁談論之間唯
云兵法之奥乎有而無無而有
神明不側用活人唯至無念之
處實剣術之金言此外無物顧
非神明之現来何凡人能所可
及乎予撮所傳授之奥要而欲
建居合立居合剣術一流是予
非孤意真神明所也依而号
神道無念流而弘于世云尓

信州
 飯縄大明神
   於同山参篭
 元祖老翁   右前通姓無之

 (印)

  神道無念流心慮巻

夫居合立居合剣術法者自身
堅固而辨他之邪正而用心練
磨切無間断則何必不得微妙
乎其妙者言宣不及即有而無
即無有也故立有之躰無体位
是非口傳親授法躰究練磨而
自然自知活溌々地而左點右
點皆得勝利者也

右居合立居合剣術旨懸台二
極未得陰陽深源者著指技而
不能見一輪予練磨久而忘指
見月則住剣刃上走氷凌上於
轉不得處得身自在者乎

 (印)

  無上剣之巻

凡居合立居合剣術之法進一
身之力而剣送初学者神静為
要不得従疾意前事後者放心
而為無縄自縛意後事前者還
而敗善剣刀者自身堅固而法
他之虚随變打敵是聖之法也
無力無勵者病失勢則渋不可
忙々則失勢不可緩々則失徳
正氣円静而遅速合度自然躰
八方具足最要妙其理深切也

稽古曰躰合勢曰格任心為變
合理為化躰格變化具満曰運
々不絶謂兵法之大綱稽古得
躰朝暮終身学而可也

剣随手々随心々随法々随神
神運練磨久而忘手々忘心々
忘法々亦忘神々運萬靈任心
變化必然也變化必然也則得
無躰可謂至


 諸悪悉皆善變生

 一来半飛鳥正剣

 (印)

  無上剣


 一圓心無二無別

  (図)


覚テ看ヨ看サレハミヱス物
コトニ備テ咲ル得道ノ花

傳ハ母鍛練ハ父術ヲ得テ子
ト成生レ出ル名人

桜木を割て見たれは何もなし
花の種には何かなるらん

雨の海千尋の底の花の種
手もぬらさすに取よしもかな

意進  術進  全進
懸中待 々中懸 柔剛
弱強  早遅  悠急

(印)

飯縄大明神
八幡尊靈
摩利支尊天

(図)

        毘盧身士不
        越凡下一急

(図)

        阿鼻依生至
        処極自身

 (印)

  五位傳記

(図)

(図)

夫神道無念流者天地交合而
唯自然之理也離於強弱柔剛
而以中一字躰配之也非切非
打非捕無為無事而未発則至
也故持剣不闘而有勝之理也
合熟此理之人者即天也地也
神也人也道也聖也賢也蓋人
者等類何有用殺之理乎唯撃
其邪耳以剣制於人以活平於
人則自大平而四海無荒濤之
患歟

右當流以太刀組貴殿多年修
行依功徳積於免許之也依而
一心大悟而深執心有之方可
被致指南者也


└──────福井兵右衛門┐
      ┌──────┘
      ├眞中幸治郎
      ├戸賀崎熊太郎┐
      ├──────┘
      ├松村士鳳
      ├松村清蔵
      ├三田三五郎
      ├福嶋吉蔵
      └岡田十松──┐
      ┌──────┘
      ├尾關斧三郎
      ├安田藤馬
      ├三宅仙左衛門
      ├永井軍太郎
      ├鈴木斧八
      ├浦池左五郎
      ├中村熊四郎
      └古志小源太─┐
      ┌──────┘
      ├豊田伴左衛門
      ├増野政右衛門
      ├鈴木常左衛門
      ├岡村権之助
      ├小幡小平太
      │
      └古志貞太───┐
              │
        (印)(印)  │
              │
嘉永六癸丑歳五月  信邦(判)│
              │
       ┌──────┘
       │
       ├立野忠右衛門
       └小川東九郎



