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『肖像』野村文紹著 国立国会図書館蔵
平山潜
1759 〜 1829
江戸時代後期の幕臣,武藝十八般に通暁し,實用の武藝を提唱,数多の門弟を薫陶す,
一方,文化露寇に際しては幕閣へ上書を為し,また昌平黌の碩学古賀精里に師事するなど,文武両道を実践した,
また多くの著書を遺す,『槍法實用』という一冊あり,こゝに弟子へ対して武藝の心得を端的に表わしたるものあり,こゝに引用す,
「庶幾くば,吾が党の武人は忠孝節義の膽を張り,英雄豪傑の志を慕ひ,雜劇に異ならざる勢法を洗滌し,反故に等しき印證を放擲し,戦陣實用の教へに刮目せんことを,」



平山子龍
hirayamashiryu


sho

怒鼃
運籌真人書

筆者蔵
平山子龍
hirayamashiryu

自畫賛
jigasan

墨梅
bokubai

誰知凛〃氷霜降却
是梅花守歳寒
子龍平山墨

筆者蔵





怒鼃
この二字は,鼃[蛙]を賞した越王句踐の故事,「鼓腹而怒之蛙,越王句踐見其氣盛而行禮,以昭禮賢下士之心,<韓非子>」に由ると考えられます,
子龍翁が自信の姿を鼃に投影したものか,あるいはこの書を書き与える弟子に対して,この鼃のようにあれと諭したものか,今となっては分からぬことです,
けれども,翁はこの二字をよほど気に入っていたらしく,少なからず同様の書が現存しています,そのあたりを勘案すれば,「怒鼃」の二字は,翁が自身の姿を投影したものと考えて良さそうです,


誰知凛〃氷霜降却是梅花守歳寒
「誰か知らん,凛〃として,氷霜降るも却て是れ梅花歳寒に守るを,」
誰が知っているだろうか,氷霜が降るにもかゝわらず,梅花は歳寒のなかに凛〃たるさまを守っていることを,という意,
「凛〃」の二字,これを強調せんがために,「氷霜」の前へ突出させたようです,
 




『近世名士写真』近世名士写真頒布会
山岡高歩
1836 〜 1888
江戸時代後期の幕臣, 御一新後は
明治天皇の侍従となる,
剣・禅・書に達し,剣術は一刀流小野家より道統を継承,一刀正伝無刀流を開く,後世に多大な影響を与えた,
「心を論ずれば總て是れ心中に惑ひ,輸贏に凝滞すれば還工を失ふ,剣家精妙の處を識らんと要さば,電光影裏春風を斬る,」
『剣道悟入覚書』より,



山岡鐵舟
yamaokatesshu


sho

清如玉壺氷
癸未初夏日為越叟禅師嘱
鐵舟居士書

筆者蔵
山岡鐵舟
yamaokatesshu

尺牘
sekitoku

筆者蔵








清如玉壺氷
明治十六年,全生庵の建立に際して越叟禅師の需に應じて揮毫された一幅,
越叟禅師は全生庵の開山,
玉製の壺中にある氷晶の清らかさ,これは清正なる人となりの比喩に用いられる,鲍照の「代白頭吟」が有名,


尺牘
「旧苗木管内の寺院,時運の変質に逢て総て廢寺となる,今大株禅師旧踪を慕て不止,因て同郷一寺回役を發起せり,請同信の諸君禅師の篤志を賛成して圓成せん事を冀ふのみ,明治廿年二月,」
明治の世となり佛法が急速に廃れるなか,鐵舟翁が率先してその復興に盡力したことはよく知られています,
尺牘に曰う苗木[岐阜県中津川市苗木]は,殊に廃仏毀釈の激しかった地域にて,明治三年領内の寺院はすべて廃寺にせよと通達されるほどでした,