  小川東九郎殿
【訳】
 序
抑(そもそも)神道無念流の立居合剣術は福井兵右衛門喜平 兵法の奥を極めんと欲して普く諸国を巡り、信州に至りて飯縄大明神に参籠し兵法の妙要を得んと祈り日既に久し
多くの奇夢有る頃五十日に及び(斎藤派では”多有奇兆異端、已及五旬”とされる)、忽然と老翁来り問いて曰く「汝ここに参篭し已に数日、如何なる故か」、予答えて曰く「将に心悟を極めんとす」、翁また問いて曰く「心術を得んと欲すのみか、業をまた兼ね備えるか」、予暗にその心術を試みんと欲し謂いて曰く「吾、業を修すること多年」、茲に因り木剣を取りて秘術を尽すと雖も殆ど當るべからず
予心伏し跪きて懇ろに請いて曰く「先生に願う面命の秘術を説き以って予に示せ」、翁曰く「吾、子に教うべし」、依て七日逗り諸流の奥要一つも秘す所無くして尽くこれを口授す、予此に至り略(ほぼ)剣術の妙要を識る
翁既に帰せんとす、予問い願う「先生の姓名と郷国を聞く」、翁曰く「汝免身の時姓名有るか」、予曰く「無きなり」、翁また曰く「我今茲に来り、猶赤子のごとし」、言い終え須臾にして見えざるなり、予愕然として曰く「奇かな」
翁談論の間唯兵法の奥を云うのみか、「有にして無、無にして有、神明測らず活人に用う、唯無念の處に至る」、實に剣術の金言 此の外に物無く顧るに神明の現来に非ずかと、何れ凡人能く及ぶべき所、予傳授の所 奥要を撮りて居合・立居合剣術一流を建てんと欲す、これ予の孤意に非ず、真神明る所也、依て神道無念流と号して世に弘む

 神道無念流心慮巻
それ居合・立居合剣術の法は自身堅固にして他の邪正辨(わきま)えて用心練磨切に間断無く、則ち何れ必ず微妙を得ざらんや、其の妙は言い宣うに及ばず、有 即ち無、無 即ち有なり
故に有の躰・無体の位を立て、是非を口傳し親授の法躰を練磨し究めんとして、自然 自知 活溌々地、而して左點右點皆勝利を得るものなり

右 居合・立居合剣術の旨、懸台二つに極る、未だ陰陽深源を得ずば、指技に著きて一輪を見ること能わず
予練磨久しくして指を忘れ月を見、則ち剣刃上に住し氷凌上を走る、轉ずるに於て得身自在の處を得ざらんものか

 無上剣之巻
およそ居合・立居合剣術の法は一身の力を進めて剣を初学に送らば神静の要を為す、意前事後の疾きに従うを得ざれば放心して無縄自縄と為り、意後事前は還りて敗す、剣刀善くすれば自身堅固にして他の虚に法り變に随い敵を打つ、是れ聖の法なり、力無く勵無くば病り勢を失い則ち渋る、忙(おそれ)るべからず、忙(おそれ)るれば則ち勢を失う、緩むべからず、緩むれば則ち徳を失う、正氣円静して遅速度合自然躰八方具足、最も要妙其の理深切なり

古を稽(かんが)えるを躰と曰い、勢に合うを格と曰う、心に任せ變を為し理に合わせて化を為す
躰格變化、具わり満るを運と曰い運は絶えず、兵法の大綱と謂う、古を稽え躰を得て朝暮終身学びて可なり

剣は手に随い、手は心に随い、心は法に随い、法は神に随う、神運練磨久しくして手を忘れ、手は心を忘れ、心は法を忘れ、法もまた神を忘る、神運萬靈心に任せ變化必然なり、變化必然なれば則ち無躰を得て至れりと謂うべし

それ神道無念流は天地交合して唯自然の理なり、強弱柔剛を離れて中一字を以て躰をこれに配するなり
切るに非ず、打つに非ず、捕うるに非ず、無為無事にして未だ発さざれば則ち至るなり、故に剣を持ち闘わずして勝の理有るなり
此の理 合熟する人は即ち天なり、地なり、神なり、人なり、道なり、聖なり、賢なり、蓋し人は等類何ぞ用殺の理有るや
唯その邪を撃つのみ、剣を以て人を制す、活を以て人を平らかにすれば、則ち自ら大平にして四海荒濤の患い無きか

 跋
右當流太刀組を以て貴殿多年修行し功徳を積むに依てこれを免許するなり、依て一心大悟して深く執心これ有る方へ指南致さるべきものなり

書 書の異体字

印章


「上戈」「父為子隠 子為父隠」「進徳修業」「徳不孤」「漱石枕流」「大山」
印文で出典が分るものは下記の通り。

「父為子隠 子為父隠」−論語 子路篇
「進徳修業」−易経
「徳不孤」−論語 里仁篇
「漱石枕流」−晋書 孫楚伝

印文を撰ぶのは傳書の作成者ですから、こゝにその思想の一端を垣間見ることができます。中でも「漱石枕流」は論語や易経の引用とは性質が異なるようです。

花押

古志小源太信雄の花押はその字「士行」を象ったものと見られ、古志貞太信邦の花押は實名の一字「邦」を象ったものと見えます。
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